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厄介だけど頼れる味方

 野々村と別れた後は一人でまっすぐ帰宅した。もちろん仁とオタクくんのことを忘れたわけではない。辺りを探してもどこにも姿が見えず、電話をしても出なかったため諦めたという次第だ。


 突然スマホが鳴り出したのは夜八時のことだった。恐らくは智菜だろう。断りも入れずに電話を掛けてきては「声が聞きたくなっちゃって」と可愛いことを言うのだ。こういうことが週に二回くらいある。

 俺は夕食を終え、自室で筋トレをしていた。電話なので汗臭いことは問題ないのだが、息が乱れてしまっていることが気になる。なんとなくカッコ悪いし、お喋りにも支障が出そうだ。そんなわけでスマホには気づかなかったことにした。


 ところが、十秒経ってもコール音は止まない。これは智菜ではないなと察して画面を見ると、そこには『オタクくん』と表示されていた。オタクくんが電話を掛けてくるなんて初めてのことだ。慌てて通話ボタンを押す。


「もしもし。オタクくんか? どうかしたか?」

『どうかしたかじゃないよ。作戦をほっぽり出して野々村紗代と話した挙句、何の報告もなしだなんてひどいじゃないか。こっちは大変だったんだよ』


 スマホからオタクくんのむすっとした声が響く。どうやら俺は怒られるらしい。


 頭に血が上っている相手の対処法は二種類ある。一つは平身低頭して詫び、相手の溜飲が下がるのを期待すること。もう一つは、平穏な心で聞き、相手が落ち着くのをじっと待つこと。

 俺は後者を選んだ。スマホをスピーカーモードにして筋トレを再開する。見えなければこちらが何をしているかなんて分からない。


「大変って何が?」


 まさかストーカーと思われて捕まったのか、と考えたら、そのまさかだった。


『優真が野々村紗代と接触してすぐ、スーツ姿の二人組が僕らに声をかけてきたんだ。野々村さんに何か用ですか、ずっとつけ回していましたよね、って』

「マジか」

『大マジだよ。やつらは野々村紗代を尾行していた僕らを尾行していたんだ。二重尾行ってやつだね。まんまとやられたよ』

「それで、オタクくんと仁はどうなったんだ?」

『車に乗せられて強制的に家に帰された。車の中では、もう野々村紗代の後をつけないことと、今日見たことを口外しないことを約束させられたよ』

「〝今日見たこと〟?」


 思わずおうむ返しをしていた。口にした後で、とぼけるにしては下手な演技だと反省した。

 オタクくんは呆れたような口調で言う。


『野々村紗代が猫を生き返らせたことだよ。魔女だとは思っていたけど、あんなとんでもない能力だったとはね。あのブログに照らし合わせて言えば「肉体干渉系」に当たるのかな』

「見えてたのか……」


 電柱から野々村までは距離があったので油断していた。せっかく野々村が頼ってくれたのに、俺は何も隠せていなかったようだ。

 密かに落ち込んでいると、ああごめん、と平坦な声が耳に触れた。


『勘違いさせちゃったかな。僕と仁は野々村紗代が能力を使うところを実際に目にしたわけじゃないよ』

「なに?」

『僕が見たのは、優真が広げた学ランから白い猫が飛び出したところだけだよ。野々村紗代が立ち去った場所に血痕が残されていたという噂、あの場で立ち尽くしていた野々村紗代、作戦を変更してまで声をかけた優真、この三つの情報から、そうじゃないかと推理したんだ』


 オタクくんは名探偵気取りで種明かしをする。スマホの向こうではドヤ顔をしているのだろう。その姿を想像すると腹立たしくなり、危うく通話を切りそうになった。


『言っておくけど、別に鎌を掛けたわけじゃないからね。この通話の前から僕は野々村紗代が魔女であると確信していたんだ』

「そう、か。それは、よかった、な」


 むしゃくしゃする気持ちを力に変えて腹筋する。これはいい。今なら限界を超えられる気がする。


『怒っていたのは事実だけど、それ以上に感謝しているんだ。優真が行動を起こしてくれたお陰で必要な情報が手に入った。これで次の段階に進める』

「野々村のことが、好きになったって、ことか?」

『いいや、まだ違うよ。これからそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。すべては野々村紗代次第なんだ』


 どういうわけか、俺はその言葉に安堵しているようだった。今のところオタクくんは野々村のことが好きじゃない。だとすると野々村のことが好きな男はいないかもしれない。その事実に、強張っていた心が弛緩するのを感じた。


 野々村には笑顔でいてほしい。けれど、笑顔を向ける相手が他の男だと思うと無性にもやもやする。

 きっと、俺だけが野々村の笑った顔を知っているから、それを他の誰かに知られてしまうのが嫌なのだ。お気に入りのアーティストを見つけたときの、大成してほしいけどあまり有名にならないでほしいと願ってしまうような矛盾した気持ち。そういう子ども染みた独占欲を野々村に対して抱えているのだろう。


 そう、そのはずだ。

 俺には智菜という大事な彼女がいる。他の女子に気持ちが行くなんてことはあり得ないし、あっていいわけがない。


 雑念を振り払うように腹筋のペースを速める。余裕があるから余計なことを考えるのだ。もっと自分を追い込まなければ。


「それで? そんな、ことを言う、ために、電話して、きたのか?」

『……さっきから何してるの? もしかして僕、NTR通話に付き合わされてる?』


 俺にそんな趣味はない。そもそも、オタクくんには彼女も好きな人もいないじゃないか。


「腹筋、してる」

『なんで?』

「俺は、昔から、身体を鍛えてるんだ、よ」


 これは噓だ。本格的に腹筋を始めたのは先々月、正確には智菜と付き合いはじめてから。

 交際するとなれば身体の関係も視野に入ってくる。事に及ぶときにだらしない肉体を見せて幻滅されたくない。あわよくばバキバキに割れた腹筋に惚れ直してほしい。そう願うのが男という生き物ではないだろうか。初体験を間近に控えた男であれば誰でも同じことをすると勝手に思っているのだが、まあ、異論は認めよう。


 なお、バレーボール部でしごかれたお陰で俺の腹筋は既に割れている。今はまだ〝めきょめきょ〟くらいなので、〝バキバキ〟に仕上げようと頑張っているのだ。


『ふうん』


 さして興味もなさそうな返事を挟んで、オタクくんが話を戻す。


『電話したのは急いで予定を確認したかったからなんだ。今週の土曜日って空いてる?』


 うーん。これは嫌な予感。


「空いてないって言ったら?」

『何が何でも空けてほしい』


 そこまで言われると断りづらい。まあ、元から予定は空いているのだが。


「分かった。土曜日だな」

『ありがとう。絶対に空けておいてね』


 それじゃあ、と電話が切られそうになった段階で突然思い出した。オタクくんに訊きたいことがあったのだった。


「あっ」


 腹筋を中断してスマホに飛びつく。幸いなことに通話はまだ繋がっていた。

 スピーカーから不満そうな声が流れてくる。


『なに? まさかやっぱり予定があったの? 駄目だよ。もう約束したんだからこっちを優先してくれないと』

「違う違う。別件だ。――オタクくんは『記憶の魔女』って聞いたことあるか?」

『なるほどね。野々村紗代が調べていたのは記憶の魔女についてだったってわけか』


 さすがに鋭い。いや、俺が隠せていないだけのような気もしてきた。


『野々村紗代は図書館で魔女の情報を集めていて、優真は今日、野々村紗代と接触した。これだけの情報があればそういう結論にもなるよ』

「はいはい。その通りだよ、名探偵」

『探偵じゃなくて頭脳バトルものの主人公のつもりだったんだけど』


 知るか。頭脳バトルなら俺以外とやってくれ。


「それで、記憶の魔女は知ってるのか?」

『本当にいるのかは分からないけど、そういう噂はあるよ。特定の記憶について消したり、逆に忘れていることを思い出させたりできる……みたいなことを聞いたことがあるかな』

「もっと詳しい情報はないのか?」

『これが精一杯だよ。調べるのも無理だと思うし』


 オタクくんにしては珍しい台詞だ。てっきり、三日あれば特定してみせるよ、くらい言ってくれることを期待していた。

 スマホを握り、息を吹き込むようにして問いかける。


「それは、オタクくんでも無理ってことなのか?」

『うん。他の魔女ならともかく、記憶の魔女だけはほぼ間違いなく見つけられない』

「どうしてだ?」

『記憶を消せるんだよ? 記憶をどうこうしてくれって会いに来た人がいたら、〝記憶の魔女の記憶〟を消してから帰すと思う』


 言われてみればその通りだ。身を守るために魔女が正体を秘匿するのは当然のこと。だから、知られてしまったときは〝知られなかった〟ことにしようとする。記憶の魔女なら能力でそれを叶えることができるのだ。


 野々村が俺に、記憶の魔女と会わないようにと約束させたことも今なら納得できる。記憶の魔女を見つけてもその記憶を消されてしまっては意味がない。俺が余計なことをしないように釘を刺した、といったところだろう。


 しかし、そうなると記憶の魔女の捜索は絶望的だ。知っている人間がどこにもいないのなら情報なんて出てくるはずがない。

 野々村には『見つけてみせる』なんて大口を叩いてしまった。調子に乗ったことは認めるが、やっぱり無理だった、なんてみっともないことは言いたくない。


 なんとかしなければ。

 でも、いったい何をしたらいい?


 文字通り頭を抱えていると、スマホから救いの声が飛んできた。


『勘違いしてそうだから一応言っておくけど、〝絶対〟じゃないよ。〝ほぼ間違いなく〟だからね』


 弾かれたように顔を上げた。声が喉に絡むのも無視して、勢い込んで訊ねる。


「それはつまり、可能性はあるってことなんだよな?」

『情報がないから何とでも言えるってだけだよ。レイナちゃん氏のように〝同じ人物に対する能力の使用は一度だけ〟みたいな縛りがあったら、依頼者から自分の記憶を消すっていうさっきの前提は崩れるでしょ? それから、国のパソコンをハッキングしたら記憶の魔女の情報も出てくるかもしれないし、依頼できる立場になれば会うことは叶うかもしれない。他には〝魔女を探し出す魔女〟を見つけるっていう手もあるよ』

「そんな魔女がいるのか?」

『僕はいると思っている。だって、そういう魔女がいないと国がどうやって魔女を探し出しているのか説明がつかないから』


 ハッキングやら依頼主になるやらはともかく、記憶の魔女を探すために別の魔女を探す、というのはいい案に思えた。餅は餅屋、魔女探しには魔女だ。捜索は何も進んではいないが、進めてもいいと思えることが俺には重要だった。


「ありがとな、オタクくん。ちょっとだけ希望が見えてきた」

『お礼なんていいよ。土曜日に返してもらうつもりだから』


 おっと、なんか恐いことを言われたぞ。


「俺に何をさせるつもりなんだ?」

『それは明後日の昼休みに話すよ。明日は用事があって昼休みも放課後も忙しいんだ』

「そうか。じゃあ、明後日を怯えながら待つとするよ」

『うん。楽しみにしてて。――じゃあ、そろそろ寝るよ。おやすみ』

「おう、おやすみ」


 通話を切ると途端に静けさが押し寄せてきた。

 俺はずっとこの部屋にいたというのに、久しぶりに帰ってきたような不思議な気分になった。散らかった勉強机も、足がはみ出すベッドも、転がったバレーボールも、よそよそしく黙り込んでいるように見える。


 人は生殖本能によって恋をする、などと言うが、本当は孤独を恐れているからなのではないだろうか。ふと、そんなことを考えた。

 孤独は退屈で、淋しくて、苦しい。誰だって独りぼっちで平気なはずがない。


 きっと、野々村も同じだ。


 自己紹介で周りを拒絶するようなことを言っていたが、あれが本心だとは思えない。本心ならあんな悲しそうな顔はしない。

 今はただ、〝忘れたいこと〟のせいで笑えなくなっているだけなのだろう。


 それを忘れられたら、野々村は笑えるようになるのだろうか。

 俺は野々村の彼氏ではないけれど、野々村の幸せを願うことくらいは許されるだろうか。


 答えが出ないまま夜は()けていった。

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