第二十三話 狂気 ~しゅうねん~
目の前で爆発が起き、ユリの顔に破片が刺さる。ペットボトルの中に液体だけでなく、鉄の破片も入っていたようだ。
ユリは咄嗟の出来事に何もできず、きゃあっと叫んで、怪我をした顔を覆って伏した。その声に、民衆の昂ぶりが一気に静まり返る。それからざわざわと誰もが混乱し始めた。
ミカドとカルマはペットボトルが投げられた方向に直行する。「爆発物だ!」と誰かが叫んで、どよめきは悲鳴へと変わり人々が逃げ惑う。その流れに逆らい、ミカドとカルマは駆けた。別々の位置にいた彼女たちが合流する、その先に件の人物はいるようだ。最初に何かが投げられるのを見た時、その位置はユリに近かった。
彼女たちの顔には、はっきりと焦りが浮かんでいた。
敵が天魔波旬のみだと思っていたのが間違いだった。『十二匹の猿教団』に洗脳された一般人も、また敵だったのだ。コンパスを頼りに天魔波旬を探していたミカドは、己の過ちを悔いる。
ユリを襲った一団は、明らかに逃げ方が他の人々とは違う。まるでミカドたちを誘導したいようにも見える。ミカドはここで手分けすることを考えた。
「カルマ、そっちは任せた!」
そう言ってミカドはユリのいる神輿の方に方向転換する。まずはユリの安全が第一だ。
ミカドは無意識に、カルマに信頼を預けている。それはカルマも同じのようだ。
カルマは頷いて、進路を変えず、ひたむきに走った。任せろ、と言う暇はなかったが、彼女は行動で示していた。
「ユリ!」
この人混みでは救急車もまともに通れない。誰かが通報しているはずだが、病院はここから遠く、すぐには駆けつけてくれない。
神輿は降ろされ、担いでいた男たちがユリの応急処置をしていた。彼らが差し出した救急キットからガーゼを取り、ユリは何度も顔に押し付ける。
ユリの傷は深く、だくだくと顔から血が出ていた。嗚咽を漏らしつつ、ユリは顔を上げることができないようだ。
「ユリ……」
ミカドが手を差し伸べる。
「あたしを見ないで!」
強い口調でユリは言った。
「あたしの……あたしのこんな顔を見ないで……」
その言い方が拒絶的で、思わずミカドは手を止める。
ユリは泣いていた。女の命である顔を傷つけられたことに。そしてミカドにも見せられない顔になったことに。
そんな彼女を慰める言葉を、ミカドは持ち合わせていなかった。
・
カルマはやがて、爆発物を投げた人物たちに追いつく。
彼らは一般人そのものだ。だがその思想は、SNSを介した十二匹の猿教団の教義に取り憑かれている。目を見開き、ただならぬ心境が彼らの表情から見て取れた。
彼らは追ってきたカルマを視認すると、ぴたっと逃げる足を止め、くるりと振り向いて、一歩ずつカルマに向かってくる。
彼らはポケットに忍ばせていた小型ナイフを出した。やる気か、と思い、カルマは徒手空拳の構えを取る。洗脳されているとはいえ一般人だ、銃撃するわけにはいかない。
しかし彼らは、信じられない行動に出た。
ざくっと、彼らはナイフを自分の首に突き刺す。まるで操り人形のような動きだ。何人かげほっと血を吐いた。そして次々に倒れていく。
倒れた彼らを、カルマは瞠目して見下ろす。
直後、彼らの身体は人間ではない別のものが入ったように蠢き、その起き上がった肉体はめりめりと盛り上がって、怪物の姿へと変貌した。
信者たちは自ら死を選び、死体に取り憑く天魔波旬に身体を与えたのだ。
その尋常ならざる従属の意志にカルマは鼻白んだが、考える暇もなく青白く大柄なゾンビと化した天魔波旬たちが迫りくる。
人間でなくなったら、殺すしかない。
カルマは二丁拳銃を大腿のホルスターから取り出し、だぁん、だぁんと撃った。天魔波旬の身体に穴が開き、心臓や頭を射貫かれた二体が倒れる。
「銃声が聞こえたぞ!」
遠くにいる民衆の声。天魔波旬をみたのか、悲鳴もそこかしこで上がっている。
周囲を威嚇するのは避けたかったが、この場合仕方ない。ちっとカルマは舌打ちした。
続けてだぁん、だぁんと弾を発射するカルマ。天魔波旬たちは俊敏に動き、銃弾をかわす者もいる。けらけらと天魔波旬の一体が、エイリアンのような顔でカルマを嘲笑した。
カルマは悔しさを噛みしめ、跳び上がって敵に肉薄し、だぁんと、そのどてっぱらに風穴を開ける。
しかし単なる肉塊となる直前、にいっと、天魔波旬は確かに笑った。
まるで倒されるまでが自分の仕事だったように。
天魔波旬を殲滅したカルマの前に、一人の人物が姿を現す。
人波をかきわけ海を渡るモーセのように、つかつかと歩いてくるその人物にはカルマは見覚えがあった。
「美猴王……?」
中国の花嫁衣裳を着て、薙刀を持った、顔に赤く隈取をした白髪の少女。
しかし次の瞬間、カルマは思い知る。それが美猴王ではなく、倒すべき敵・斉天大聖であることを。
同じ見た目でも纏う雰囲気の違いから、カルマは美猴王が本体に敗北したことを悟ったのだった。
「これよりインフェルノの門を開く!」
斉天大聖は宣言する。
次の瞬間、地震が起こったようにぐらぐらと地面が揺れる。甲高い悲鳴のような音が場に轟いた。
そして道路に大きく亀裂ができ、逃げ遅れた民間人たちが落ちていく。まるで巨大な悪魔が口を開いたようだった。
そして、亀裂の底からせり上がってくる塊があった。
カルマは再び瞠目する。地下から出てきた何かは、信じられない物体だった。
天魔波旬の集合体。幾重にも折り重なった怪物の身体。それらがまるで樹のようになり、裂け目から天空に昇っていくのだった。神を呼ぶ生贄。その手筈は既に整っていたのだ。
見る者の正気を奪うような光景は、天魔波旬の集合体が発する逢魔空間によってさらに狂気を増す。
空が黄昏に見える逢魔空間は町全体を覆い、結界を作る。外部からの侵入を許さない、独立した空間にしたのだった。
美猴王は、いや斉天大聖はカルマを相手にせず跳躍し、一瞬にしてユリのいる神輿の前まで行く。
即座にミカドがユリの前に立ちはだかる。神輿の周囲にいる人々は、斉天大聖のただならぬ妖気に怯え、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「『神の器』ね……」
斉天大聖はにんまりと笑った。ミカドはきっと相手を睨みつける。
一瞬の出来事だった。ミカドが手刀を相手に浴びせ、斉天大聖がそれをいなす。ミカドの手はすべて読まれ、手首を掴まれて後方に放り投げられる。
もんどりうったミカドは、すぐさま体勢を立て直そうとした。が、斉天大聖がユリに接触する方が早かった。
顔を押さえるユリの手を、斉天大聖は優しく包み込む。
そして、血みどろの顔でこちらを見上げるユリに微笑んだ。
「岬ユリ……あなたを解放する」
そして、斉天大聖は巫女服の裾から手を入れ、ユリのへそをかき回した。




