第十七話 水族館 ~せいめいのみなもとのしゅくず~
水族館に入ると、青の世界が広がっていた。
時間にして物化町中心から30分。港のほうにある水族館は、広大な海を背景にいくつもの水槽を抱える施設だ。規模としては大型ではないものの飼育生物がバラエティに富むこの水族館は、物化町が誇れる数少ない財産だ。
入り口に入ってすぐにある、まるで海中に入るような水槽の中を通るトンネルは、竜宮城への誘いのようでもある。水槽の中を泳ぐ魚たちは踊りを披露しているようでもあり、海面に差し込む陽光を模したライトが、たゆたう海水を照らし出していた。
「うわぁ……」
その光景にユリは圧倒される。一歩進むごとに青い光に体が溶けていきそうだ。
人が多いため、四人は立ち止まらずトンネルを進んでいく。身を翻す魚たちは生の躍動感を感じさせ、目を飽きさせなかった。
次のコーナーからは個別水槽の展示に移った。まず朴訥な日本の海、続いてサメなどのいるやや深い海、そして深海コーナー。物化町では深海魚がよく獲れるため、一部が水族館に回ってきているらしい。
ダイオウグソクムシやウミグモ、ヌタウナギなど、一部分が肥大化し、他の部分が退化した不気味な異星の生物のようなものが目につき、ユリは少しぞっとしてしまう。
薄暗い回廊に奇怪な生物たちが展示されている中、奥の方にシアターがあり、そこで映像が流れ続けている。そこでは熱水噴出孔と、それに集まる生き物たちの画像が表示されていた。シアターの正面には椅子があり、ユリたちはそこに腰かけた。
「……このように、過酷な環境で暮らす生物がいて、彼らも必死で生きています。地球には様々な面があり、誰もが自分の居場所を守るため、日夜戦わなければなりません。我々もまた、宇宙船地球号の乗組員なのです」
映像は終盤に差し掛かっていたが、そうしたナレーションがユリの記憶に妙に残った。
「宇宙船地球号の、乗組員……」
確かめるようにユリは独り言つ。
確か昔読んだ本にも、そんな言葉があった気がする。
「そう。私たちは同じ地球に住む生命体なの。そして更に巨大な生き物、地球を構成する細胞に他ならない……」
美猴王の声に、はっとユリは我に返る。
気づけばユリの隣には美猴王しかいない。
「だけど、地球の裏側には深海生物よりもっと邪悪なものがいる。それらは妖怪、モンスター、吸血鬼と呼ばれ忌み嫌われた。でも元は、地上の生き物と同じ立派な命なの。ある人たちが呼んだ神様のせいで、彼らは追いやられてしまった」
美猴王は艶めかしい目つきで、ユリの腕に指を這わせていった。
「ねぇ。ユリさん。もし私が、人間を脅かす妖怪のボスだったら、どうする?」
「えっ?」
突拍子もない彼女の言葉に、ユリは当惑する。
「どうって……それ、あたしにどうこうできる問題?」
「あなたはそんな私も、好きだと言ってくれるのか。それを訊いているの」
ユリはさらに混乱した。
人間を脅かす妖怪。天魔波旬のことだろうか。それを美猴王が操っていたのなら、美猴王はミカドの敵ということだ。その言葉はにわかには信じがたい。しかしミカドたちと彼女が戦っていたのを朧げに覚えている。
何となくあれは、仲間割れだと思っていた、気がする。しかし美猴王の話を聞く限りではそうではない。何と答えたらいいものか。
しかしユリを至近距離で見つめる美猴王の目はひたむきで、そこに付け入ろうとする感情は読み取れなかった。
「……すごく、難しいこと訊かれてると思うけど、一つだけ言えることがあるよ」
ユリは丁寧に言葉を紡いでいった。今は、自分に問いかける美猴王に応えたい。
「あたしは美猴さん、嫌いじゃないよ。嫌いになれないよ。そんな真っすぐな目をした、綺麗な人を」
美猴王はしばし、ぽかんとした。
「あたしは美猴さんと、友達でいたいと思う。だから、ミカドたちと喧嘩しないで。皆で仲良くしようよ。あたし、あなたのこと嫌いになりたくない。ラブじゃないけど、ライクの意味で好きだから」
美猴王はしばし押し黙り、俯く。
白い頬に薄く紅がさしている。照れているのだろうか。そして少し残念そうな雰囲気も醸し出している。彼女の心中は複雑なようだ。
「……少しずつ、あなたと仲良くしていきたいわ。いつかライクをラブにしてみせる」
そして、美猴王はするっと細い手をユリの手に重ねた。
「でも、手を繋ぐくらいならいいでしょう?」
「……まぁ、それくらいは」
数分二人で座り、またシアターが上映される前に立って、深海コーナーを出た。
深海コーナーの終わり、大水槽の前にはミカドが立っていた。
「あっ、ミカド……」
ユリがミカドに駆け寄ろうとした時、隣にいた美猴王の気配が消えているのに気付いた。さっきからカルマの姿もない。さっきから何なのだろうか。狼狽えるユリを、ミカドはじっと見据えた。
珊瑚礁を再現した大水槽の前に、ユリとミカドだけがいる。ブルーライトが二人を包み、浅い海の底に取り残されたような風景が広がった。
「……ユリ」
ミカドはぼそっと言う。その言葉に、思わずユリはどきっとしてしまった。
「何よ……」
「どうか、私を選んでほしい」
「えっ?」
ユリの顔がぼっと赤くなる。
「いきなり変なこと言わないでよ! あんたたち、どうしちゃったの……」
「私は『神の器』。そして天叢雲剣を宿すお前の鞘でもある。天命によって私と巡り合ってしまったお前は、やがて自分の意思ではどうすることもできない場面に直面するだろう。その時、お前を救ってやれる可能性があるのは……私だけだ」
いつになく切羽詰まった表情のミカドに、ユリは打ちのめされた様に目を見開いた。
しん、と静寂が周囲を包み、二人の上に水槽に泳ぐ魚影が躍る。
ユリはまるで時間が止まったような気持ちになった。
・
港に奇妙な物体が漂着したのは、四人が水族館に入る前だった。
銀色の小舟。まるでUFOのようでもあるそれは、意志を持っているかのようにぷかぷかと海面を漂っていく。
海水を取り込むポンプの近くにそれはたどり着き、上部にあるハッチがパクッと開いた。
中から現れたのは、ウツボのような長い体と、細長い恐竜のような手足を持ち、赤子の顔をした何かだった。
「おぎゃぁぁぁぁ……」
その何かは、赤子の泣き声のような音を発しつつ、ずるりと海水を取り入れる場所に入っていった。




