第二十六話 これが私の脱力……だぁぁぁぁ!!!
「これだ……これこそが俺の求めていたもの、求めていた新しい凛音ちゃんの姿なんだ!」
そう声高に叫びを上げた俺の前には。
ぐでー……。
白い毛玉の目立つ色褪せた無地の黒いジャージ上下を着こなし、覇気のない腑抜けた笑みを浮かべたまま、まるで粗大ゴミの回収日に収集所に打ち捨てられていたようなへたり切ったフロアソファーに寝転がって慣れない手つきでゲームのコントローラーを握っている凛音お嬢様の脱力しきった姿があった。その手の届く範囲には、リモコンと数冊の漫画が散乱している。
……あれ?
やりすぎてね、俺?
いいや、これで俺の教えられることは全て出し尽くしたはずだ。
と思う。思いたい。
「あぅううう……難しいです、これ。……じゃありませんでした、クソゲーですよ、センセイ」
「でしょうね。レビューの点数が一番低かったソフトを準備してもらいましたし」
タイトルは『ストリートスマッシャーズ2nd/次なる挑戦者』。
格ゲーであり、凛音お嬢様の言うとおりかなりのクソゲーである。
さっき俺もちょこっとだけ触ってみたところ、キャラの動きはもっさりしてるわ、当たり判定は怪しいわ、必殺技のコマンドが複雑かつタイミングが超絶シビアだもんで、ちっとも出やしない。そのくせCPUのAIは鬼畜モードで、余裕で空中連続技を乱打しまくる。トレーニングモードがないから慣れるだけでもひと苦労だ。おまけに、女子キャラしかいないくせに3Dモデリングがひどすぎて萎える。
「本当に……じゃありませんでした、マジでこの状態がセンセイの理想形なのでしょうか?」
「マジです。大マジです。いい感じでダメ人間になってますよ、凛音ちゃん!」
うん。褒めてるのかけなしてるのか、自分でもわからなくなってきたけど。
「あんな年季の入ったジャージ、良く手配できましたね、みこみこさん。ユーズドっすか?」
「いいや。大至急エージェントに作らせた」
「………………はい?」
「あれはあれ見えて、れっきとした新品だぞ? 要望どおりの新品のジャージを購入してきて、全力で生地同士をすりすりさせることによって毛玉を意図的に大量発生させたのだ。鞠小路家を継ぐお方である凛音お嬢様に、古着なんぞ着せられるか」
毛玉って作れるのかよ。
なんちゅう無駄な労力か。一周回って感心してしまった。
みこみこさんは自慢げに、むっふー! と鼻息を吐き出してから、急に不安そうな表情をして問い返す。
「――にしてもだそ? オタクイコールダメ人間って訳でもなかろうに。こうまでして凛音お嬢様の品位を敢えて地に落とすことで、そこから得られる物とは一体なんなのだ、宅郎?」
その質問には凛音お嬢様も興味津々といった表情を浮かべていた。
けど、説明するのが難しいんだよな……。
「限りなく自由で、それでいて不自由なのがオタクだと思うんすよ、俺」
「ほう?」
「なんでもできるけど、やれないし、やらない。はたから見たらすっごく非生産的で無益に思えることを、ひたすら夢中になってやり続けるのが真のオタク道だと思うんです。ハングリー精神、っていうんすかね」
「なんとなく言いたいことはわかる気もするが……やっぱり難解だな」
うんうん、とみこみこさんの台詞に同意を示す凛音お嬢様にも視線を巡らせ、俺は続けた。
「凛音ちゃんの今置かれている『なんでもすぐ手に入る』って状況は、ちょっとオタクとはかけ離れていると思ったんです。なんでもさせてもらえる、やれるし、やる。これだと、さっきのとは真逆な気がしてですね」
「精神の渇望……それを引き出すため、そういうことか?」
「ですね。ですです」
望めば何でも手に入る。
それって、もはやオタクじゃなくて、単なる成金趣味のコレクターだ。
みこみこさんが言ったように、物質的な意味だけでなく精神的にも『飢えて』欲しい。
なので、まずは形から整えた、というわけなのだ。
だが、それを聞いた凛音お嬢様は、眉根を寄せて考え込んでしまった。
「とっても哲学的ですね……」
「い、いやいやいや! そんなに高尚なモンじゃないですよ、凛音ちゃん。き、気楽に、気楽に」
そう口早に告げると、空いているもう一つのコントローラーを手に取って問答無用に乱入、凛音お嬢様へ挑戦状を叩きつけた。俺だってそこそこ格ゲーは詳しい。勝てるはずだ。
『Here Comes A New Challenger!』
合成音声が闘いの始まりを告げた。
ガチャガチャガチャ!
ペシペシペシッ!
「う……っ。マジかよ今の当たり判定! つーか、強パンチの出、早くないっすか、このキャラ!」
「ぶっちゃけ、必殺技出すよりこっちの方が効くんです、このゲーム」
「うぉうい! 今、コマンド完璧だったじゃないですか! 何で出ない……!」
「十字キーでの入力後、微妙なワンテンポを置いてからボタンを押さないと出ないんです。それが難しくって」
多少なりともやり込んだだけはある。今の凛音お嬢様には勝てる気がしない。
っていうより。
『You Win!』
「「く……糞ゲー……!」」
勝った凛音お嬢様も、負けた俺も、ほぼ同時に同じセリフを口に出した。
これはひどい。レビューでの評価、もっと下げた方がいいって。
「さて、この状況で次に何をしたいですか、凛音ちゃん?」
「うぇえっ!? さすがにこのゲームはもうやです……」
「でしょうね」
二人してほぼ同時にコントローラーを身体の脇に投げ捨てた。
もうこれ、二度とやることはないだろうな。
何をしたいか自問自答していた凛音お嬢様は、しばし考え込む素振りを見せてからおずおずとこう切り出した。
「あの……アニメを観てもいいでしょうか?」
「もちろんです! 今の自分が欲することを、本能の赴くままに実行してください」
「えとえと……じゃ、『幼女戦記』を観たいと思います!」
「面白いチョイスっすね。凛音ちゃんの口から出るとは思えない作品で、とってもいいと思います」
「そ、そですか」
ぽちり。
視聴開始。
「ターニャちゃんが可愛いのです!」
「中身、おっさんですけどね」
「そのギャップがまたいいんじゃないですかー」
ちらり、と横目で盗み見た凛音お嬢様の、主人公・ターニャ・デグレチャフを目で追う瞳はいつも以上にキラキラと輝いて見えた。はて、幼女趣味に芽生えたか……? と思ったがそうではないらしい。
「この、自分の意志とは裏腹に、大いなる意志に流されてしまうところが妙に共感してしまうんです」
「なるほどねえ。そういう見方はしたことなかったですねえ」
まだどことなくぎこちなさは残るものの、ソファーベッドの上でなるべくだらしなく見えるようなポーズをとって寝転びながら、スクリーンを夢中になって見つめている凛音お嬢様は、ようやく身体の余計な力が抜けたように思えた。
何しろ、やる気を出すな、とにかくだらけろ、などというハチャメチャな指導を受けたのはこれがはじめてなのだ。最初のうちはそれすら実直に演技しているように見えていたものが、ようやっと自然体に近づいてきたような気がする。
そのまま俺と凛音お嬢様は、そのへんに転がっていたポテチの袋を開け(といっても、中身はエージェントさんが準備していた一〇〇%オーガニックの高級品らしいのだが)、半ば惰性で、ぱりぽり、と摘まんだりなんかしているうちに、結局ぶっ通しで全十二話を一気に見終わってしまっていた。
「つ、次、これ、『スレイヤーズ』観ますね……」
「どぞどぞ」
この調子なら、もう放っておいても大丈夫そうだ。
その後も凛音お嬢様を暖かく見守りながら、俺も一緒にアニメ視聴に付き合ったのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【今日の一問】
次は、SNKの格闘ゲーム『龍虎の拳』の登場キャラクターの『ユリ・サカザキ』の台詞です。正しいものを一つ選びなさい。
(ア)たまごっち
(イ)よゆうっち
(ウ)あたしんち
(私立小学校入試問題より抜粋)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【凛音ちゃんの回答】
(イ)。
騙されません。(ア)は携帯ゲームで、(ウ)は漫画ですよね。
【先生より】
正解です。完璧ですね。なお、このゲームはダメージを一定量以上喰らうと勝利後のビジュアルカットもそれに比例してボコボコになるため、この台詞に信憑性がなくなるシュールな作りでした。ちなみに、彼女と同様女性キャラクターの『キング』の二名には脱衣KOなるものがあり、それを出したいが為に友人とゲームセンターに足しげく通っていたことをここで反省したいと思います。




