第一話 開幕 ~はじまり~
人生はとことん幸せになるか、とことん滅茶苦茶になるかのどっちかになりたい。
岬ユリの人生論はそういったものだった。
幸せになれない普通の、つまらない人生なんていらない。それならばいっそ、とことん波乱万丈の人生でありたい。普通の女子高生である彼女は常日頃そう思っている。刺激のない日常ほど退屈なものはないからだ。
ユリはこうも思う。
周りのクラスメイトはカレシがどうの、スイーツがどうの下らない話題で人生の余暇を消費している。あたしは違うのだ。あたしは烏合の衆に迎合せず、とことん自分だけの人生を楽しんでやる。あたしという存在はあたししかいない。あたしが感じるものは唯一無二だ。だから無理に友達なんか作らなかったし、見栄を張るためだけの恋人だって作らない。
あたしは、あたしが認めた人間としか付き合いたくないのだ。
きーんこーんかーんこーん、と下校のチャイムが鳴る。夕日が差し込む教室。帰宅する生徒もいる中、女子の集団が教室の中心に集まって何やら会議を始める。ここ物化町では毎年秋に盛大な祭りがあり、その進行を司る人々の子供たちも参加することになっていた。
「ユリー、あんたも祭りの会議、出なさいよー!」
ユリは無視して帰り支度を始める。その背中に更に言葉が投げつけられる。
「あんた、主役なんでしょー?」
そう。主役。自分で望んだわけでもない役柄。
岬ユリは祭りを主宰するオロチ一族の末裔。しかも生娘であるユリが、祭りの看板として抜擢されないわけがなかった。
紅白の装束を着て、神輿に担がれて町内を一周する行事。去年も行われたが、大衆の視線を浴びながらも澄ました顔をしなければならないのは、まるで拷問だ。ユリはそのことを考えるだけで憂欝になる。
「ちょっと、ユリ! あんたまたサボるつもり?」
黙って鞄を持ち、教室を去るユリ。クラスメイト達は一斉に冷ややかな視線を投げかけてくる。ユリは背中に冷や汗を感じつつも、気にしていないように装っていた。
「そんなに協調性ないんじゃ、彼氏だってできないよー?」
誰かの言葉。クスクスという笑い声がそれに追従する。
余計なお世話だこの野郎。
ユリはぴしゃりと扉を閉め、小走りに廊下を走った。『廊下は走らないでください』という張り紙の横を通り過ぎて、校舎から脱兎のごとく去る。
ユリは思う。
あたしはこの社会で生きていくのに相応しくない人間だ。
大人たちから役割を押し付けられ、学校と言うムラ社会でも孤立している。成績だけは中庸を保っているけど、進路だってろくに決めちゃいない。町内会から祭りに参加しろと言われ続けているけど、両親が離婚して、お母さんが育児放棄したため一人暮らし。正直、先行きは暗いとしか思えなかった。
でも、もし恋人と巡り合えるのなら、素敵な人がいいなと思った。
あたしを幸せにしてくれる人。
それか、あたしを退屈させない滅茶苦茶な奴。思い切ってあたしを破滅に導く奴でもいいかもしれない。だらだらと長生きなんてする気は毛頭なかったし、壮絶な人生の幕引き、それも悪くない。
どんなオトコと付き合いたいか想像もしたことないけれど、この際女でもいいかもしれない。女子高には男子なんていないんだから。
とにかくあたしを変えてくれる奴。あたしの停滞した人生に変化を与えてくれる奴。それくらいのパワーのある人が近くにいればいいんだよな。
ユリは妄想を膨らませながら帰路に就いた。
日は傾き、朱色を薄めた空に鱗雲が広がっている。陽光が広がる範囲の外側は薄暗くなりつつあり、闇の訪れも近い。
それは俗に、逢魔が時と呼ばれる時間帯だった。
・
時に、昨晩、瀬戸内海。
薄暗い海にたゆたう島。そこには社が建っていた。
本殿は厳かな雰囲気に包み込まれ、蝋燭の灯りしかなく、内部にいるだけで圧迫感がある。
座敷には貴族のような着物を着た老人、そして巫女服の少女が向かい合って座っていた。
「土屋ミカド。貴殿がここに呼ばれた理由……それはわかっているな? 戦いのために生まれた自分の使命。今、貴殿の力が必要になっているのだ」
「はい。浄階殿」
少女の声は凛とした鈴のようだった。
艶やかな黒髪を後ろでまとめ、ポニーテール風にしている。切れ長の瞳。端正な顔立ち。巫女服の上からでもわかる、すらりとしたスタイル。彼女の全身から高貴さが漂っているのだった。
「天魔波旬が動き出しつつある。祭りのハレによって抑え込んでいた奴らが、何かの意志によって活性化している。その原因を突き止め、根絶せよ。その町にある学校への編入手続き、下宿の手配は済んである。戦う以外に貴殿が心掛けることは何もない。存分に力をふるいたまえよ」
浄階は厳かに言い、ミカドと呼ばれた少女は頷いて立ち上がった。
モデルのように長い脚。スレンダーな身体に巫女服が似合っている。その目には自信が満ち溢れていた。
「必ずや、保護対象を守ってみせます」
少女は高らかに宣言した。
蝋燭の火が、ぼぼっと揺れ、一瞬彼女の美しい顔にグラデーションを加えた。
・
その日もユリは下宿に帰る。下宿は、商店街から離れた林を通って行った方が早い。草いきれはあるものの、男勝りな気質のあるユリにとっては気にするほどのこともない。夏場は虫が出るのだけが嫌だったが。
木々の間を通り抜け、通り沿いにある出口まで突っ切っていこうとした時……。
ユリは木からぶら下がっている『それ』を見て、目を見開き、固まってしまった。
女子高生の首つり死体。制服の柄からして、自分の学校の生徒に間違いない。
「嫌……何、これっ」
もの言わぬ死体は青白い絶望の顔を浮かべ、口をあんぐりと開けている。その口の中に蠅が数匹、ぶんぶんとうなって入っていく。死んでいるのは明らかだった。
「やだ……やだ、警察っ!」
ユリは必死でスマホを鞄から取り出し、非常通報にかけようとした。
その時、びくんと死体が痙攣した。
「ひっ!」
ユリが生きていたのか、と思ったのもつかの間、死体の両腕両足がぶらぶらと揺れ、意味のない動きを繰り返す。
まるで人間だった頃を忘れたかのような動きだった。
「やだ、やだぁぁっ!」
ユリは半狂乱になり、その場から逃げ出して下宿に走った。
スマホを茂みに取り落としたことも、ユリは気づかなかった。
ずるりと縄から抜け出し、べしゃっと地面に落ちた死体は、地面を這っていく。
そしてユリが取り落としたスマホをがしっとわしづかみにしたのだった。