最終話 俺たちの戦いはこれからだ!
それまでの張り詰めた空気が解けて一転、凛音お嬢様の部屋は祝賀会のようなムードで盛り上がっていた。
とはいえ、ビールかけみたいなノリではない。事前に準備されていたのか、次々と運び込まれたテーブルの上に瞬く間に並べられたのは、ケーキに紅茶。ちょっと遅めのアフタヌーンティーのような優雅かつのんびりとした光景である。そりゃそうだ、だって主役の凛音お嬢様は未成年だもんね。
「やったな、宅郎! お前ならきっとこのミッションをクリアしてくれると信じていた!」
「はじめのうちは、この先、どうなることやらって思いましたけどね」
「はっはっはー! やはり、私の目に狂いはなかったな!」
いきなり身体を仰け反らせて高らかに笑い出したかと思ったら、急に神妙な顔つきをしたみこみこさんは、ていねいすぎるくらいていねいに腰を折り、俺に対して深々と頭を下げる。
「いいや、決して笑い事じゃすまされないな。本当にお前には、突然攫ってきた上にこちらの都合ばかりで無理難題を押し付けてしまった。改めて……謝罪をさせて欲しい」
「……いいっすよ! まあ実際、俺も楽しんでここまでこれましたから」
「そうか。そう言ってくれると助かる。おっと……ほれほれ、行ってこい!」
「え?」
満面の笑みを取り戻したみこみこさんは、ウインクをして脇腹を小突く真似をする。うながされるまま後ろを振り返ってみると、エージェントさんたちに囲まれてくすくすと笑う凛音お嬢様の姿があった。
本当に……嬉しそうだ。
きっと俺も同じ表情を浮かべているんだろうな。
「ありがとうございました、センセー! センセーのおかげです!」
「お役に立てて何よりだよ。それにさ――」
凛音お嬢様のそばまで歩み寄った俺は、その肩にそっと触れながら続けた。
「俺は知って欲しかったんだ。俺が好きな物、俺が愛してやまない『オタク・カルチャー』の世界を、どうしても凛音ちゃんに知って欲しかったんだ。勉強のためだとか、社会で役立つとか、『宅検』のためだとか、そういう難しいの一切関係なしにさ。それだけなんだよ」
「センセーのおかげで、いろんなことに触れて、いろんなことを知って、私は一回り大きく成長できた気がします」
「まーまー。そこまで言われちゃうと大袈裟な気がして恥ずかしいんだけどね……」
そんな大層なことを教えたつもりはない。照れ臭くってぽりぽりと鼻の頭を掻く。
そして俺は、こう続けたのだった。
「でも、これで凛音ちゃんは、ようやく次の段階へのパスポートを手に入れることができたってわけだ」
「………………はい?」
俺のセリフに戸惑いを隠せなかった凛音お嬢様の顔が、ひくり、と強張った。よほどタイミングが良かったのか悪かったのか、その場にいた全員もまた、俺の発したセリフを耳にして疑問を抱いたようで、一瞬にして水を打ったかのように部屋中が静まり返ってしまった。
「お、おい……何を言い出すんだ、宅郎?」
「何を、じゃないっすよ」
そこで俺は一同の前に歩み出ると、それまでずっと小脇に抱えていたノートパソコンを開いてスリープモードを解除する。スクリーンに表示されていたのは『宅検』公式サイトだ。乱暴に、ぱしぱし! と叩いて、それをみんなに見せつけるようにして俺は言った。
「俺の目は誤魔化せませんよ! 今回受験した『宅検』って、一番下の五級、ですよね!?」
「それは……そうだが……」
「こんなのどまりじゃ、俺、教師として納得できないっす!」
そうだ。
とりあえず取る者は取った、その程度で満足しちゃダメだ。
「どうせやるからには、俺の教え子として恥じない成績を残して欲しいんです! この次は、もっと上を目指しましょう! 調べたら、受験日は年に四回もあるじゃないっすか! ここは、目指せ一級、です!」
「……あれ、本気か?」
「……みたいですね?」
「はい、そこ二人っ! こそこそ話さないっ!」
「「はいっ!」」
肩を寄せ合って訝し気に囁き合っていた凛音お嬢様とみこみこさんを一喝すると、途端にしゃきーん! と背筋が伸びる。
(ちょっと自分なりに考えさせてもらってもいいですかね――?)
あの時そう告げた俺は、悩みに悩んだあげく、ようやく一つの結論に至ったのだ。
凛音お嬢様が合格したとして、無事元の世界へ戻ってどうする? と。
俺を待っているのは退屈な毎日だ。別に俺じゃなくてもできる仕事、俺がいなくっても過ぎていく日常。そんな世界に戻ったところで、もう俺は満足できない状態になってしまっていたのだった。
この世界は俺を必要としている。
必要としてくれている人がいて、それに応えられるだけの能力を俺は持っている。誰よりも。
それを有効に使わない手はない、そう思ったのだった。
だから――。
遅れて姿を見せた惣一郎氏を見つけるが早いか、俺はそのあいかわらず厳めしい顔に向けてきっぱりと宣言する。
「惣一郎さん、俺は今日限りで凛音お嬢様の家庭教師をやめさせてもらいますよ!」
「な、なんだと!? 本気なのか、多田野君!?」
だが、俺の台詞には続きがある。
「――そして俺は今回の報酬として、鞠小路家専属の『オタク・カルチャー』のアドバイザーとしての地位を正式に要求します! 凛音ちゃんが無事合格した今だからこそ、そうすると決めたんです!」
「なんと!!」
「これを見てください――」
驚くばかりの一同に向けて再度ノートPCを高々と掲げると、俺はさきほどとは違うプレゼン資料を表示して説明を始める。
「これは俺の立てた新しいプランの概要――『プロジェクト・ビッグO』です! この鞠小路家の地位と権力を取り戻すためにはどうすればいいか、それをこの数日徹夜して考えました。どうせやるなら、とことんやってやりましょうよ! もちろん手始めとして、凛音お嬢様に『宅検』一級を取得させることを約束します。そしてその後は、引き続き『鞠小路家総オタク化』のための計画を推進していくという大規模なプランです。どうです、惣一郎さん? この俺を買ってくれませんか?」
「ふ……はははははっ!! 大きく出たな、多田野君! ますます気に入ったぞ!!」
獅子が咆哮するかのように豪快に笑い立てると、惣一郎氏は俺とがっちり握手を交わす。
「約束、してしまったからな……応じられる限り、お前の求めるだけの報酬を与えようと。そしてそれは、私たちが望んでいるものでもあった。ならば断る謂れはないだろう! ん?」
力強くうなずき返した俺は、それまで心配そうに見守っていた凛音お嬢様とみこみこさんたちの方へ振り返ると、黙っていたことを詫びるようにウインクをしてみせる。
「ってことにしたんだ」
「センセー……!」
「そうか。覚悟を決めた、って訳だな、宅郎!」
みこみこさんは満面の笑みでうなずき、凛音お嬢様はたまらず飛びついてきた。
慌てて俺はそれを全身で受け止める。
「やった……また一緒に勉強できるんですね、センセー!」
「もちろん! これからもよろしくね、凛音ちゃん!」
「ふふふ。はい、こちらこそお手柔らかにお願いします」
「いやいや。手加減はしないからね」
俺たち二人を羨ましそうに眺めつつ、みこみこさんは少し不安そうな表情を浮かべて尋ねた。
「やる気になってくれたのは何よりなんだが……お前、わかってるのか? 進む道はさらに険しくなるんだぞ?」
「………………はい?」
要領を得ない返答に、はぁあああ……と溜息を吐き、あのな、と前置きしつつ、みこみこさんは続けてこう言った。
「次の四級は、一〇〇問中八〇点以上で合格となる。時間との勝負だ。そして、三級からはヒアリング問題が出てくるんだ。さらに目指す一級ともなれば、面接官との『会話』問題が出題される」
「ヒ……ヒアリングって?」
「そのまんまだ。聴いた曲やセリフから作品名を導き出したり、声優名を当てたりしなければならん」
「難しっ!」
「おいおいおい……。『会話』問題はもっと厄介なんだぞ? ビジネスシーンを想定した対話形式で、もっともその場にふさわしいと思われる『オタク・カルチャー』の名セリフで切り返さなければならんのだ」
「難易度半端ねぇ!?」
何だよ、その無理ゲー!
……いや、最初から諦めちゃダメだ。
俺ならできる。
俺たちならできるはずだ。
ここに集まっているみんなの顔がそう言っている。俺はこれから本当の意味での仲間となる全員の顔を一人ずつ見つめ、うなずき交わしながら、右手を力強く天井高く突き上げてきっぱりとこう宣言する。
「くっそ……やってやりますよ。言ったからにはね! 俺はオタクの中のオタクだぜッ!!」
そう。
俺たちの戦いはこれからだ!
《完》
ようやく無事最終回を迎えることができました!
これもひとえに応援していただいたみなさまのおかげです。
最後に宅郎が言っていた今後の計画、『プロジェクト・ビッグO』ですが、そのあたりの大筋のプロットも作成済みだったりしますので、また機会があれば続きを書いてお届けできればと思っています。
結局『四大華族』とはなんだったのかとか、凛音お嬢様のライバルの出現であったりとか、鞠小路家に訪れた最大の危機であったりとか、婚約を反故にされたあのお方の逆襲とか……もちろん、本筋としての『宅検』受験のためのお勉強や、四級~一級への挑戦だったりとか、各ネタにはとうぶん困らなかったりします。
それはまた別の機会があれば、ですね。
最後にもう一度、みなさまここまでお付き合いいただきありがとうございました!
ではでは、またいずれ。




