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オタクくんの緊急招集

 ゴールデンウィークも、その直後の中間試験も終わった五月下旬。俺と仁はオタクくんに招集され、図書室に向かっていた。


 オタクくんとはクラス替えがあって間もなくの頃、つまりはおよそ一ヶ月前に仲良くなった。きっかけは浦島太郎よろしく、こらこらやめなさいとオタクくんを助けたことだった。

 その日、オタクくんは声の大きいサッカー部の面々にライトノベルを取り上げられ、「この表紙エロくね?」などと言われてからかわれていた。イジメというような陰湿なものではなく、むしろ、できるだけ多くのクラスメートと関わろうという彼らなりのコミュニケーションだったのかもしれない。とはいえ、オタクくんが困っているようだったのでちょっとしたお節介を焼いてみた、という次第だ。


 師匠直伝の秘技、『敵の敵は味方』ならぬ、『味方の味方は味方』戦法。要はオタクくんともサッカー部とも仲間になり、サッカー部に「俺たちの仲間である優真の仲間なら手出しはしないでおこう」と思ってもらうというもの。仁の協力もあって、いじりは一転、オタクくんによるライトノベル講座に変わり、感嘆と拍手によってその場を収めることに成功した。


 ただ、振り返ってみるとお節介どころか余計なお世話だったような気もする。オタクくんはイジメられるような男ではなかったからだ。

 先月の半ばに全国一斉学力テストがあったのだが、驚くべきことにオタクくんは全教科満点というとんでもない偉業を達成していた。先週行われた中間試験の結果も、現時点で返却されたものはすべて満点で、他も自信があると言う。平伏するばかりである。

 勉強ができることを抜きにしてもオタクくんは面白いやつで、俺も仁もすっかり気に入り、オタクくんはオタクくんで俺たちにそれとなく恩義のようなものを感じているらしく、自然とつるむようになった。休日に一緒に出掛けることはないものの、昼食や休み時間は掛け声もなく集合する。学校限定の帰宅部同盟といったところだ。


 そんなオタクくんが内密な話があるというのだからこれは一大事。何かとんでもないことを言い出すのではないかと、ちょっとわくわくしながら、昼食を片手にオタクくんの後に付いていく。


 図書室に着くとオタクくんはこそこそとカウンターに回り、奥の扉を開けて手招きした。図書室は飲食禁止ではないかと(いぶか)っていたのだが、どうやら司書室で話をするつもりらしい。

 俺は図書室にも滅多に来ないので、司書室に入るのももちろん初めて。どんなところかと思ったら、ほとんど物置といった印象の、本棚だらけの狭苦しい空間だった。中央には無理やり押し込んだように長テーブルと椅子が、端には古びたパソコンが一つ置かれている。古本屋特有の、かび臭いような、香ばしいような不思議な香りに包まれながら、なんとなく居住まいを正して席に着く。


「司書室なんて勝手に入っていいのかよ」


 スパイラルパーマの茶髪を指先でくるくる捻じりながら仁が言う。落ち着かないときの彼の癖だ。


「僕は図書委員だからね。この司書室を手に入れるために図書委員になったと言っても過言ではないよ」

「手に入れたわけじゃねえだろ」

「私物化できるなら手に入れたも同然だよ」


 オタクくんが黒縁眼鏡をくいっと押し上げ、静かに笑う。眼鏡の奥の瞳は鋭い、というか、単純に目つきが悪く、ちょっとキツネのように見える。これで柄が悪い風貌だったらインテリヤクザにも見えただろうが、もっさりした黒髪と低い身長が、彼が人畜無害であることを証明していた。


 俺と仁が扉側、オタクくんが奥側で向かい合って座る。クラスナンバーワン、ツーの高身長と相対してもオタクくんは委縮しない。そういうところも俺は一目置いていた。


「で、内密な話って?」


 構内のコンビニで買ってきたとろろそばに手をつけながら切り出す。隣からは激辛カップ麺の目にも鼻にも痛い香りが漂ってきている。本に臭いが移らないか心配だ。


 オタクくんは菓子パンを机に置き、深刻そうな顔で指を組んだ。


「結論から話そう。――野々村紗代が僕の彼女になるに相応(ふさわ)しいか調べたい」

「何様だよ」


 仁の言う通りだ。言い方ってものがあるだろうに。


「だりぃなあ。好きなら好きって言えばいいじゃねえか」

「違うんだよ。気になっているけど、好きになっていいのか分からないから困ってるんだ」

「わけ分からんぞ」

「だから、それを今から説明するよ」


 オタクくんは頭がいいからなのか、よく物事を小難しく考える。まあ、ここは聞くに徹するとしよう。


「例え話をしよう。ここに誰とも付き合ったことがない高校二年生の男子がいるとする。彼は大恋愛をして、結婚して、子どもが三人いる幸せな家庭を築きたいと願っている」

「お前のことだろ?」

「その場合、好きになる相手は女子でなくてはいけない。実は気になっていた相手は男でした、なんてことになったら子どもは望めないからね」

「どう見ても野々村は女だろ。けっこうおっぱいあるし」

「だから例え話だってば」


 ふむふむ。つまり、オタクくんには付き合いたい女性像というものがあり、野々村がその条件を満たしているかを知りたいというわけだ。Ⅾカップはないと嫌だとか、同じ趣味を持っていてほしいとか、そんな話だろう。好きになったのなら相手の特徴なんてどうでもいいと思うけどな。


 ここからが本題、とオタクくんは指を立てた。


「野々村紗代にはいくつか噂があるんだ。動物を虐待しているとか、怪しいバイトをしているとか、パパ活をしているとか、そして――魔女だとか」


 いかにも女子が好きそうな噂だと聞き流していたが、最後のそれだけは興味を引かれた。とろろそばから顔を上げる。


「魔女って、国が(かくま)っているとかいう超能力者のことか?」

「イエス」

「はあ? あんなんただの都市伝説じゃねえのかよ」

「魔女は本当にいるよ。国はうまく隠しているようだけど僕の目は欺けない」


『魔女』というのはいつ、どこから発生したかも分からない都市伝説で、俺が幼稚園に通っていた頃には口裂け女やツチノコと並べて語られていた。魔法みたいな超能力が使える人物のことで、そのいずれもが女性であることから『魔女』と呼ばれるようになった――らしい。SNSでたまに魔女を名乗る人物を見かけるが、実際は手から火を出すフェイク動画だったり、宝くじの当選番号を予言すると豪語する詐欺師だったり、目立ちたがりのインチキな人たちというのが正直な印象だ。


 ただ、オタクくんは冗談みたいなことは言っても冗談は言わない。これだけ自信満々に言うのなら何か根拠があるのだろう。


「火のないところに煙は立たぬ、って言うでしょ。だから魔女は実在するし、野々村紗代の噂にもそう囁かれる原因がある」

「ほうほう」


 仁がカップ麺を抱えたまま身を乗り出す。俺もいつの間にか箸を止めていた。


「まず、動物虐待の件。これは野々村紗代が立ち去った現場に血痕が残されていたことから出た噂らしいんだ。血が垂れた跡というより、小さな血溜まりっていう感じかな。人にしては量が少ないから、動物に怪我をさせたんじゃないかと考えたんだろうね」

「そんじゃ、怪しいバイトってのは?」

「学校の裏門に黒塗りのワゴン車が停まっていて、野々村紗代が、見るからにSPですっていう感じの(いか)つい黒スーツの男たちに連れられてその車に乗り込んでいた……という話から来ているみたい」

「パパ活は?」

「野々村紗代の出身は東京都で、わざわざ高級マンションを借りてこっちに一人で住んでいるらしいんだ。それで横浜の公立高校に通っているっていうんだから、まあ変なわけだよ。そのお金はどこから出ているんだって話」

「ほーん。つまり?」

「三つの噂によって『野々村紗代は魔女』という一つの噂が信憑性を得たって話だよ。血溜まりは魔女の能力によるもので、怪しいワゴン車とSPは国のお迎え、高級マンションは国が用意したもの。こう考えるとすべてが繋がるでしょ?」


 都市伝説によると、魔女は国家機密であり、世界の法則を変えるほどのとてつもない力を持っているそうだ。当然、外国も一部の企業も喉から手が出るほど欲しい。国が安全に管理するために手を尽くしているとしたら、そういった環境が用意されているのも頷ける。


「まあ、そう言われてみればそんな気もしてくるな」


 仁はどうやら半信半疑といった様子。面白い推理だとは思うが、俺も気になる点がいくつかあった。

 そばを一口すすり、飲み込んでから質問する。


「そもそもその噂っていうのはどこまで信用できるんだ? 全部作り話かもしれないだろ?」

「それは心配ないよ」


 言いながらオタクくんがスマホを取り出し、机の上を滑らせてこちらに寄越してくる。この問答は想定内だったのか、操作する前から写真が表示されていた。

 それは路上に広がるささやかな血溜まりだった。赤黒い池に肉片や内臓らしきものが紛れている。食事中に見て気分のいいものじゃない。

 オタクくんが指を伸ばし、次の画像にスライドさせる。今度はお高そうなステーションワゴンに乗り込む、ストレートの黒髪の後ろ姿。さらに次に行くと、タワーマンションのエントランスをくぐる野々村が出てきた。


「面白いことがあるとみんな写真を撮るからね。噂を流した人を突き止めて、証拠はないの? って訊いたらこれが出てきたんだ」


 ほえー、と仁が間の抜けた声を出す。


「ここまで調べたのか」

「これくらいは朝飯前だよ」

「で? 野々村が魔女だったら何なんだよ?」


 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりにオタクくんは大きく頷いた。目を瞑って、勿体ぶるような間を置き、そしてカッと目を見開く。


「僕は付き合うなら魔女と決めているんだ」


 俺と仁が顔を見合わせる。何言ってるんだこいつ。


「僕はいずれ世界最高峰のウルトラコンテンツクリエイターになる。そんな僕に相応しい女とは何か。そう、生きるファンタジー、魔女しかいない。ついでに言うと、可愛くて、胸がそこそこはあって、同い年か年下がいい。野々村紗代が魔女なら、この条件をすべて満たす理想の彼女ということになる」


『ウルトラコンテンツクリエイター』とはオタクくんの造語である。なんかよく分からないが、様々なコンテンツを手掛けるクリエイターのこと、らしい。普通に『クリエイター』では駄目なのだろうか。


「前から思ってたけどよ、お前、頭おかしいぞ」

「頭がおかしいくらいでないといい作品は生み出せないんだ」

「自覚あったのかよ……」

「とにかく、そういうわけで、野々村紗代が本当に魔女なのか調べたいんだ。二人にも協力してほしい」


 どういうわけか分からないし、まったくもって不純で下らない動機である。ただ、実のところ俺も野々村のことは気になっていた。恋愛的な意味ではなく、どうして自己紹介であんなことを言ったのかとか、(かたく)なに人を寄せつけないようにしているのはなぜなのかとか、独りでいることを本当に望んでいるのだろうかとか。要するに、なんとなく心配で放っておけないのだ。


 先に承諾を示したのは仁だった。


「いいぜ。デートとバイト以外の日なら暇だしな」


 俺と仁は去年までバレーボール部に所属していたのだが、四月に新入部員が入らなかったことで二人きりになり、ついに廃部になってしまった。つまり、俺も暇ということである。


「俺も構わないけど……協力って何をするんだ?」


 オタクくんはふっと笑みをこぼし、眼鏡のつるを押し上げる。


「野々村紗代を尾行するんだ」


 ちょっと、いや、だいぶ想定外の答えが返ってきた。どうやら俺は返事と質問の順番を間違えたらしい。


「尾行ってお前、ストーカーってことじゃねえか」

「それを言うならストーカー行為、もしくはストーキングだよ。でも、どちらも間違いだ。僕たちはただ、こっそり後をつけるだけさ」

「犯罪だろ? 分かってんのか?」

「仁、分かっていないのは君の方だよ」


 オタクくんがチッチッチ、と指を振る。実に腹立たしい所作だ。


「考えてみてほしい。僕たちはあと二年で高校を卒業し、大学生になり、社会人になる。大人が女子高生の後をこっそり付いていったら間違いなく通報される。でも、僕たちは高校生で、偶然クラスメートと同じ方向に向かうだけ。たとえ見つかっても何の問題にもならない」

「ならない……のか?」

「堂々と女子高生を尾行できるのなんて今だけなんだ。探偵や警察官にでもならない限りはね。この機会を逃していいのか? 否だよ! 断じて否!」

「くっ、一理あるな……」


 ないだろ。丸め込まれるな。


 溜め息とともに口を挟む。


「俺と仁に尾行をさせて、オタクくんは何をするんだ? 安全なところから指示を飛ばすだけならお断りだぞ」

「そんなわけないよ。女子高生を尾行なんていう貴重な経験を二人にだけさせるわけがない。僕一人でもできるのに誘ったのは、人数が多い方が気づかれにくいからさ」

「主犯はオタクくんってことか」

「言い方は引っ掛かるけど、まあそんなところだね。だから、見つかったときは僕が矢面に立つし、接触する機会があったときには僕だけが野々村紗代と話す」


 うん? 前半はありがたい話だが、後半はどういう理屈かよく分からない。


「なんでオタクくんだけが話すんだ?」


 オタクくんは何かつらい過去を思い出すようにぎゅっと目を瞑った。そのまま、絞り出すように声を発する。


「僕にはこの世で許せないものが二つある。それが、NTRとBSSだ」


 えっと?

 助けを求めるように隣を見れば、仁もこちらを向いていた。


「NTRは寝取りで……BSSは何だ?」


 俺に訊くな。


「僕が先に好きだったのに、の略だよ」

「じゃあ、BS放送のBSは?」

「ブロードキャスティング・サテライト。放送衛星のこと」


 へえ。それは知らなかった。


「ていうか、やっぱり野々村のことが好きなんじゃねえか」

「まだそうと決まったわけじゃない。好きになるかもしれないっていうだけなんだ」

「だりぃ」


 だりぃのは同意だが、話が脱線している。


「そのNTRとBSSがどうした?」

「尾行の先に待っているのは、学校の外、人けのない場所でばったり出くわすというシチュエーションなんだ。そこで野々村紗代が二人と話したら、野々村紗代は僕ではなく、二人のことを好きになってしまう可能性がある。それはつまり……BSSだ。BSSは嫌だ!」


 突然頭を抱えて唸りはじめるオタクくん。俺と仁はドン引きである。

 恐る恐る声をかける。


「その……何かあったのか?」

「最近、そういう小説を読んだんだ」


 小説の話かよ。心配して損した。


「ほら、俺たち彼女いるし、俺なんて野々村に嫌われてるし、心配ないだろ」

「そうそう。俺は(あおい)とラブラブだし」

「いや、仁は見た目の時点でチャラいから信用できないし、優真からはBSSの香りがする。僕の勘は当たるんだ」

「……お前、俺たちのことそんな風に見てたのかよ」


 まあ、仁はたしかにチャラそうに見える。髪を染めているし、がっつり眉もいじっているし、両耳にごつごつのピアスをしているし、シャツの胸元は大きく開いているし。でも、俺のBSSの香りってのは何だ? 意味が分からない。

 とりあえずここは頷いておく。


「じゃあ、野々村との接触はオタクくんの役目だ。俺と仁は尾行に付き合うだけ。これでいいんだろ?」

「そう言ってくれると信じていたよ!」


 オタクくんは勢いよく顔を上げ、晴れやかな笑顔を見せる。友達だと思うと恥ずかしいが、(はた)から見ている分には面白い。


「二人はいつなら空いてる? 可能なら今日の放課後から始めたいんだけど」

「〝から〟ってことは、何日もやるのか?」

「魔女であるという証拠を掴むまでは何度でもやるとも」


 ちょっと面倒くさくなってきた。バイトを増やそうと密かに決める。


「俺は今日か明後日なら行けるぜ。それ以降は要相談って感じだな」

「悪いが今日は予定がある。今週は明日からなら空いているな」

「それなら明後日だね。必ず野々村紗代の正体を暴こう!」


 オタクくんが威勢よく拳を掲げる。テンションがバグってるとしか思えない。

 とはいえ、尾行というのは面白そうだし、まったく気が乗らないわけでもない。俺も肩の高さくらいまでは拳を持ち上げておいた。


 気づけば昼休みも残り少なくなっていた。急いで昼食を片付ける。どこか懐かしいような古本の香りは、唐辛子の臭いに上書きされていた。


「そういえば、オタクくんはゴールデンウィークにバイトしてたんだろ? 何やってたんだ?」


 司書室を出る前に、思い出したように仁が言った。オタクくんはにやりと口の端を吊り上げる。


「今はまだその話をするべきタイミングじゃないんだ。野々村紗代が魔女だと判明したら話すよ」


 オタクくんこそ怪しいバイトをしているんじゃないかと思ったが、触れないでおいた。

噂は噂ですので。

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