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魔女のもとへ

本日は2話更新です。

 水上は今から記憶の魔女のもとへ行こうと言い出した。言われずともそのつもりだった。俺は自分が失った記憶を一刻も早く取り戻したかった。


 仁とオタクくんにお礼と別れを告げ、水上が着替えてくるのを待って学校を出た。水上は部活を早退したらしい。曲がったことが嫌いな水上のことだから、顧問には「親友のため」とでも言ったのだろう。その光景が目に浮かぶようだった。


「水上、金曜日はひどいことを言って申し訳なかった。本当にごめん」


 行きの電車の中で、俺は他人の目も(はばか)らず深く頭を下げた。こんなことで許されるとは思っていないが、他にどうしたらいいのか分からなかった。

 扉に寄り掛かっていた水上は目を伏せて頭を振った。


「謝らなくていいよ。事故がわたしのせいっていうのはその通りだから……」

「そんなことない。説得を頼まれたのに果たせなかった俺の責任だ」

「やめてよ。そういうところもムカつくの」


 水上の視線が車窓の外に注がれる。流れゆく景色を見つめて、彼女は溜め息を吐いた。電車の音に搔き消されるような、力のない溜め息だった。


「白崎に、皆月は紗代と付き合っているから別れてって言ったの。すぐじゃなくてもいいから考えてほしいって。それが白崎にした〝お願い〟」

「それは……怒っただろうな」


 智菜は水上のお姉ちゃんをコーチに招き入れたら、俺と別れろという要求を呑むことになると考えたのだろう。ポーズでもそんなことはしたくないから意地になって、水上が〝お願い〟を取り下げようとも拒みつづけた。

 状況は理解したが、納得のいかない点がある。


「その話を智菜は信じたのか? 俺は智菜に、誰とも付き合ってない、付き合ったこともないって言ってたんだぞ?」

「白崎にも思い当たる節はあったみたい。たぶん、紗代のことは皆月の元カノだと思ってたんじゃないかな」

「え? なんで?」

「皆月さ、三月の終わり頃に、川で溺れていた子どもを助けたんでしょう?」


 あまり自分から吹聴することでもないのでこの話題は控えていたが、水上の言う通り、俺は見知らぬ小さな女の子の命を救っていた。散歩中に溺れている女の子を見かけた俺は、助けなきゃ、と思う前に川に飛び込み、服の重さに抗いながら泳いでその子を岸まで運んだ。そして、女の子を押し出した反動で川に逆戻りし、水草に足を取られて、今度は俺が溺れた。三月の水の冷たさに体温を奪われ、疲労も重なって手足が動かなくなり、水が口の中に雪崩(なだ)れ込んできて、呼吸はおろか()せることもできなくなって……肺や脳が水浸しになっていく感覚の中で、意識を手離した。正直、思い出すだけでも震えそうになるくらい恐い。もう二度とあんな苦しみは味わいたくないと思うし、もし同じ場面に出くわしても、今度は勇気が出るか分からない。


 俺はあのときに死んでいるはずだった。

 それでもこうして命があるのは、偶然通りかかった智菜が助けてくれたからだ。


「白崎が皆月を助けたっていうのは本当だよ。でも、命を救ったのは紗代なの。先にその場にいた紗代が助けを求めて、偶然それを聞きつけた白崎が飛んできて、皆月を岸まで引き上げた。その後、紗代は皆月に人工呼吸や心臓マッサージをしたんだけど、皆月の脈も呼吸も戻らなかった」


 俺の話なのに、俺は他人事のような気持ちでそれを聞いていた。蘇生を試みたけど駄目でした、なんて言われても、コメントのしようがない。


「じゃあ、野々村が能力を使ってくれたのか?」


 水上は周囲を気にして声を(ひそ)めた。


「紗代の治癒能力は、最大で一年間、その人の身体の状態を巻き戻すというもので、死後一時間以内なら生き返らせることもできるの。その場合はすぐに目を覚まさないらしいけど」

「つまり、俺は死んでたってことか……?」


 自分の言葉に俺が一番動揺した。口の端がぴくぴくと痙攣(けいれん)する。助かってよかった、恐かったから忘れよう、などと呑気(のんき)なことを考えていたのに、本当は死んでいた。これで驚くなという方が無理な話だ。死。死ぬ。死亡。あまりに現実味のない単語に目眩(めまい)がした。

 いや、今はそんなことは後回しだ。それよりも訊かなければならないことがある。


「どうして野々村はそのことを隠したんだ?」

「隠したんじゃないっ。ほんとに察しが悪くてイライラする」

「ご、ごめんって。それで……?」


 水上は俺を見上げ、視線を()らすとともにきつく目を瞑った。


「紗代の能力は代償として、治療した相手から〝一番大切な人の記憶〟を消しちゃうの。関連する事柄も、全部。しかも、一週間その人のことを認識できなくなる。目の前に立っても気づかないし、声をかけても聞こえない。書いた文字すら読むことができない。助けられた人にも、その人を想う人にも、もちろん紗代にも、残酷な代償なんだよ」


 俺の記憶が欠けているのは記憶の魔女に消されたからではなく、野々村の能力の副作用によるものだった。俺に起きたことの結果だけを見れば、野々村こそが記憶の魔女だったと言えるのかもしれない。


 副作用の都合で俺が野々村を認識できなくなっていたから、野々村は救急車に乗らず、智菜に任せることしかできなかった。その場面に居合わせた智菜だから、俺に野々村には近づいてほしくないと言い、水上の言葉も信じざるを得なかった。


 俺の頭ではどこにも矛盾はないように思えた。当然、水上が噓を吐いているとも思えない。

 なら、俺は本当に野々村と付き合っていたのだろう。野々村と付き合っていながら、智菜と付き合ってしまった。


 頭で理解してもなお、実感は湧かなかった。だって、俺にはその記憶がないのだ。言葉だけで説明されても心の処理が追いつかない。心がその場に留まったまま身体だけが衝撃を受けて、足元から順に崩れていく。だるま落としになったような気分だった。


「寺谷から聞いたと思うけど、わたしは中一のときに、紗代に愛犬のポン介の心臓を巻き戻してもらったんだ。本当は手遅れだったのにお陰で早期発見に繋がって、手術が間に合うようになったの。ポン介を毎日散歩していたのも、ご飯をあげていたのも、一番可愛がっていたのもわたしだったから、代償でポン介はわたしのことを忘れちゃった。でも、これまで苦しんでいたポン介が元気になって、わたしは嬉しかった。最初は撫でても名前を呼んでも気づいてくれなかったけど、一週間が経って、これまでのようにずっと一緒にいたらまた(なつ)いてくれた。一緒に暮らしていたから、大した問題にはならなかったの」


 わたしの場合はね、と水上は付け加えた。でも、野々村の場合はそうではなかった。


「紗代は皆月と暮らしていたわけじゃないし、会いに行ったところで皆月は紗代を認識できない。だから、紗代は一週間が経つのを待とうとした。でも……その間に皆月は白崎と付き合いはじめちゃった」


 電車が駅に停車し、何人かが降りて、何人かが乗ってきた。扉が閉まるまで俺たちは他人のふりのように顔を背けていた。


 電車が再び一定の速度になるまで待って、俺は質問した。


「どうして言ってくれなかったんだ?」

「わたしは言おうとしたけど、紗代が嫌がったの。皆月に迷惑を掛けるのも、嫌われるのも嫌だったみたい。どうせ信じてもらえないって諦めてた」

「何か、俺と付き合っていた証拠みたいなものはなかったのか? 例えば、写真とか、日記とか」

「もし魔女だってことが知られたら皆月にも危険が及ぶかもしれない。そういう理由で二人の写真を残すことも禁止されているって聞いた。日記だって立派な証拠になるんだから、つけているわけないでしょ」

「そうか……」

「それに、もし書いていたとしても紗代は言い出せなかったと思う。紗代はそういう子なんだよ」


 それは俺も同意見だった。水上から聞かされただけでも自分の中身が抜け落ちるような虚しい感覚を味わっているのだ。これを付き合っているという野々村本人から聞かされていたら、俺は正気を失っていたかもしれない。新学期からの野々村しか知らないけれど、野々村がそれを望まないことは分かった。


 コツコツ、と爪の先でガラス窓を叩いて、水上は呟く。


「先に話しておかなきゃいけないことはこんな感じ。あとは白状することがいくつかあるだけかな。だいたいは、あの……背が低い、眼鏡の――」

「オタクくんな」

「そう、それが言っていた通り。皆月が紗代と連絡先を交換したって話しているのを部活中に偶然聞いて、寺谷に協力してもらって皆月のスマホを拝借した。パスワードが変わっていたら何もしないつもりだったけど、紗代と付き合ったときのままだったから監視アプリを入れさせてもらったの。RINEの友だちにわたしを追加したのもそのとき。その夜に白崎との通話を聞かせてもらっていたらチアリーディング部のコーチの話が出てきて、わたしは先にお姉ちゃんに相談をした……盗聴なんかしなかったら〝お願い〟なんてしようと考えなかったし、白崎が怪我をすることもなかったと思う。だから、あれはやっぱりわたしが悪いんだ」

「ネックレスを盗ったのも水上なのか?」

「うん。ごめん」

「どうしてだ? 水上は盗みなんか嫌いそうなのに」

「盗むつもりはなかったの。皆月が白崎にプレゼントするっていうRINEを見て、何を贈ろうとしているのか確認しなきゃって思った。最初は本当にそれだけだった。でも、プレゼントのネックレスを見て、これだけは渡させるわけにはいかないと思って、皆月のロッカーに隠したの。他のものならそんなことはしなかった」

「ネックレスがまずかったのか?」

「違う。ネックレスだけならまだよかったよ。でも、デザインまで一緒なんて、そんなの許せるわけない。だって、それじゃ、紗代が可哀想だよ……」


 仁は野々村の鞄の中にネックレスを見つけた。その報告を受けて、俺はそれが俺のネックレスだと思った。実際は盗まれたネックレスではなかったわけだが、俺のプレゼントという意味では間違っていなかったようだ。


 俺は野々村に、智菜と同じデザインのネックレスを贈っていたらしい。いや、智菜に野々村と同じデザインのネックレスを、が正しいか。


 初めての彼女にはこうしたいと決めていたことを、俺はそのまま、野々村と智菜の二人にやっていたのだ。


 智菜がネックレスを見たときの反応も今なら納得できる。あの凍りついた表情は、野々村が同じネックレスを着けていたことを知っていたから出てしまったものなのだろう。


 俺とはもう目も合わせたくないのか、水上は車窓を見つめたまま締め括った。


「あとは自分の記憶で確かめて」


 それきり、俺たちは互いに口を開こうとしなかった。

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