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窃盗事件

 え、と引き()った声が出て、スポットライトを当てられるようにクラス中の視線が俺に集まった。俺自身、口から飛び出した声の大きさに驚いていた。


 古典の稲垣先生が迷惑そうな顔で声を投げてくる。


「皆月ー、どうしたー?」

「あ、いや……教科書を忘れたと思ってたんですけど、鞄にあったので驚きました」


 適当なことを言ったら何人かが笑ってくれた。でも、俺はうまく笑えなかった。笑っていられるような状況じゃなかった。内臓は凍りついたように時間を止めていて、背中には冷たい汗が伝っている。


 ない。鞄の中に入れていたはずの智菜の誕生日プレゼントが、どこにもない。


 先生の目を盗んで鞄を漁ったが、ネックレスが入った白い小箱はやっぱりどこにも見当たらなかった。朝は確実に鞄に入れた。一時限目もこっそり確かめて密かに頬を緩めていた。なら、いつなくなった? どこかで落としたのか? どこにも鞄を持っていっていないのに?


 考えられる可能性は一つしかなかった。二、三時限目は芸術の授業で、移動教室のためにこのクラスは無人になっていた。恐らくはそのタイミングで盗まれたのだ。

 教室の施錠を担当しているのは日直だが、人が少なくなったタイミングを狙えば誰でも犯行は可能だろう。犯人を特定することは難しい。

 騒ぎになっていないところを見ると、今のところ窃盗被害に遭ったのは俺だけらしい。俺だけが狙われたのか、たまたま物色した俺の鞄に金目のものを見つけただけなのか、それすらも分からない。


 額に手を当てて嘆息する。

 不思議と怒りのようなものは湧いてこなかった。ただ純粋に、ショックだった。


 俺は彼女への最初のプレゼントは姉ちゃんが好きなブランドのネックレスにしようと決めていた。たぶん女子なら一度は聞いたことがある、シンプルで日常使いができることで定評のあるブランドだ。高級ジュエリーに比べるとお手軽な価格帯とはいえ、高校生の俺にとってはあまりにも大きな出費。だからこそアクセサリーショップに足を運び、少し緊張しながら智菜に合うものを選んできた。


 でも、費用や労力なんてものはこの際どうでもよかった。一番の問題は今日の放課後に智菜と誕生日パーティーをする予定になっていることだ。誕生日プレゼントのない誕生日パーティーなんてあり得ない。そんなものは誕生日パーティーとは呼ばない。智菜にもプレゼントをすると言ってあるし、智菜だって楽しみにしているはずだ。智菜をがっかりさせてしまうことが何よりも悲しかった。


 先生に相談することも考えたが、それで犯人が見つかるかは分からないし、騒ぎにしたことで智菜にプレゼントが盗まれたと知られるのは避けたかった。一度盗まれたプレゼントなんて嬉しくないに決まっている。それに、激情家の智菜のことだから、俺のものが盗まれたという事実に激怒し、誕生日パーティーどころではなくなってしまうことも想像できた。


 困ったときは誰かに頼りなさい。遠慮なく頼れるような友達を作りなさい。かつて師匠は俺にそう語った。

 だから、仁とオタクくんを頼ることにした。


 昼休み、俺の招集を受けて二人は司書室に集まってくれた。事情を話すと、仁は机に拳を打ちつけて怒りを(あら)わにした。


「俺は盗みってのが一番許せねえんだよ。犯人を見つけ出してとっちめてやろうぜ」


 仁は中学の頃に同級生の財布から金を盗んだという濡れ衣を着せられたことがあるらしい。以来、窃盗や万引きを殺人以上に憎んでいるという。いつだったか、そんなことを話していた。

 怒っている仁を見ていたら不思議と気持ちが落ち着いてきた。俺がしっかりしなければ、という使命感に駆られたのかもしれない。


「俺は別に犯人を見つけたいわけじゃないんだ。できれば騒ぎにもしたくない。ネックレスが見つかればそれでいいんだよ」

「いいわけねえだろ。俺が納得いかねえよ」


 乱暴な口調ながらも仁は拳を下げてくれた。俺は机に飛び散ったカップ麺の汁を拭く。


「てか、なんでネックレスなんか持ってきてたんだよ?」

「それはまあ……誕生日プレゼントだよ」

「あ、チナチッタの誕生日か」

「え?」


 手を叩く仁を見てオタクくんが目を丸くした。

 眉を下げてオタクくんは言う。


「僕のじゃないの?」

「……は?」

「今日、僕の誕生日なんだけど」


 なんで俺がオタクくんにネックレスをあげなきゃいけないんだよ。寝ぼけてんのか。


 オタクくんのドン引き発言のお陰で仁も頭が冷えたらしい。これでようやく本題に入れる。

 オタクくんは菓子パンを杖のように振りながら語り出す。


「日直が鍵を掛け忘れたってことじゃなければ、初めから優真が狙われていた可能性が高いね。ネックレスのことは誰かに話した?」

「いや、智菜だけだな」

「犯人は水上じゃねえか? 優真のこと嫌ってるしよ」


 クラスで俺を嫌っている人物なんて水上くらいしか思いつかない。でも、正義感の強い水上がそんなことをするとは思えなかった。


「オタクくんはどう思う?」

「僕も水上春香が犯人に一票」

「勘か?」

「ううん。推理」


 推理と来たか。何か根拠でもあるのだろうか。

 俺と仁が推理ショーを拝聴しようと背筋を伸ばす。だが、オタクくんは菓子パンを齧って手を振った。


「ごめん、話すつもりはないんだ。せっかく握った弱みをここで切りたくないし、水上春香が犯人と決まったわけでもないしね。それに、容疑者って意味では野々村紗代だって怪しいよ。隣の席だから優真の鞄の中身が見えて、つい出来心で、なんてことも考えられる」


 野々村はそんなことをするようなやつじゃない。苛立ちが顔に出ていたのか、オタクくんはまあまあと左手を上下させた。


「優真は犯人を突き止めるつもりはなくて、ネックレスだけ取り返したいんでしょ? それなら僕に考えがあるよ。確実性は低いけどお金が掛からずすぐに結果が出る方法と、確実だけどお金と時間が掛かる方法、どっちがいい?」


 難しい二択だ。確実に戻ってくるなら当然後者を選びたいが、今は財布が心もとないし、時間が掛かって誕生日パーティーに間に合わなくなっても困る。


「ちなみに、お金と時間ってのはそれぞれどのくらいなんだ?」

「金額は安く済めば数千円、高くつけば数万円ってところかな。時間はたぶん、今日の夜までにはって感じ」


 どんな方法なのかまったく見当がつかないが、夜までに見つけてくれるというなら悪くないと思った。パーティーを延期したとしても明日にはプレゼントを渡せることになる。あとは金額次第。買い直すより安ければそちらを選びたい。


 じゃあ、と答えようとしたら、先にオタクくんが口を開いた。


「あ、先に確実性が低い方法で試して、駄目だったら確実な方法を取る、っていうのもありだよ。掛かる時間はそんなに変わらないし」

「そうなのか。ならそうしたいな」


 俺の返事に、オタクくんはにやりと悪い笑みを浮かべた。


「その言葉を待ってたよ」


 言わせたようなもんだろ、と思ったが、我慢して話を聞く。


「確実な方法は後のお楽しみってことで、先に確実性が低い方法を説明するよ。結論から言うと、僕と仁でネックレスを盗み返すってだけ。五時限目は体育で教室が無人になるから、その隙に鞄の中身を確かめさせてもらうんだ。で、優真のネックレスが入っていたら返してもらう」

「なんで俺なんだよ?」


 仁が唇を尖らせる。盗みを憎む仁に盗みをさせようとは、さすがオタクくん、人の心がない。


「優真が怪しい行動を取っていたら犯人に警戒されるからだよ。だから僕たちだけで行く」

「間違って優真のとは違うネックレスを盗ったらどうすんだよ?」

「そこは事前に特徴を聞いておけば平気だよ」

「ネックレスはシルバーのチェーンにしずく型のモチーフが付いているやつだ。しずくの中には小さなアレキサンドライトが入ってる。水色のリボンでラッピングされた白い小箱に入れてあって、それごとなくなった」

「アレキサンドライトって宝石じゃねえか。付き合って二ヶ月とちょっとだろ? やりすぎじゃねえか?」

「二ヶ月とちょっとで誕生日が来ちゃったんだから仕方ないだろ」


 アレキサンドライトと聞くと物々しい印象があるが、ネックレスに付いているのは爪の先ほどの小さなものだ。なお、アレキサンドライトを選んだ理由は六月の誕生石だったから。他にもパールやムーンストーンがあったが、パールは智菜のイメージに合わないし、ムーンストーンは脆いらしいということで、思い切って値の張るアレキサンドライトに決めたのだ。


「なあ、アレキサンドライトってどんな宝石だっけ?」

「俺が買ったのは緑っぽいやつ」

「宝石の情報はそんなに重要じゃないよ。転売目的なら箱から出すことはないだろうし、白い箱を見つけたときだけ中身を開けて確認するっていうルールにしよう。それ以外はスルーする。これなら間違いは起きないよ」


 仁はこれみよがしに溜め息を吐いて頭を搔いた。


「分かった分かった。優真のピンチだもんな。協力してやるよ」

「悪い。ありがとう、二人とも」


 同級生の鞄を漁るなんてよくないこととは分かっているが、俺も切羽詰まっている。盗られたものを返してもらうだけだから、と誰にでもなく言い訳をした。


「で、どうやって調べるんだ? 体育の時間は教室が閉まってんだろ?」

「普通にピッキングで開ける」


 それのどこが普通なんだ。

 できるのか、とは訊かない。オタクくんならできてもおかしくない。


「僕が見張り役をやるから、仁は水上春香と野々村紗代の鞄を調べてよ。授業が始まって十分経ったら作戦開始。制限時間は五分間ってことで」

「よし、任せろ」


 こうして、ネックレス奪還作戦が始動した。

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