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第1話 これ以上、こんなところにいてたまるか!

 母が死んだ。


 朝、メイドが母に朝食を運んだ時、既に母は息をしていなかったという。

 テレサがここへきた時にはもう、母親の身体は冷たくなっていた。


「……お母さん」


 そっと頬に触れる。テレサ、と優しい声で呼んでくれていた母はもうこの世のどこにもいない。

 テレサの瞳から大粒の涙が溢れ出し、母親の頬を濡らした。


 母は昔から病弱で、ベッドで過ごす時間が長かった。ここ最近は、ほとんどベッドから起き上がれない日々が続いていた。

 けれどまさか、死んでしまうなんて。


「私、これからどうしたらいいの」


 母親はバウマン公爵の妾で、テレサはその娘である。

 妾の子だということを理由に散々虐げられてきたが、母のために耐えてきた。


 母は高い薬を常用しており、その薬を用意してくれていたのがバウマン公爵だったのだ。

 どれほど辛い思いをしても、母の薬のためなら我慢できた。


 でももう、母はいない。


 扉が急に開いた。コツン、というヒールの音が部屋に響く。

 振り向くと、そこには腹違いの妹・メリナが立っていた。


「あら、こんなところにいたの、お姉さま」


 言いながら、彼女がゆっくりと近づいてくる。長い金色の髪が揺れるたびに、鬱陶しいほど薔薇の香りがした。


 金髪碧眼の、人形のように美しい少女。

 彼女は正妻の娘で、そして、聖女と呼ばれる存在である。

 石化病、と呼ばれる奇病を、彼女だけが治すことができるのだ。


「こんなところって……」

「わたくし、ここ、大嫌いなのよ。狭いし、調度品の趣味も最悪だわ。陽当たりだけは悪くないけれど」


 母が死んだばかりだというのに、メリナはくすくすと声を上げて笑った。


 目の前が真っ赤になる。全力でメリナを睨みつけると、メリナはさらに笑った。


「怖いわ。野蛮な怪力女は、眼差しだけで人を殺せそうね」


 怪力女というのは、テレサのあだ名である。

 というのも、テレサの異能が怪力だからだ。


 ローベルヘルム王国は、異能使いによって作られた国である。

 現在の貴族は、建国に貢献した異能使いの末裔だ。

 年々血は薄れ、異能を持つ者は減っているが、テレサは異能使いとして生まれた。


 怪力という異能を持つテレサと、奇病を治す異能を持つメリナ。

 姉妹なのに、正反対の異能だ。


「今日はお姉さまにいい知らせがあるの」

「いい知らせ? こんな時に?」


 母が死んだのだ。なにを聞いたって喜べるはずがない。


「ええ。お姉さまの婚約が決まったの」


 メリナはテレサを見つめ、にっこりと笑った。


「平民の母を持つお姉さまでもいいとおっしゃるんだから、とてもいい相手よ。

 まあ、年齢はもう50を過ぎているらしいけど」


 50過ぎの男と婚約。

 貴族社会ならよくある話だ。けれど、嫌がらせとしか思えない。


 私のことをさんざん虐げてきたくせに、外交の道具にだけはしようとするなんて。


「よかったじゃない。お姉さまみたいに女の子らしくない人でも許してくれるのよ?」


 そんな婚約、受けるはずないでしょ。


 テレサが言い返そうとした、その時。


「拒んだら、どうなるか分かるわよね?」


 メリナの視線は真っ直ぐ、母の遺体に向けられている。

 テレサが何も言えなくなってしまうと、勝ち誇ったように高笑いした。


「お姉さまがちゃんとしてくれるなら、立派な墓を建ててあげるわよ」


 要するに、従わなければ母の遺体をどうするか分からないぞ、と脅しているわけである。

 ぎゅっ、と拳を握り締め、テレサは床を睨みつけた。


「じゃあまたね、お姉さま」


 メリナが笑いながら部屋を出て行く。扉が閉まった瞬間に、テレサは地面に座り込んでしまった。


 酷い。あまりにも酷すぎる。


「私とお母さんが、何をしたって言うわけ……」


 なんとか立ち上がり、再び母に近寄る。

 母の手をそっと握ったつもりが、力の調整が上手くいかず、母を引っ張ってしまった。

 その拍子に枕がずれ、下にあった封筒が出てくる。


「手紙?」


 いったい、なんだろう。

 母の遺書だろうか。母は、自分の死期が近いことを悟っていたのだろうか。


 覚悟を決めて、テレサは封筒を開けた。中に入っていたのは、やはり手紙だった。



『テレサへ


 私のせいで、いつも迷惑をかけてしまってごめんね。

 傍にいてくれる貴女の優しさに甘えていたわ。貴女を自由にしてあげたかったけど、私は貴女が離れていってしまうことが怖かったの。


 テレサ、貴女はもう自由よ。

 私はもう、貴女の中にしかいないのだから』



 きっと、これだけの文を書くのにかなり苦労したのだろう。文字はところどころ歪んでいる。


「私は、もう自由……」


 母親に、そっと背中を押された気がした。

 きっと母は、自分の墓のためにテレサが無理をして嫁ぐことを望まないはずだ。


「お母さん、私、決めたわ」


 これ以上、我慢しない。こんなところから逃げ出してやるわ。

 私はここを出て、自由に生きてやるんだから。

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