第十九話 接吻 ~いっしゅんのやくそく~
岬ユリは悶々としていた。
土屋ミカドが神に乗り移られれば災害を起こしかねない『神の器』であり、『十二匹の猿教団』と戦うために自分に接近したこと。
流カルマが自分とミカドの監視のために派遣されたこと。
美猴王が『十二匹の猿教団』の教祖の分身であること。神を呼ぶトリガーである天叢雲剣を狙い、そうした身でありながらユリが好きなこと。
いろんなことが頭の中で渦巻き、ユリはどうしていいかわからない。
あの日、水族館に皆で行った後、これ以上何も楽しめるはずもなくお開きとなった。とはいっても、帰る家は同じなので、全員黙って同じ家で夕食を取り、いつものように同じ布団で寝た。
それなのに、全員が心の壁を張っているようで、ユリにはどうも居心地が悪かった。ぎすぎすした関係を続けたくはなかったが、三人の少女的にそうもいかないらしい。
(ほんと、なんでこうなっちゃったの……)
それから何日か、誰にも襲われず平和な日々が続いた。しかしユリには、嵐の前の静けさに思えてならない。
ユリは複雑な思いを抱えながら、月曜日の放課後の会合に参加した。何かしていた方が気がまぎれる、と思ったからだ。
祭りに参加するのは初めてではない。多少順番が前後することもあるが、ユリが神輿に乗って市中を回ることに変わりはない。
祭りで最後に主役が行き着く先はその年の恵方ではなく『鬼門』である。鬼門から溢れ出てくる鬼をせき止める意味合いがあるそうだ。
この活気のない町でも、祭の日は少しは盛り上がる。ねぶた祭ほどではないにせよ、縁日の屋台ができ、脇道には人だかりが現れる。町の財政が依存するほどに、この祭りには意義があるのだ。
その日の会議を終えたとき、教室の出入り口に立っている影があった。
「ユリ」
それは、ミカドだった。
「ちょっと……いいか?」
真剣な眼差しのミカドに、ユリは頷かざるを得ない。
ユリにとって大きなもの、祭りの裏で蠢くもの。そのヒントが彼女にあることは間違いないのだから。
・
屋上で、ユリに背を向けゆっくり歩きながらミカドは言った。
「お前は祭りの主役を務めるのに集中しろ。ただし、裏で天魔波旬、そしてそれを操る『十二匹の猿教団』が動いている。何が起こるか、私にもわからん。十分注意してくれ」
「そんなん言われたって、あたし、どうしたらいいの?」
「お前は何も気に病まなくていい。私が守る」
ミカドは振り返って言う。
だが、ユリは彼女を信用し切ることができずにいた。
「あんたたち、普通の人間じゃないんでしょ? そしてあたしも……」
ミカドは無言。
屋上の角には自販機がある。ミカドは小銭をそれに入れ、がこん、と出てきたペットボトルをユリに向けた。
「私の好きな桃サイダーだ。飲むか?」
「いい」
「そうか」
蓋をきゅっと開け、ミカドは桃サイダーを飲んだ。
その上下する喉が妙に官能的で、ユリはごくんと生唾を飲み込む。
しかし、すぐにかぶりを振ってそんな考えを追い出した。
ミカドはペットボトルから口を離す。まだ中に少し、サイダーが残っていたが、ミカドは蓋を締めた。
「まともな人間じゃないあたしが、どうやって生きていけばいいの? このまま妖怪たちに怯えながら暮らすの? あんたたちに守られたままで、いいの?」
「いいんだ」
「嫌っ! やだっ! 自分の人生なのに、誰かに守られて、変な奴らのせいで自分で行き先を決められずにいるの! 誰があたしを支配してるの? あの仮面の神様? それともあんたたちの背後にいる大人たち? あたし、そんなの認めない! あたしの人生はあたしで……」
取り乱すユリを、ミカドはくちづけで黙らせた。
初めてのキスは桃サイダーの味がした。
「すまない。これで私に、敵意がないことをわかってほしい」
どっどっどっ、とユリの心臓が高鳴る。
ミカドが口を離したとき、息を吸い込むのと同時に動悸が始まった。
今、何された?
ユリの頭では、難しいこと、意図不明なことが処理できずオーバーヒートする。それは残暑厳しい夕暮れに後押しされていた。
顔が林檎のようになるユリに、ミカドは続けて言う。
「とにかく今は、自分の身を守ることを最優先に考えるんだ。私だけは信じてくれ」
ユリには何もかもわかった、というわけではない。
それでも、うん、と頷くよりほかはなかった。
この五里霧中の世界で、ユリに差し伸べるミカドの腕は細くても、力強く……。
一度は疑ったものの、こうして面と向かうと有無を言わせぬ説得力が彼女にはあった。
「でも、当日どうするの?」
「ユリの乗った神輿の近くに私はいる。状況把握のため少し離れた場所で見ているが、異常があればすぐに駆けつける」
「カルマたちは?」
「それぞれが別のエリアを受け持つ。もう話は通してある」
「美猴さんは、それでいいの?」
「あやつはもう、本体から見放されたと考えているらしい。だから自分の気持ちに正直に行動すると言った」
親に見放されたあたしと同じだ、とユリは思った。
「ユリ、この祭りはきっと、今まで以上に意味のあるものになる」
「どういうこと?」
「美猴王により天魔波旬が蘇った。つまり神に捧げる生贄が整った。であれば、『神の器』と、天叢雲剣であるお前が力を合わせて魔を撃退せねばならない。しかし同時に、神が呼ばれてもおかしくない状況でもある」
「……そうなったら?」
「そうならないように、する。祭りのハレの気があれば、属性の相反する天魔波旬は地下に戻っていくだろう。段取りさえ完璧なら、あとは逢魔空間に飲み込まれないよう気をつければいい」
「……うん」
ユリはもう一度頷く。
しかしここで、ユリと三人の少女が気づいていないことがあった。彼女たちは、敵は天魔波旬と思い込んでいる。
水面下で『十二匹の猿教団』は着々と勢力を伸ばし、SNSによって抱き込んだ一般人の教徒も備えていることを。




