第十三話 神 ~われわれをみているもの~
どどどっと波濤のように、流星群が校舎に降ってくる。
破壊の象徴。圧倒的な暴力。閃光と打撃。
天空から降り注ぐ隕石は、災害そのものだ。
破壊される校舎。飛び散る瓦礫。ミカド、カルマ、美猴王はそれぞれ退避を余儀なくされた。
美猴王は舞踊を舞い続け、全身から発する気を盾に隕石の直撃を避けている。如意棒を振る動きに合わせて気が彼女を包み、美猴王のいる箇所だけが見えないバリアに覆われていた。
カルマは軽い身のこなしで飛んでくる瓦礫から逃げ続けているが、足元に隕石が直撃し、べこっと床がめくれあがって大きく姿勢を崩した。カルマの身体が床ごと跳ね上げられ、宙を舞う。
「オアーッ!」
カルマは素っ頓狂な声を上げ、地面に墜落しそうになるも、持ち前の身のこなしで見事に着地し、続いて降ってくるコンクリートの破片から逃げた。
ミカドはユリを目指し、瓦礫の山を進んでいった。
ユリの身体は光輝き、髪の毛が逆立っている。足元は数メートル床から浮き、後光がさしているような気品すら感じる。彼女はまさに神がかりの状態となっていた。
「ユリーっ!」
ミカドは必死に叫ぶ。ユリは夢を見ているような表情のまま、天に向かって数センチずつ上昇していった。
ミカドの手にある天叢雲剣がびりびりと振動している。元はといえば、この剣はユリの身体の一部。それがユリの意志に呼応して暴走し、流星群を降らせた。
未だに上空から隕石が降り注いでいる。黄昏の空にいくつも光の線が刻まれ、彼方で衝突音が散発的に生じる。ユリの身体が雲の上に達したら、それこそ何が起こるかわからない。
「はあっ!」
ミカドは跳躍する。そして、ユリの肩を抱きとめた。相変わらずユリは細目で虚空を見つめている。
ミカドに掴まれてもユリの上昇は止まらず、ミカドと共に浮き上がる。
「ユリ! 聞こえるか! 私の声が!」
ミカドはユリの肩を掴み、その耳元で大声を出す。しかし、ユリは何も反応しない。
「ユリ! ユリ……!」
なおもミカドはユリに問いかける。初めてミカドが必死さを見せた瞬間だった。
ユリの意識は深井戸のような心の奥深くに沈殿し、誰の声も聞こえない状況に陥っていた。
・
岬ユリはずっと孤独だった。
親から見放され一人暮らし。大人の言うことを聞くだけの、代り映えしない生活。勉強さえしていれば教師たちは何も言わなかった。面倒だし、周りの連中が面白くないから、友達付き合いもほぼなかった。
だからこそ、人と違った人生観を持つに至った。
とことん幸せになるか、滅茶苦茶になりたい。それは自分がしがらみの多い人生しか歩めないからだと思っていた。オロチ一族に生まれたから何だというのだろう。祭りに必ず出席しなければならない。何のために祭りが行われるかもわかっていない。市中を神輿に乗って回らされる、あんな晒しもののような催しは大嫌いだ。
幸せになりたい。でも、なれないのなら盛大に破滅したい。
親戚は何も生活の手助けはしてくれないが、オロチ一族の使命を果たせと言ってくる。このまま一族としての面子を保つのに使われて、人生終わるのだろうか。
(誰か助けて……)
深淵をどこまでも落ちていく感覚にユリは囚われた。
頭の先には何もなく、足の先にも何もない。永遠に続く空間。
その傍らで、誰かが話しかけてきたような気がした。
それの姿がうっすらと暗闇の中に現れる。ざっと三メートルはある、巨大な仮面。刺青を施し、裂けた口を持つ。ぽっかりと丸く空いた目はじっとユリを見据えていた。ユリがどこまで落ちていっても、仮面はユリの傍らにいた。
「あなたは、誰?」
「私は『調律者』。『神』とも呼ばれる。かつてこの星の生命を分け隔てた者。お前は今、自分自身を見失っている」
「自分を見失ってる? そうね。それはきっと昔から。自分と言うものが何なのか、あたしにはわからないもの」
「しかし、それで何かを傷つけていい理由にはならない。このままでは逢魔空間を破壊し尽くし、現実世界にも影響を与えるだろう。お前の帰りを待つ者がいる。お前を心配しているぞ」
「心配? あたしを?」
「土屋ミカド……彼女もまた、私とかかわりのある者だ。少なくとも奴はお前の味方だ。そして、お前自身も変わらなければならない。誰かに助けを求めるのではなく、自分が誰かを助けられるような人間にならねばならない。いつか土屋ミカドは窮地に陥る。その時、奴を助けられるのはお前だけなのだ」
「あたしが助けるって、ミカドを? 無理よそんなの、そんな状況、考えられないし。あいつは何でも自分一人で何とかする、そういうやつなのよ」
ユリは闇に浮かぶ仮面から顔を背ける。
「むしろあいつに取りつく隙があったら、欲しいくらいよ……。あいつ、あたしを助けるって言ってたけど、あいつに心で近づくことは難しいの。いつもあたしのそばにいる。でも、あいつは完璧超人すぎて、どう考えてもあたしに釣り合わないの」
「人は一人では生きられないのだよ、岬ユリ。ミカドもまたお前を求めているのだ」
えっ、ともう一度ユリは仮面を見た。
「ミカドが、あたしを?」
「そうだ。奴もまた孤独を抱えている」
「それは、どんな……」
「説明する時間がない。私とお前はそう遠くないうちに再会するだろう。お前は怒りのエネルギーで私にアクセスしてしまったが、本来なら我々が出会うのはその時。元々私から分かたれた天叢雲剣の力が暴走したのも、時期が早かったためだ」
「待って! あなたは本当に神様なの?」
「その答えは因果の果てに待っているだろう……」
すうっと仮面が闇に溶けるように消えていく。
「待って、待ってよーっ!」
ユリの叫びは虚空に飲まれた。
そして、彼女の視界が真の闇に閉ざされるのだった。何も考えられない。何も知覚できない。眠りに落ちるときと同じ。黒い海に沈む感覚。
意識が完全に落ちる前、ユリは瞼越しに光を感じた。
・
ミカドは気を失ったユリを抱え、すたっと降り立った。
急にユリの全身から力が抜け、浮遊能力も失い、普段のユリに戻ったのだ。原因はわからない。が、とにかくあの超常現象は収まった。
ミカドは瓦礫の山と化した校舎を見やる。
生徒たちの学びの場としての校舎は無残な姿を晒し、これが逢魔空間ではなく現実世界で起こったなら、大災害となるだろう。この規模で死人の一人もいないほうがおかしい。現実世界に影響が出る前にことが終わって、本当に幸いだった。
「……終わったのか」
ユリを抱えるミカドの後ろから、カルマがやって来る。そのセーラー服は土埃に汚れていた。むせたのか、げほっとカルマはせき込む。
「……」
美猴王もまた、無言でミカドの近くに歩み寄ってきた。
「私たちが、彼女を怒らせて、こんなことになった……」
美猴王はやや申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい、ユリさん。私はあなたを怒らせようなんて思わなかったの……」
「ま、第二ラウンドはなしだな」
カルマが肩をすくめる。ミカドは頷く。
逢魔空間が晴れ、彼女たちの周囲に無事な校舎が戻ってきた。
すやすやとミカドに抱かれて眠るユリは、どこか安堵したような表情をしていた。
それを見て、ミカドは複雑な表情を浮かべるのだった。




