第二段階
「世の中には二種類の女がいるんだ。何か分かる?」
野々村が治癒の魔女であると知った翌々日の昼休み、司書室の椅子に座るなりオタクくんが問題を出してきた。ここには俺、仁、オタクくんの三人しかいないので構わないが、時代的に『女』と言うのはいかがなものかと思う。
昔、師匠から似たようなことを教わった。師匠によると、女子は〝彼女〟か〝彼女じゃない〟かの二種類らしい。だから、彼女じゃない人を性的に見てはいけないし、変に意識して臆する必要もない。彼女以外には友達として、あるいはビジネスライクに接することこそ大人であり、〝いい男〟である――と、そんなことを語っていた。
師匠の言葉はもっともであるが、今回の問いかけはオタクくんによるものということを忘れてはいけない。オタクくんに彼女はいない。となると、オタクくんにとっては一種類の女子しかいないことになってしまう。別の答えを探す必要がありそうだ。
先に挙手したのは仁だった。カレーヌードルの蓋を叩きながら、威勢よく回答する。
「そんなもん簡単じゃねえか。ずばり、〝セクシー系〟と〝キュート系〟だ!」
これはまた仁らしい答えだ。世の女性は漏れなく魅力的であるという主張が伝わってくる。ちょっと面白いところもポイントが高い。
仁が主観的に攻めるのなら、俺は客観的な答えを用意しよう。
「じゃあ俺は、〝大人〟と〝子ども〟で」
オタクくんはしばらく、自分の中の答えと照らし合わせるように目を瞑っていた。司書室に束の間の静寂が訪れる。
次の瞬間、唐突にテーブルが叩かれた。ばちんっ、という小気味いい音が部屋に響き、オタクくんの菓子パンがわずかに浮く。俺はびっくりしてそばつゆをこぼしそうになってしまった。
ゆっくりと瞼を持ち上げ、オタクくんが叫ぶ。
「クローズ、バットノーシガー!」
俺と仁が顔を見合わせる。意味が分からないのは俺だけではなかったようで安心した。
仁が鬱陶しそうな目をオタクくんに向ける。
「は? 何だって?」
「惜しい、でも残念ってこと」
「日本語で言えよ」
まったくだ。授業で習わない英語を使わないでほしい。
というか、惜しいならそのテンションはおかしいだろ。
「ちなみに、惜しいのは俺と仁、どっちの答えなんだ?」
「どっちもだよ」
「あ? じゃあ答えは何なんだよ?」
オタクくんは眼鏡のつるをくいっと押し上げ、不敵な笑みを浮かべて言った。
「それはね……〝処女〟と〝非処女〟だよ」
俺と仁は文字通り閉口した。俺たちはこんな下らない話を聞くために呼び出されたのだろうか。
オタクくんが穏やかな表情で片手を前後させる。まあ落ち着きたまえ、というジェスチャーだ。悪いやつではないのだが、時々ものすごく腹が立つ。
「尾行は成功し、野々村紗代が魔女であるという証拠を掴むことができた。でも、これだけじゃまだ僕の彼女になるに相応しいとは言えないんだ。絶対に外せない条件がある」
「まさかお前……!」
「そう、そのまさかだよ。――僕は付き合うなら処女と決めているんだ」
無意識のうちに溜め息を吐いていた。呆れてものも言えない。
俺も男だから初めての人になりたいという願望は理解できる。誰も触れていない真っ新な身体というのはそれだけで魅力を感じるものだろう。
けれど、好きな人に求める条件としては根本的に間違っている。誰だって誰かを好きになり、付き合うことになれば身体の関係だって持つことになる。それはその人の過去であり、人生の足跡であり、その人を構成する一部分だ。それを受け容れられないというのならその人の人格を否定していることと変わらない。
まあ、俺がこんなことを思うのは、その言葉を知った頃には姉ちゃんがとっくに処女ではなかったからかもしれない。魅力的な人なら別の相手と経験を持っているのは当たり前。俺は小学生にしてそれを学んだ。智菜だって済ませているっぽいが、俺は気にしていない。
白けた気分でそばをすする。オタクくんの力のこもった声が勝手に耳に流れ込んでくる。
「僕はウルトラコンテンツクリエイターになる国宝級の逸材だ。そんな僕の彼女になるのなら、誰かに穢されたことがある女は相応しくない。だからこそ処女なんだ。魔女という条件を諦めたとしても、これだけは譲れない」
うーん。友達を間違えたかも。
カレーの匂いをさせながら仁が冷たくあしらう。
「要は処女厨ってことだろ?」
「別にすべての非処女を悪く思っているわけじゃないよ。僕が望む女性像の話さ」
それはそうだろう。世のお母さんはみんな非処女だ。
「そんで? だから何なんだよ?」
「野々村紗代は魔女という条件をクリアした。そこで第二段階だよ。野々村紗代が処女かどうか確かめる」
「ごふっ」
オタクくんがすごいことを言い出したので噎せそうになってしまった。何言ってるんだこいつ。
「確かめるってどうやってだよ? 本人に訊くってか? それとも、捕まえて強引に股を開いて膜があるか確認するってか?」
「本人の言葉なんて当てにならないし、運動していたら処女膜が破れることだってある。それじゃ確かめたことにならないよ」
そういう話じゃないだろ、と思ったが、とりあえず静観しておく。
オタクくんは真面目な顔で指を立てた。
「そこで、純潔の魔女を使う」
また魔女だ。野々村以外の超能力者。
オタクくんには悪いが、野々村が処女かどうかなんてどうでもいい。そんなことより、野々村が笑顔を取り戻せるようになることが俺には重要だった。
記憶の魔女への手掛かりになるかもしれない。そう思ったときには身を乗り出していた。
「純血の魔女っていうのは何なんだ? 魔女は女性しかいないんだから、魔女同士から生まれた魔女ってわけでもないんだろ?」
「純血、混血のジュンケツじゃないよ。穢れなく清らかの方の純潔」
そっちかよ、紛らわしい。
「で、どんな能力を持っているんだ?」
「その名の通りだよ。純潔の魔女は相手が純潔かどうかを見抜く能力を持っている。要は、処女か非処女か、童貞か非童貞かが分かるってこと」
「うわー、えげつねえ」
仁が引き攣った声を出す。俺は一瞬、下らないと鼻で笑いそうになったが、仁の感想を聞いて思い直した。たしかに、思春期真っ只中の俺たちにとってその情報は強烈なものだ。
ただ残念なことに、記憶の魔女に繋がるとはとても思えない。
椅子に座り直し、大人しくオタクくんの話に耳を傾ける。
「僕が純潔の魔女を見つけられたのは偶然が重なったからなんだ。『マリノリティ』っていうアイドルグループは知ってる? 大手芸能事務所が売り出してそれなりに話題になっている八人組で、全員が二十歳前後の女子で構成されているんだけど」
「ああ、なんかテレビで観たことがあるな」
「ファンの間ではグループの全員が処女だっていう噂があって、それが男性の支持を集めているんだ。そんなのどうやって確かめたんだろう、みんなどうして信じるんだろうって気になったのがそもそものきっかけ。で、調べてみるとクレジットに『姫路有栖』という名前を見つけた。スタッフでもデザイン関係者でもない。なら何だろうと考えて、メンバーが処女だと証明した魔女だと見当をつけたんだ」
ファンの身勝手な幻想と切り捨ててしまうような話に、オタクくんは疑問を抱き、大きな秘密が隠されていると睨んで行動を起こした。その嗅覚には感心せざるを得ない。
「その『姫路有栖』を見つけられたのも本当に偶然。僕の妹が私立の女子高に通っているんだけど、姫路有栖って知らないかと訊いてみたら、同じ名前の子がクラスにいるって言い出したんだ。これはもしかして、と思って本人に確認を取ってもらったら潔く認めてくれた。――というわけで、僕は純潔の魔女と繋がりがあるんだ」
話が一段落着くと、仁は半ば茫然と呟いた。
「オタクくん、お前……妹がいたのか」
そこは俺も驚いたが、今はどうでもいい。
「純潔の魔女が本当にいるってことも、それを見つけ出したオタクくんがすごいってことも分かったよ。で、それを俺たちに話してどうするんだ? さっさと純潔の魔女に頼んで調べてもらえばいいじゃないか」
俺たちの許可を取りたくて話したわけでもあるまい。どうせまた何か協力させるつもりなのだろう。
本音を言えばプライベートかつデリケートなことを勝手に調べるのは反対だ。野々村が可哀想ではないか。説得をしようと思わないのはオタクくんが素直に聞く性格ではないことを分かっているから。
お茶で唇を湿らせ、オタクくんはそっと溜め息を吐いた。
「一人でできるならとっくにそうしているよ。実は僕もまだ純潔の魔女には会っていないんだ。国がチェックしているからって理由でRINEもメールも受け付けてくれないし、能力の詳細は直接話すと言って譲らない。だから会うことになったんだけど……僕一人だと問題があるんだ」
「問題って?」
「ここからは僕の予想だけど、純潔の魔女が会おうと言っているのはそれが能力の使用条件に絡んでいて、その結果次第で依頼を受けるかどうかを決めるためだと思う。もしも『童貞とは口を利かない』と言い出されたらそこでお終い。依頼料は三万円っていうからバイトしたのに、それが無駄になっちゃうんだよ」
「お前、そんなことのためにバイトしたのか!」
驚きのあまり隣の仁が目を剝いている。オタクくんがゴールデンウィークにしていたというバイトがここに繋がるとは思わなかった。
「そんなわけで、純潔の魔女に会うのなら童貞と非童貞が揃っていなくちゃいけないんだ。仁が来てくれたらこの問題はクリアされる」
「ふ、なるほどな。そういうことなら俺に任せろ」
はいはい。どうせ俺は童貞ですよっと。
「じゃあ、今回俺は必要ないんだな?」
「何言ってるのさ。優真も必要だよ」
勝手に安心していたところ、あっさりと否定されてしまった。
オタクくんは有無を言わさぬ強い口調で続ける。
「さっきは会うことが能力の使用条件って言ったけど、別の可能性も考えられるんだ。声を聞くとか、顔を見るとかね。この場合、優真がいれば野々村紗代に連絡を取ってその場で対処できる」
「俺は野々村の連絡先なんて知らないぞ」
「はい噓。今、目の窪みが小さくなったよ。動揺したときの反応だ」
うわー、嫌なやつ。
「そもそも、優真は貸しを返してくれるって言ったじゃないか。協力してもらわなくちゃ困るよ」
「俺はそんなこと言ってない」
「そう言わないでよ。僕の人生に関わる大事なことなんだ。お願い! この通り!」
両手を合わせて頭を下げるオタクくん。まったく、厄介な友人を持ったものである。
いつもなら、まあ面白そうだしと軽い気持ちで了承しているところだが、今回に関してはわりと本気で行きたくなかった。
野々村のため、ではない。俺が拒否しようとオタクくんは勝手になんとかするだろう。そこは既に諦めている。
問題は会いに行くのが童貞を見抜く純潔の魔女で、さらに俺が童貞ということだ。
童貞か否かなんて気にすることではないと思っている。誰かを愛する人生を送れば自然に捨てるものだ。いつまで持っているからどうという話でもない。
だが、初対面の女子に面と向かって童貞呼ばわりされるのは、なんというか、すごく嫌だ。純粋に恥ずかしい。ぷーくすくす、などと笑われた日には落ち込む自信がある。
まあ、理由というのはそれだけだ。
オタクくんはまだ頭を下げている。ちっぽけなプライドと友達、〝いい男〟ならどちらを取るべきか。答えは考えるまでもない。
ここは俺が折れるしかないのだろう。俺は聞こえるように溜め息を吐いた。
「分かった分かった。行くよ。行けばいいんだろ」
「ありがとう! それでこそ優真だよ!」
オタクくんが顔を上げて満面の笑みを見せる。現金なやつだ。
「一応訊くが、それって明日だよな?」
「そう。電話で予定を訊いたのもこのためだよ」
「来週の土曜日になったりはしないか?」
「もうアポ取っちゃったから無理だよ。向こうも忙しいらしいし」
くそ。やっぱり駄目か。月曜日には卒業予定だというのに、まさかその二日前に童貞かチェックされることになるとは。
しかし、気にしても仕方がない。俺は童貞を捨てるために智菜と愛し合うのではなく、愛しているから愛し合うのだ。それがいつかなんてどうでもいいし、その前の俺を誰に笑われようと関係ない。
覚悟は決まった。野々村には申し訳ないが、オタクくんの望みを叶えるとしよう。
「野々村紗代調査計画もいよいよ大詰めだね。頼りにしてるよ、二人とも」
何やら感極まっているらしいオタクくんが一人で頷く。
そこに、しばらく黙っていた仁が水を差す。
「あのよお、言わない方がいいとは分かってるんだけどよお……どうしても言いたいから言ってもいいか?」
言わない方がいいと分かっていることは言ってはいけない。そこを堪えることができるのが〝いい男〟だ。師匠は俺にそう教えてくれた。
でも、気になるから聞いておこう。
どうぞ、と俺が片手を見せると、仁は声を潜めて言った。
「野々村が処女じゃないわけねえだろ」
ここが教室じゃなくてよかったと、俺は心から安堵した。
ネタバレ
『純潔の魔女』などというふざけた魔女はいません。




