第八話 料理 ~やさしさのかたち~
遥か昔、天下は混沌とせり。
そこに天より十二匹の猿舞ひ降りき。十二匹の猿は彼方より追放されし者。
猿どもは神を呼びき。神は猿どもの願ひにこたへ、地上を残すものと追ひやらるるものとに分けき。
神は去に、猿どもは人の始祖となる。
猿どもの子孫は栄えき。されど終はりの時は近し。政は荒れ、わたりの不満は頂点に達す。
この天下にまた神を降臨さする要あり。そのために生贄したため、また天下造り直すべし。
神を求むる者は尽力せよ。かくて再生の時を志すなり。
(十二匹の猿教団 教義その一より)
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「えー、新入生を紹介します。最近多いな? 入りなさい」
ホームルーム。担任がやる気なさげに扉を開けると、二人の生徒が入ってきた。
一人はカールがかった金髪で背の低い少女、一人は白髪を短く切った長身の少女だ。後者はどことなく大人の雰囲気が漂っており、セーラー服がややミスマッチにも思える。
二人はそれぞれ黒板に自分の名前を書く。
金髪の少女はやや筆記体風に、白髪の少女は中国語らしいフォントで書いていった。
「流カルマ。いわゆる帰国子女だ。よろしく」
「中国から留学してきました。美猴です。よろしくお願いします」
金髪の少女はややぶっきらぼうに、白髪の少女は恭しくお辞儀をした。
ミカドは席に座りながらも、新入生二人を見る。彼女らの視線もまた、ミカドに注がれた。
一瞬ぴりっと空気が振動する。クラスメイト達も違和感を覚えたようで、あたりをきょろきょろと見る子もいた。しかしその正体に気づく一般人はいない。
三人の間に目に見えない火花が散っていた。同族を感じた時の、殺すか殺されるかの緊張感。それに似たものを彼女たちは感じ取っている。
ユリはミカドの隣の席で、彼女らのにらみ合いを間近で見ていた。
(きっとあの子たちも、ミカドと同じ……)
ごくっとユリはつばを飲み込む。
これから、どんな戦いが繰り広げられるのか……。
「ミカドくんもイケメンだけど、あのちっちゃい子も可愛いわね……」
「あの背の高い子、お姉さまって感じで素敵だわぁ」
「私はミカドくん狙ってるからね!」
周りの女子たちは能天気にそんなひそひそ話をしている。
一限後の休憩時間に、美猴王はユリの席まで来て、座ったままのユリに手を伸ばした。
「初めまして。岬ユリさん。同じ学校で学ぶ身、仲良くしましょう?」
「美猴さん、初めまして……あたし、自己紹介しましたっけ?」
悪手に応じたユリだったが、美猴王の手が妙に冷たいことに不気味さを覚えた。
そんなユリを羨ましげな眼で見るクラスメイト達。美猴王は微笑み、ぎゅっと差し出されたユリの手を両手で握りしめた。
ユリはぞくっとして、手を引っ込めようとしたが、それを理性で押しとどめる。
明らかにこの少女は自分のことを知っている。しかし一体なぜ?
ミカドの席の上に、どかっとカルマが座った。
冷淡な目で机に乗せられた尻を見るミカドをカルマはねめつけ、恨めしそうに言う。
「あんた、いい気になってんじゃねぇぞ……。俺はあんたを認めない。もし殴り合ったら、絶対にぶちのめしてやる」
「いきなりご挨拶だな。ま、私に勝手に対抗意識を持っても構わん。勝負でもするか?どうせ勝つのは私だ」
「望むところだ」
ちらりとカルマは掲示板に貼られた、次の時間割を見る。
家庭科、調理実習。体育ではないのが少し残念だが、実力がはっきりと表れる場所に違いはない。
「ならまず、前座といこうや。何でもいいからお前を負かさないと気が済まねぇ。調理実習で一番うめぇ料理を作ったほうが勝ちだ」
「料理で私に勝とうというのか。無謀にも程があるな。ハンバーガー屋が懐石料理に勝つと思うのか?」
「うまいもんが正義なんだよ。そして正義は俺にある」
そしてカルマは、横の席のユリをびしっと指さす。
「審判はこいつだ! こいつをうまいと言わせた奴が勝ちだ!」
「ええっ?」
いきなりのことにユリは狼狽する。
「ちょっと、話が分からないんだけど……何であたしが審査員なわけ?」
「近くにいたお前が悪い」
「えぇ……」
ユリは呆れ返ってしまう。カルマは、ふんと鼻を鳴らした。
「次作るのは実家の家庭料理だったはずだ。絶対に負けるはずがねぇ」
「相当な自信だな」
ミカドは腕を組む。
「ユリは毎朝私の作った味噌汁を飲んでいる。ユリの好みは把握済みだ」
キャーッ、と盗み聞きしていた女子たちから黄色い声が上がる。ユリは一気に赤面してしまった。
「ちがっ、皆、あたしとミカドは別にそんなんじゃ……」
「あら。それ、私も参加させていただける?」
白熱した議論に美猴王が割り込んでくる。その優しげな声は、ぎすぎすした空気の中で一種の清涼剤だった。
「ユリさんに美味しい料理をぜひご馳走したいと思って。いい機会だわ」
「美猴さん、ありがたいけど、そろそろ手を離してもらえない……?」
さっきからずっと美猴王はユリの手を握っている。さすがにユリも手汗をかいてきた。
「負けねぇぞ。俺はこの日のために食材を用意してきた。まずは舌から、お前をあっと言わせてやる!」
「私は誰の挑戦も受けて立つ。活きのいい奴だ。来る相手は迎え撃つ」
「私の中国直伝の料理も負けてはいませんわ」
「だから美猴さん、手を離して!」
そういうことで、三人の料理対決が決まった。
・
調理実習。クラスメイト達の視線は、中央の机で料理をする三人に注がれていた。
鍋を延々とかき混ぜ、シチューのような赤黒い液体に調味料を加え続けるカルマ。
季節の野菜を揃え、包丁で手ごろな大きさに切り、豆腐を主体に盛り付けていくミカド。
中華鍋に油を加え、じゃっと炒飯を炒める美猴王。
エプロンをつけた彼女らは真剣に食材と向き合い、誰もが料理人顔負けの面持ちをしている。
そして、図らずも審査員となったユリは、びくびくしながら料理が出来上がるのを待っていた。この自分の決定には大きな意味がある。そう思えてならなかった。
「できた!」
三人は同時に料理を完成させ、ユリの前に料理を盛りつけた皿を置く。
カルマは大豆とトマトの入った赤いシチュー。
ミカドは豆腐を色とりどりの野菜と冷やし餡で彩った精進料理。
美猴王はふかひれの乗ったあんかけ炒飯。ふかひれなんてどう持ってきたんだ、とユリは思わずにいられなかった。
「まず俺の料理からだ。いいな?」
ぎろっとカルマはミカドと美猴王を睨む。
「私は構わんぞ」
「私もいいですよ」
二人の了承を得て、勝ち誇った顔でカルマはユリに湯気の立ったシチューを差し出す。
正直喧嘩腰のこいつに、まともな料理が作れるのだろうか? スプーンを手に半信半疑になりながらも、ユリは一口食べた。
舌先に程よい酸味と、作った人間からは考えられない温かさ、田舎味を感じ、ユリはハッとしてしまう。
「……うまかったようだな。俺の故郷のポークビーンズ」
呆気にとられるユリにカルマは勝ち誇った顔をする。
「母さんがよく作ってくれた料理だ。故郷の母さんの想いが籠ったこの料理が、負けるはずねぇだろ」
「あんた、見かけによらず人情が厚いのね」
ユリに言われるとカルマはきょとんとして、それから、かぁっと顔を赤くした。
「……うるせぇ。さ、次の奴が冷めねぇうちに食いな」
ミカドがすっと豆腐の乗った皿を出す。
ミカドは朝食をいつも作ってくれる。大抵は和食。だから、この豆腐の料理も美味しいだろうことはわかっていた。
だからこの豆腐も、疑わずに食べた。
おぼろ豆腐の滋味。野菜の旨味と昆布を主体とした自家製の出汁を加えた優しい味。とことん相手を思いやった、ミカド特製の優しさが詰まった味だ。乗っている野菜も、ユリが好きなものだ。きっとこれを作っている間も、ミカドはユリのことを想ってくれていた。うーん、とユリは幸せな顔をしてしまう。
「私の料理も負けてないようだぞ」
言葉を出せないユリを見て、ミカドは笑みを浮かべる。ちっとカルマは舌打ちをした。
「では、私の番ですね」
最後に美猴王が出してきた、ふかひれあんかけ炒飯。しかも市販の餡ではなく、ひれの形がはっきりとわかる、本物のふかひれだ。この中では一番上等な食材を使っているが、食材が良いからといって、一番美味しいとは限らない。
既に二度も感動しているものの、三度目はないだろう。そう思いながらユリは一口食べた。
その瞬間、ユリの舌先を宇宙が駆け巡った。
ふかひれ特有の、ヴェールで包み込むような優しい味。まったりと舌の先からじんわり広がっていく、丸め込むような温かさ。炒飯の米も絶妙だ。塩辛すぎない味付け、しっとりとした米は、上に乗ったふかひれをしっかりと支えるものだ。
「……ん!」
ユリは初めて声を出した。声を出さざるを得なかった。
これは料理の形をした宇宙だ。一つの世界だ。
カルマとミカドはユリに瞠目した。美猴王一人が勝ち誇っている。
「……この勝負、私の勝ちのようね」
美猴王はふふっと笑った。