第七話 美猴 ~せいてんたいせい~
「ユリ。そんなものいじって、何が面白いんだ」
ミカドは夕食の後、ソファに寝そべってスマホをいじっているユリの背中に言った。ユリは画面をいったん閉じ、寝そべったままミカドに首を向ける。
「あんた、スマホ持ってないの? 面白いとか面白くないとかじゃなくて、生活の一部なんだけど」
「私はそんなもの持たない。使い方くらい知っているが、電話で連絡する相手もいないし、ネットで知りたいと思うこともない。純粋な興味から訊いただけだ」
「まー、あんたほどの完璧超人は一人で何でもできるから、わざわざネット毎日見なくてもいいかもね。あたし、常に誰かと繋がってないと不安になるんだ。今知ってる人が何してるのか、自分だけ置いてかれないかってね。だからニュースも、動画サイトも毎日チェックしてる」
「そういうものなのか。今時の人間は面倒くさいな」
「面倒くさいけど、そうゆーもんだよ」
ユリは上体を起こし、スマホの画面を明るくしてミカドに向けた。
「でもさ、今時SNSのアカウントも持ってないのは常識に欠けるよ。見て。今世間を騒がせてる教団。それについて色んな人が話してる」
ミカドは画面を覗き込む。そこには単語検索で出てきたらしい多数のツイートが、とある話題について語り合っていた。
『十二匹の猿教団は、すばらしい団体です。宗教と言われると日本人は身構えてしまいますが、決してお金を巻き上げようという悪徳集団ではありません。誰も彼もに、生きている意味を教えてくれる場所なのです』
『速報・カルトに騙されるな! 十二匹の猿教団が心中を扇動? 若者十数名が失踪 記事は下記のリンクから!』
『オウムに次ぐカルト出現 日本終わったな #十二匹の猿教団』
『十二匹の猿教団に入信して人生救われました。価値のない私に意味を見出してくれてありがとうございます』
賛否両論、というより、信者と民衆といった構図が繰り広げられている。ミカドはふむ、と差し出された画面を眺め、細い指でスクロールしていった。中にはより過激な内容のツイートも散見される。自分と相容れない者を否定するそうした言葉は、日常の不平不満のはけ口にも思えた。
「十二匹の猿教団。最近駅前でも冊子配ってたりするし、信者数も増えてるみたい。この町にも最近、仏舎利塔みたいな建物ができたし、評判に反して勢力も増してるっぽい。なんでも今の政治に不満を持ってる若者の気持ちに寄り添うんだってさ。あたし、絶対入らないけど」
ユリの言葉にふむ、とミカドは顎を撫でる。
一般人の目線からは、この教団はまだ大きな脅威だと思われていないのだろうか。教団が疑わしい行為をしているからといって国に訴えかけようなどといった行為は、ツイート群を見て確認できない。むしろマスコミの目をかいくぐる教団こそ一枚上手ではないかと思えた。
ミカドは知っている。この教団がただの新興宗教ではないことを。
社の調べでは、天魔波旬の発生とこの教団の活動開始は同時期だった。両者にかかわりがないと見る方が難しい。加えて教団側に、市外から不審な大型の荷物が運び込まれているという話もあった。何を取り込んでいるのか不気味な集団であることは間違いない。
そして連中がユリを放っておくはずがないこともわかっている。
「……お前はこの教団を、どう考えてる?」
「え? どうって……」
「連中を野放しにしていいかどうか、ということだ」
「そんなこと言われたって、あたしにできることなんかないし、証拠がなきゃ警察だって動かないし……」
「単刀直入に言うが、連中のことはどう思ってる?」
「世間を騒がせてるインチキ集団。あたしだって関わりたくないし、話題もできれば見たくない。活動場所はこの近辺だし、無視するわけにもいかないでしょ。現に断定できないけど、犠牲者らしきものも出てるわけだし」
「驚いたな。お前は、いや今時の若者はもっと世間に無関心だと思ってた」
「そんなわけないでしょ。自分が生きてる限り、世間と向き合い続けるんだから。世間に無関心でいるのは、生きるのを放棄することと同じよ」
「普通の女子高生にしてはいいこと言うじゃないか」
そう言われて、ユリは若干照れたようだった。
ミカドは無表情でじっと画面を見つめる。
教団を糾弾するネット記事。そのトップに載っている白い建物の画像は、教団の拠点。どう攻略したものか、とミカドは策略を巡らせていた。
・
十二匹の猿教団本部、仏舎利塔。
薄暗い建物内部には白檀が焚かれ、荘厳な雰囲気を醸し出している。奥には教祖の座る玉座。そして、側近たちが正面に跪いている。
「岬ユリ……」
はぁ、とため息をつく声が虚空に消えていく。
「なんて愛おしい子……」
その声音は毛皮を撫でるように艶めかしい。
玉座に座る彼女は、手に持った写真を眺め、瞳を潤ませていた。
教祖・美猴王。彼女は長身で、白髪を短く揃えている。髪の毛に似合った透き通る肌。顔だちにはどこか中国風のものが感じられた。足の長いスーツを着こなし、モデル顔負けの体型であった。
「天魔波旬たちはどうしている?」
美猴王が側近に言うと、老いた側近は慎ましやかに返事をした。
「地下のインフェルノに閉じ込めてあります」
「まだ量は十分じゃないの?」
「目標まであと半分、といったところです」
「そう。だったら、もっとペースを早くするべきね」
教団は葬儀屋から死体を盗み、または自殺を扇動して、天魔波旬の入れ物を用意していた。信者たちには身内が死んだとき、遺体を寄越すように言ってある。
天魔波旬が地下の国『インフェルノ』に満ちた時、『神』を召喚する儀式の生贄が用意される。さらに儀式のためには、天叢雲剣と『神の器』を手に入れる必要があった。
『神の器』と天叢雲剣の所在はわかっている。女子高に通う二人の少女。岬ユリと土屋ミカド。一見何の変哲もない人間だが、彼女たちは人間の手に余る代物。天叢雲剣は神への指示を司り、『神の器』は神が降臨する肉体となる。それらをコントロール下に置くことができれば、『神』のコントロールも可能だ。
だが、ここで決定的な誤算が生じた。
美猴王は恋をしていた……天叢雲剣を持つ少女、岬ユリに。
「そのような普通の少女に、なぜ貴方様は惹かれるのですか? 斉天大聖、孫悟空様」
「その名前で呼ばないで。私は美猴王。美しい猿の長よ」
じろりと睨まれ、側近は震えあがる。
「普通だからこそ惹かれるのよ。十二匹の猿、人類の祖先の一人だった私には、彼女のようないたって平凡な人間こそが幸せの象徴に思えるの。平凡だからこそ、常に変動するこの世を生きていく力を感じるの。あの子を私のものにしたい。天魔波旬だけでは役不足だわ」
そこで、美猴王はぷつっと髪の毛を一本引き抜いた。
白い毛の一本に、ふっと息を吹きかける。
「変われっ」
そして息に吹かれた髪の毛は、次第に大きくなり、四肢が伸び、人間の形をとる。膨らんで、骨が、筋肉が、表皮が形成され、人体の構造を成した。
そして粘土をこねるように、ヒトガタの肉の塊は変化した。ぶよぶよとした顔は目鼻立ちが整い、目の前の人物そっくりになる。
瞬く間に髪の毛は、身長の同じ、もう一人の美猴王となった。
裸の美猴王がそこにいた。
新しく現れた美猴王は、本体に向かって微笑する。本体の美猴王もまた微笑を返した。
「あなたは私」
「私はあなた」
二人の美猴王は互いに人差し指を相手の唇に当てた。
そうすることが互いの信頼の証であるかのように。
「天叢雲剣を捕獲し、『神の器』を無力化しなさい。厄介な虫がいるようだけど」
「あのシスターね。あれくらい、私が排除できるわ」
ふふっと互いに笑い合う。
「岬ユリのいる女子高への手続きは済ませてあるわ。そこで機会を待ちなさい。あなたが戦うための手はずはこちらで整える」
「身外身の私は戦うことだけが役割。その務めを果たしてみせる。すべては我らが『神』降臨のために」
そして裸の美猴王は踵を返し、自室へ向かった。
自室には物化女子高の制服がある。学校役員に裏金を掴ませれば、この程度造作もない。
総大将の片割れが、今まさに動き出そうとしていた。