No.3 呪われたキメラ
「やべぇ、道に迷った。」
俺がそう呟いたのは、自分の部屋に帰る途中だった。
来たはずの道を逆戻りしただけなのに、どこで間違えたんだ?
俺はそう思いながら廊下を歩き続ける。
倉庫、資料部屋、実験室1。
見たことの無い部屋がならんでいた。
こんなに広い施設だったら、どこかに地図くらい貼ってくれてもいいのに。
「いくらなんでも不親切過ぎやしないかね?」
俺は独り言を言った。
そもそも自分の実験体に鍵を持たせて、1人で帰ってくれなんて、無神経過ぎじゃない?
もし逃げられたらどうするんだよ。
俺にとって博士は、まぁ恩人な訳だし、逃げるなんてことはしないけど、これがもし博士に対して恨みを持っている人だったら即逃げだぞ。
俺が歩き続けると、実験サンプル2と書かれた部屋を見つけた。
「この部屋の配置とか、扉とか、俺がいた部屋に似てるな。もしかして、無事に帰ってこれか。」
どうやら、俺は迷って歩き回っているうちに、目的地に到着したらしい。
俺はほっとため息を着いた。
その直後に扉を開けて、実験サンプル2という場所に入った。
しかし、そこは、俺が目指していた部屋とは全く違った。
「あれ?ここは...違う場所だったか?」
そこは俺が元々居た部屋と比べ、薄暗く、若干臭く、なんだか不気味な場所だった。
なんだ?この場所は?
なんで研究所の中にこんな部屋が存在するんだ?
俺は周りを見る。ぎっちり詰められた、たくさんの小型のおり。
なんの為にこんなものが用意されているのかはわからない。
「あの博士、いい趣味してるぜ。」
俺はそう言って檻を触った。
若干ベトベトする感触。
錆びている鉄。
「うぇー。」
本当になんでこんなものがあるんだ?
そんなことを考えているとひとつの声が耳に届いた。
「たす........けて..........」
!?
俺の顔は真っ青になった。
どこからか変な声が聞こえてくる、幽霊か?
俺は焦って周りを見た。
しかし、俺の周辺に何かがいる様子もない。
「聞き間違えか?」
ベタッ
その直後、俺は、檻を握っていた俺の手に生暖かいぬるぬるした感触を覚えた。
「たす.......けて..........」
「ああぁ、ああああ!」
そいつは檻の中にいた。
「たす...けて ..........」
体は半分液体で半分個体。まるで泥でできたスライムのような外見だった。
「なんだよ...これ...」
無意識に、口から言葉が漏れた。
そういえば、俺がこの部屋に入る時、実験サンプル2と描かれている看板があった。
つまり、これは博士が生み出した、生物ということか?
こいつは、博士が作ろうとしたものの失敗作?
今、これを見た俺の心の中にあるのは、恐怖だけだった。
しかし、この恐怖はたすけてと俺に言ったこの奇妙な物体に向かっての恐怖では無い。
こんな生物を平然と生み出し、実験サンプルとして保管している、博士に向かっての恐怖だ。
「おね....がい.......」
俺はつい後ずさりした。
「今、お前、言葉を喋ったのか?」
俺は奇妙な物体に向かって指を指した。
しかし、その言葉にやつが答えることはなかった。
その代わりやつはこう喋った。
「お願い...私を...たすけて...」
わからなかった。
これを見た俺は、一体何をすればいいのか、何もわからなかった。
しかし、やつ、(いや彼女か?)が言っている意味は察せてしまった。
そして、それからすぐだった。
周りから聞こえる不気味な声に気付いたのは。
「たすけてくれえぇえぇ」
「俺をここから出してくれぇぇえ」
「うぉおおおおおぉぉぉ」
俺は360度から声をかけられていた。
俺は周りを見渡す。
そして、見た。
俺に声をかけた人達の悲惨な姿を。
それはもう人として見れるものではなかった。
言ってしまえば化け物だ。
「なんだこれは?これはいくらなんでも酷すぎる。」
よくよく考えてみれば、あの博士は研究者だ。
失敗作をどこかに残していても不思議じゃない。
だとしても...
俺は無意識に後ろへ倒れ込み、軽い尻もちをついた。
「地獄だ。ここは、地獄だ。」
俺は動けなかった。
動く気もないし、動こうとしたって体が追いつかない。
目からは何故か涙が流れ始める。
自分も、もしかしたらこうなっていたかもしれないという恐怖。
この人達はこれから、どうして行くのだろうという不安。
そして、こういった事を平然とやってのける博士に対しての軽蔑。
俺は自分の胸に様々な感情を刻んだ。
ふと、ある声が耳に入る。
「お兄...ちゃ......ん....」
俺は一気に周りが見えなくなり、ハッと振り返る。
「なんだ?この感じ。なんだ?この違和感。」
俺は声の聞こえた方へ向かう。
「頼む...やめてくれ...俺の空想であってくれ。ただの妄想であってくれ。」
「お...兄..ちゃん...?」
「タム...?」
そこに居たのは村に火が回った時に生き別れた妹だった。
声も姿も違う。
だがわかった。
魂が教えてくれた。
彼女は自分の妹だと。
しかし、なんて残酷な事だろうか?彼女の姿も、既に人の物ではなくなっていた。
彼女もまた化け物になってしまっていたのだ。
「タム!どうしてこんな事に!」
「お兄...ちゃん...生きて......良かった...」
その言葉を聞いて、俺は絶望した。
俺の涙は止まらずに流れ続ける。
「ぁああああぁ」
せめて...
せめて、彼らが心を失っていたのならば、一体どれだけ幸せだろうか?
「助けて」も、「お願い」も、「お兄ちゃん」も、もし全てが直感的に出てくる言葉であり、心の声じゃなかったら、どれだけ良かっただろうか?
俺は歯を食いしばる。
「お兄...ちゃん...私...苦しいよォ...」
少女が訴えかける。
「みんな...心がある。みんな、人間だ。人間なんだ。タムだって...人なんだ。なのに...」
「お兄...ちゃん...助けて...」
俺は何も出来なかった。ただ膝を地面着いて、泣くことしか出来なかった。
「ごめん、タム。俺には...俺には何も出来ない...!俺はお前に何もしてやれない...!」
俺は嘆き、自分の無力さを呪った。
それから1時間、俺は研究所をさまよい、自分の部屋に戻ってきた。
「ゲイン...帰ってきた。」
ミャオは言う。俺は、あぁと少し頷き、ベッドに潜った。
「ゲイン、なんか元気ない。」
彼女は言う。
俺は黙る。
「なぁ、ミャオ。俺の昔話をしていいか?」
「うん。」
ミャオは答えた。
「俺は昔、貧乏な村に生まれたんだ。万年食糧不足。人手も少なく、あまりいい村とは言えなかった。
そんな村に住んでいる俺だが、結構幸せな人生を送っていたんだ。タムっていう妹もいたし、親だって元気に過ごしていた。」
俺は顔を膝の中に沈めた。
「タムはさ、わがままで自分勝手で、いつも俺とくだらないことで喧嘩ばかりしてたんだ。正直、仲のいい兄弟って訳じゃなかった。まぁ、それでさ、ある日、俺の村に火が回ってさ、妹と俺は生き別れちゃったんだ。それから6年間、俺はぐっすり眠ってた。でも、さっき帰ってくる時に、妹と会ったんだ。」
「妹...元気...してた?」
ミャオは軽く口を挟んだ。
「いや、むしろ逆だ。彼女は博士の実験の失敗作として扱われていた。酷い姿だった。もう人の形はしていなかった。でも、彼女は言葉を発した。俺をお兄ちゃんと言ってくれたんだ。」
俺は泣き始めた。
「どうして、こうなったんだろう。どうして、彼女はあんな姿になってしまったのだろう。どうして、俺は何も出来なかったのだろう?俺は彼女に助けてやるって言おうとした。でも言えなかった。いつか助けてやるなんて、そんな確証もないこと言えなかった。」
俺は泣きわめいた。みっともない。
ミャオは俺を慰めてくれた。そっと、優しく。
俺は自分の無力さを呪いながら一晩中泣いた。
「なぁ、ミャオ。」
次の日になって、俺はミャオに話しかけた。
「何...?」
ミャオはそっと俺に返す。
「一晩中考えたんだけどさぁ、俺、博士を裏切ることにする。」
俺がその言葉を発すると、一気に部屋の中が静まった。
「博士...裏切る...?」
「あぁ。」
ミャオはかなり同様していた。
「なんで...?博士を...?」
「そうするべきだと思ったからだ。妹のためにも、皆のためにも。そして、俺の為にも。あいつは居てはいけない存在だ。俺は...」
俺は、1回黙ってから続ける。
「俺は博士を殺す。」
ミャオの表情は一気に変わった。
部屋の中には不穏な空気が流れる。
しばらくして、ミャオが予想外の発言をした。
「私も行く。」
その言葉を聞き、俺はかなり動揺した。
「な、お前今なんて言った?」
「私も行く...て...言った。ダメ?」
「ダメに決まってるだろ?何考えてんだ?俺は人を殺すって言ってるんだぞ?しかも、自分を助けてくれた恩人を。危険だって伴う。なのに一緒に行くだって?自分が何を言っているのかわかってるのか?」
「わかってる。でも...私...ゲインについて行く!」
きっと彼女は何もわかっていない。
ただ感情に任せて、物事を言っているだけだ。
人を殺すことの愚かさも、博士を敵に回すという意味も、きっと何もかもわかっていない。
「死ぬぞ、きっと。」
俺はボソッと言う。
「うん。」
ミャオはその一言だけ残した。
「悪いけど、ミャオを連れて行くことは出来ない。」
そう、博士が持つ戦力は一体どれほどの物なのか、俺には理解出来ない。
あの博士の技術は俺の常識を超えている。
一体何人の人をキメラにしてきたのだろうか?
そいつらを使えば俺なんてすぐに殺せてしまう。
一体何人の兵を持っているのだろうか?
こんなに大きな研究所を持っているんだ。
彼がどこかの国の専属の研究者であっても不思議じゃない。
これだけの技術を持った優秀な研究者だ。
もし、俺が博士を殺そうとしていることがその国にばれれば、俺を排除しようと、兵を動かすかもしれない。
もしかしたら博士は核爆弾さえも作っているかもしてない。可能性の話だが...
俺は未知の相手に喧嘩を売ろうとしているんだ。
こんな事に、精神年齢がまだ幼いミャオを巻き込む訳には行かない。
「ごめんな。」
俺はミャオにそう言い残した。
ー戦いは近いうちに始まる。ー




