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巫女×シス ~天魔波旬奇譚~  作者: 樫井素数
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第二十一話 斉天大聖 ~こいをしらないもの~

 翌朝。

 ユリが起きた時、既に身支度を済ませたミカドとカルマがこちらを見ていた。


「あれ……美猴さんは?」

「先に準備があると言っていた。町の皆にサプライズで登場する予定があるそうだ」

「そっか」

 あの人なら、という感じで、ユリはさほど気にしていない。

「朝食にしよう。私達はもう済ませた。お前も祭りの準備に行くのだし、気分が悪くならないよう、あまり食べすぎないようにな」

「うん」


 寝癖のままテーブルに向かっていくユリの背中を見て、カルマはぽつりと呟く。

「……帰ってこないな、あいつ」

「そうだな」

 会話はそれだけで十分だった。

 美猴王ほどの使い手が、夜明けにも帰ってこない。その理由は一つしかない。であれば、二人にできることをやるしかない。


「いつ何時天魔波旬が現れるかわからん。お前は左から、私は右からユリを守ろう。かすかな妖気も見逃すなよ」

「あぁ、わかってる」

 互いに横目で見合うミカドとカルマの間には、いつしか奇妙な信頼関係ができているようだ。

 友人ではない。完全に仲間とも言えない。しかし今だけは同じ目標に向かって進む、同志なのだ。


 ユリは朝の五時には家を出た。ミカドたちはその後ろを護衛し、一層注意を払う。

 ユリは気づいていないが、ミカドとカルマの眼光は周囲を射殺さんばかりにぎらついていた。道すがらの通行人がぎょっとして、早足で通り過ぎ去る。

 しかしこの程度で逃げ出すような魔物では、何の脅威でもない。この祭りの裏でもっと大きなものが蠢いているのは、想像に難くないのだから。


   ・


 同時刻。

 だぁん、と美猴王は背中から壁に叩きつけられる。

 闘技場の中央にいる、本体の美猴王は悠然と薙刀を構えている。その全身からは常人では足がすくんで動けないほどの、凄まじい闘気が放たれていた。


 けほっ、と美猴王は咳き込む。血が吐き出され、床に滴った。

 思ったより内臓へのダメージが大きい。美猴王は本体の分身。とはいえ、容姿は同じでも、その力量の差は埋められない。

 口元から血を垂らしながら、美猴王は余裕を取り繕い、微笑して言う。

「さすがね……『私』。それももう、違うかもね。私とあなたはもはや別のもの。あなたを、なんて呼べばいいのかしら?」


 もう一人の美猴王は堂々とした態度を崩さず、身外身である美猴王を見下ろすようにしている。美猴王の本体が着る牡丹色の花嫁衣装は、まるで返り血のようだ。

「……私は斉天大聖という名前が嫌いだった。それは十二匹の猿に与えられた、私を閉じ込める檻としての役職だったから。でも彼らは皆消え失せた。この世界の法律は私よ。であれば、呪われた名前、斉天大聖をアンチテーゼとして名乗りましょう。そう。私は自分自身から、与えられた名前から逃げない」

 ばさりと元・美猴王は着物をはためかす。


「我が名は斉天大聖! 十二匹の猿の生き残り! 神を呼び、人間に支配された世界を変革する者!」

 薙刀を構え、斉天大聖は宣言する。

「今ここに初めての血の供犠を! 神に捧げし生贄を!」

「冗談じゃないわ」

 ぺっと美猴王は血を吐いた。その無意識の行動は、少しカルマっぽいなと美猴王は思う。

「私があなたを殺し、成り代わることもできるのよ」


 斉天大聖の薙刀が振り下ろされる。

 美猴王は立ち上がって如意棒で反撃する。

 それぞれが持つ長物から、持ち手の気が溢れて、互いにぶつかりあった。長物同士が接触したわけではない。しかし、その打撃力は棍棒や薙刀の比ではなかった。

 まるで見えない二匹の龍が噛み合っているかのようだ。それほどの気迫が二人から放たれている。この場にミカドかカルマがいても、一切手出しはできなかっただろう。


「あなたは孤独なままの人よ! 穴蔵に閉じこもって、ボスザルでいるのは気持ちよかったでしょうね!」

 汗を流し、気を保ったまま美猴王は言う。こうしている間も全身の生命力が抜け出て、一度膝を付けば終わりだ。大きく声を出すことで彼女は自我を保っていた。


「かつて私だったからわかる。自分を受け入れてくれと告白したこともない、好きな人を誰かに預けたこともない、誰も信用しないたったひとりの孤独な女なんだわ! そんなちっぽけな人が、好きな人に告白もできない人が、世界を支配なんてできるはずがない!」

「……あなたが何を経験したのか知らないけど、すっかり腑抜けになってしまったようね。記憶を共有する者として屈辱だわ。まさか神の器やシスターを仲間だと思ってるんじゃないでしょうね?」

「誰かを信頼することは弱さじゃない! 孤高を気取っていた自分こそ、周りが見えていなかった。他の人を通して、自分自身を見つめ直すこともなかった。私とあなたの決定的な違いは、心のよりどころの有無よ! 挫けた経験による心の強さよ!」

「あなたと小賢しいシスターを殺し、神の器とユリさんを手に入れれば私はそれでいい!」

 がぁんと気が弾かれ、再び美猴王は吹っ飛ばされた。


 美猴王は背骨に衝撃を感じ、ぶつりと何かが切れるのを感じる。

 おそらく神経が断裂したのだ。

 あまり長くはもたないだろう。自分の死が迫ってくる恐怖が、美猴王の脳裏に広がった。


 それでもなお、後を任せられる安心感が美猴王にはあった。

 ユリと、それを囲む少女たちとの日常。あれは美猴王にとってかけがえのないものだった。

 短い間でも、彼女たちから受け取ったものは大きい。ただ、ユリと恋人になれなかったのだけが心残りだった。


「……最初からこうするつもりだった」

 美猴王は体内の気を収束させ、心臓の部分に溜める。

 ブラックホールの直径は小さめでは一センチ四方。それだけの大きさに、尋常ではないエネルギーが秘められている。小さいほど、周囲に反発する力が強くなる。

 美猴王は今まさしくそれをやろうとしていた。

 全身の気を破裂するまで、ごく僅かな空間にぎゅうぎゅうに押し込める。

 それによる反動は、美猴王の肉体すら破壊し、周囲に甚大な被害をもたらす。

 ここが廃工場の地下でよかった。地上への被害が一切ないかはわからない。が、自分の死にざまをユリに見られないのはよかった。

 美猴王は念じた。『爆ぜよ』と。そしてぎゅっと目を瞑った。


 ……。


 果たして、それは起こらなかった。

 美猴王は目を見開いた。その額からどっと冷や汗が出る。

「あなたが自爆しようと思ってたことくらい、わかるわよぉ」


 斉天大聖の余裕あるこえが上から聞こえる。

 斉天大聖はすぐ近くまで来ていた。そして美猴王を見下ろしている。

「身外身の裏切りも予測できないほど、私は愚かじゃないわ。自爆行動は本体に対しては絶対にできない。爆ぜよと念じた瞬間に気は消滅する。その制約をもって、私は分身を作る。あなたとは共有してない記憶だけどね」

 がっと、斉天大聖の手が美猴王の喉を掴む。


 そして、斉天大聖は美猴王にくちづけをした。

 息ができない。強い力で吸い込まれる。

 必死に抵抗する美猴王。だが、気を使い果たし弱弱しくなった彼女はなすがままだった。

 そうして残った気を吸い込まれ……。


 美猴王の身体は完全に消滅した。


 ぼろぼろの舞台衣装のような衣服だけが、ぱさりと床に落ちる。

 じゅるり、と舌なめずりをして、斉天大聖は艶っぽい目を虚空に泳がせた。

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