第二十四話 機構 ~しすてむ~
へその中をかき回され、ユリは痛みに悶えた。
ミカドの指の感触とは違う。強引で自分勝手な指の動き。ユリのへそから血が出るのも構わず、斉天大聖は中にある剣を掴み、ずるりと引き抜いた。
「ああっ!」
ユリは痛みに大きくのけぞり、斉天大聖はにやりと笑う。
血糊のついた天叢雲剣が輝き、生命の樹となった天魔波旬の集合体がそれの顕現に合わせて蠢く。剣と天魔波旬の集合体がそれぞれ呼応しているのだ。
「我が名は斉天大聖! 今ここに、神を呼び覚ます! 生贄を捧げる! 神よ、我の命に従え!」
斉天大聖が神輿の上に飛び乗り、右手の天叢雲剣を天に掲げる。
がしゃあんと雷鳴のような音が轟いた。
その大きな音は連鎖し、そこら中に響き渡る。
偽りの、黄昏の日差しに包まれる町中は、さらにただならぬ雰囲気に包まれる。
かっも周囲が閃光に包まれ、雲の合間から『それ』はぬっと、瞬間的に現れた。
まるで最初からそこにいたかのように、巨大な『何か』は上空から地上を見下ろしていた。
刺青のような模様のある、口が裂けた仮面。ぽっかりと大きな目は深淵のようで、巨人が被っているかの如き大きさを誇る。明らかに人間でないそれは、何の感情も湛えずに人々を見ている。上空にいる仮面を見つけた民衆はさらに悲鳴を上げ、散り散りになっていった。
雲の合間から巨大な手が伸びて、天魔波旬の集積物をがしっと掴み、戻っていく。指の間からばらばらと怪物の破片が零れ落ち、地面に落ちてトマトが潰れるように血しぶきを上げた。腕が上昇して雲の間に消え、咀嚼するような不気味な音が聞こえてくる。あの仮面はどうやら顔ではないらしい。神の全貌は理解不能で、それゆえの不気味さがあった。
『神』は我々を無感動に見ている。斉天大聖は神に訴えかける天叢雲剣を持ち、言葉を続けた。
「『十二匹の猿』の祈りにより天魔波旬を排し、人類を栄えさせた神よ! 再びこの世界を有るべき姿に! すべての生物が等しく地上に溢れる世界に!」
それに神は、じっと見つめる姿勢で返した。神にとって人間など、手で払えば死んでしまう羽虫のようなものなのだ。
そんな神が、彼にとってはちっぽけな斉天大聖の言葉に耳を傾けている。天叢雲剣は、それを持つ者に神への発言権を与えるものであった。
「ユリっ!」
ミカドは負傷したユリの元に行き、肩を貸した。
「ミカド……あたし……」
「傷が開く。喋るな。お前は安全な所にいろ、私が全部解決してやる」
ユリは力なく笑った、ようだった。
ユリを背負ったミカドは、人通りの少ない路地に走っていき、そこにユリを降ろした。
ユリは力なく、地面にへたへたと座り込む。それを見てミカドは、血の出たユリの腹を優しくなで、言う。
「私がまじないをかけてやろう。ユリがこの先、どんな困難にも、自分の足で立って立ち向かえるようにな……」
ユリは顔を押さえ、ぼーっとしながらミカドを見ていた。
ここまで傷つけられ、全身血まみれになったのは初めてだ。それでも不思議と自分は生きている。
ミカドはこんなになった自分を見て、醜いと思うだろうか。そんな素振りはまったく見せていない。
きっと、ミカドは神輿の上の斉天大聖を睨みつける。
そして、弾かれるように走った。
「らぁぁっ!」
別方向から二発の銃声。
天魔波旬たちの群れを一掃したカルマが躍り出て、その銃弾が斉天大聖を狙う。
斉天大聖は左手の薙刀をくるくると回し、長物から発するオーラのバリアでガードする。かきぃん、と弾かれた銃弾が彼方まで飛んでいった。
カルマはそのまま斉天大聖のところまで跳躍し、素早く銃をトンファーの構えにして接近戦を挑んだ。
カルマの腕が俊敏に、斉天大聖の喉元を、みぞおちを狙う。同時に高く足を上げたキックを振り向きざまに食らわそうとした。
しかし足場の限られた神輿の上で、斉天大聖は器用にカルマの攻撃をかわしていった。それは舞踊のようでもあり、相手の行動パターンを読み切った上での余裕ある態度だった。
基本的な戦闘スタイルは美猴王と変わらない。しかし格の違いを感じさせるものがある。
ミカドがその二人の戦いに割って入る。狭い足場で、ミカドとカルマは息を合わせてキックを繰り出した。
斉天大聖は左手の薙刀でキックを受け止め、さらに薙刀を大きく振り、二人の少女をはねのける。
神輿から落とされざま、カルマは一発、だぁんと発射した。
その弾は斉天大聖の右手にある、天叢雲剣の柄にあたり、その衝撃で斉天大聖は剣を取り落とした。
「しまっ……」
ミカドは地面を蹴って跳び、空中で回転する剣を掴む。
そして斉天大聖のもとに到達する直前、柄にメギドの弾を装填し、トリガーを引いて斬撃を繰り出した。
炎の斬撃が斉天大聖を捉え、牡丹色の花嫁衣裳を焦がす。
「ああっ!」
斉天大聖は呻いて、炎に包まれて神輿の上から落とされる。
ミカドは代わりに神輿の上に立ち、剣をかざして上空の神に語り掛ける。
「神よ! 悪しき者の願いは取り下げだ! 消えてなくなれ!」
ミカドの言葉に、雲の間から見える仮面は特別な反応を示さない。
やおら、上空から神のものと思しき声が発せられた。
『それはできない』
「なぜだ!」
『斉天大聖は生贄を捧げ、剣の所有者となり我に願いを申した。呪的儀式は完成してしまった。それはこの世を構成するシステム。その働きが動き出してしまった以上、私にもどうにもできないのだ』
「何だと!」
『私はこの世を構成する歯車に過ぎない。手順が整えば、私はそれに逆らうことはできない。君たちの世界は変わり始めた。それがこの地球を統括する私……原初の海を攪拌せし神、アメノミナカヌシの役目だからだ』
「お前は人格ではなくシステムに過ぎないということか」
『そうだ』
「止められないのか!」
『もう始まっている』
周りで逃げ惑っていた人々から、うわぁっという声が発せられる。
彼らの肉体は盛り上がり、みるみるうちに怪物へと変わっていく。
青白い水風船のようなもの、ムカデのようなもの、様々に変わっていく彼らは、天魔波旬と同化しているとわかった。
ミカドは目を見開き、変化していく民衆を神輿の上から見つめるしかなかった。




