第二話 見知らぬ天井
「……おえっ。ここ……どこだよ……? って、拘束されてる……だと……!?」
がっちゃんがっちゃん。
どこもかしこも白一色のセカイだった。目覚めたら、見知らぬ天井、とか洒落になってない。妙にバランスの悪い椅子の背もたれに手錠で拘束されているらしい。わっしょいわっしょい動いてみたが、当然のように外れてはくれなかった。そこまでは理解した。したくなかったけど。
『ジジ……。お目覚めかね、多田野宅郎二十八歳?』
どこかにスピーカーでもあるのかな? 見当たらないんだけど?
「……はぁ。あいにく何か特別な選ばれし者の力には目覚めてないみたいっすけど。何の用っすか?」
『今、そちらに行く。待っていろ』
何だか偉そうな女の声がそう告げた。
仕方なく待つ。動けないし。
ういーん。
軽い振動音をともなって継ぎ目の見当たらない壁の一部が開くと、そこからしばらくぶりに見る黒服二名を従えた黒のパンツスーツが良く似合う細眼鏡の女がやって来た。
スタイルは良い。
顔も悪くない。
だが、髪型がどうしようもなくダサかった。頭のてっぺんで結わえられた髪束が使い古しの絵筆みたいになっとる。むしろ、素直に降ろした方が似合うんじゃないか。余計なお世話か。
「おい、エージェント。手錠を外してやってくれ。これ以上、彼を拘束する必要はない」
どっちがどっちか見た目ではまるで区別のつかない黒服二人は、女の発した命令に即座に従った。どっちがKでどっちがJだ? ま、手錠外してくれたし、どっちでもいっか。
「私の部下が手荒な真似をして済まなかったな、多田野宅郎二十八歳。楽にしてくれ」
「アッハイ」
アイサツする意志が伝わればシツレイには当たらない。いいね?
つーか、『二十八歳』が名前の一部っぽくなってる件をなんとかしていただきたいんですがー。
「あのう……。それよりもですね、突然拉致られた理由を教えて貰えますか?」
「まずは自己紹介をしようか。私はこのプロジェクトの責任者、御子神美琴と言う。よろしくな」
俺の質問はスルーされ、自己紹介とともに、ぶんぶん、シェイクハンドされた。
やわらかい。
あたたかい。
じゃなくてさ。
「これ、拉致っすよね? つーか、プロジェクトってなんなんすか? ウチの会社の?」
「次にだ……。今君がいるのは、二三〇〇年の日本だ。……おっと、驚いてくれるなよ?」
またスルーされてるし……。
というか、みこみこさん(命名)、基本的に人の話を聞かないタイプっぽいな。
じゃねえよ!!
「は……はぃいいい!? 今、比較的あっさり言ってくれちゃいましたけど、『ここは二三〇〇年の日本だ』って、一体どういうことっすか、みこみこさん!?」
「お、良い反応だな。うむ。即座にあだ名を付けるところも非常に興味深い。気に入ったぞ」
「じ・ゃ・な・く・て・! ……やっぱりCERN的な『機関』の人たちっすか? そうなんすか!?」
「き、機関? ……ほう、やはり君の才能と適正はズバ抜けているようだな。いや、残念ながら我々は、君の言う『機関』に属する者ではない。私設の研究員でな――」
そう言うなりみこみこさんが軽く右手を振ると、ジェスチャーにあわせて突如虚空に薄緑色の半透明なスクリーンが浮かび上がった。なんだ、この技術? ホログラフィ? 見たことないぞ?
「なんの説明もなく連れてきたことは謝罪しよう。だが……君でないと駄目なのだ、多田野宅郎二十八歳。古のオタク・カルチャーに精通した君こそが、このプロジェクトに必要とされる人材なのだから」
スクリーン上には『プロジェクト・O概要』と銘打たれたスライドが表示されていた。
「――手短に説明をしよう」
みこみこさんはそう言ってスライドに右手の人差指を差し向けた。すると、少し大振りの黒い指輪からレーザー光が発射されて、それで文字をなぞるようにすると次々とイラストと図が表示されてアニメーションし始めた。おう、実に分かりやすい。
「今やこの日本の貿易の中核を成す固有の国家資産は、『オタク・カルチャー』のみとなっていてな。国外相手の貿易はもちろんのこと、建築や製造・開発、ファッションや各種サービスに至るまで、何をするにも一定量以上のオタク知識が求められる世の中なのだ。結果的にやることはお前が存在していた時代と同じだとはしても、その根底には必ず『オタク・カルチャー』のエッセンスや思想・思考が含まれていなければ誰にも受け入れてもらえない。それがこの『二三〇〇年の日本』なのだ」
続くスライドには、ビジネスシーンにありがちなミーティングの風景が描き出されている。
「――例えばだ。お前であれば、海外のクライアントとコミュニケーションを図る際にはどうするかね、多田野宅郎二十八歳? その国の言語を必死で習得する……確かにそれは有効だろうな。しかしだ。今やそんな苦労をせずとも、その場面にふさわしいアニメや漫画の名台詞を口にした方がよほどスムーズに通じるほどなのだよ。通訳するにも、その方がニュアンス違いなどの余計な心配をせずとも済むのだ。ある意味においては、非常に合理的な世界共通言語とも言えるだろう」
途端に自社の決起集会で、『ジーク、〇〇!』と叫ぶウチの若禿オールバック社長の光景がありありと目に浮かんで、思わず噴きそうになった。額が似てるんだよマジで。
「――つまりだ、君のような『オタク』こそが輝く時代なのだ。それゆえ、オタク知識を有しない者は、ビジネスの世界で全く通用しない人材として軽視されてしまうのが現状なのだな」
「……はい? 『オタク』でなければ社会で成功しない……? それマ?」
「マジだ。だからこそ、君が必要だったのだ。君がいなくちゃだめなんだ」
それ、花澤さんの曲のタイトルじゃね?
とか言うよりも、プロジェクトの中身が気になってきた。
「続きを」
「こほん……」
またスライドが切り替わった。
中央に大き目なフォントででかでかと『宅検』と書いてある。
誤字……じゃないのかな? 俺が知ってるのと違う件について。
「その『オタク・カルチャー』の精通度合いを知る指標として、国はある資格検定試験を設けた。それこそがすなわち『オタク・カルチャー検定試験』、通称『宅検』というわけだ。この『宅検』所持者でなければ、一生まともな職にはありつけない。せいぜいがコンビニ店員どまりだよ。……ああ、そうだな、この時代にもコンビニはあるぞ? 随分と様変わりしているだろうが」
「コンビニの話はいいです」
「そうか。興味深いと思ったんだが……」
みこみこさんは妙にしょんぼりしたかと思うと、一転、ぱっつんぱっつんに胸を張ってみせる。
おお、眼福眼福。ありがたや。拝んでおこうっと。
「――ちなみにだ。私も当然『宅検』所持者だよ。しかも、ほぼ満点だったからな! 大抵の話題には付き合ってやれるぞ? これも当然のことだが、プロジェクトの完遂までは私がみっちりサポートしてやるから安心してくれたまえ。なんたって三十三歳独身だからな! ……って何を言わせる」
あんたが勝手に言ってるんじゃないっすか。
でも、ちょっと意外。案外モテそうなのになー。
少し気持ちに余裕が生まれてきたのでもう一度よく観察してみると、みこみこさんはやっぱり美人だと思えた。黒のパンツスーツのジャケットの中からは、ちょっと不釣り合いな印象すら受けるフリルたっぷりのフェミニンなドレスシャツが覗いている。踵が低めのヒールは、すらりと伸びた長身をごまかすためなんだろうか。背が高くて、足がすらりと長い。思わず見惚れるスタイルだ。
表情の方はというと、パッと見、むっつりと不愛想に見えてしまうところもあるが、なんとなく、学生時代は真面目な優等生タイプだったんだろうなー、って気がする。たれ目気味の大きな目や、口角のくいっと上がったグロスで潤った唇は見る者を、どきり、とさせる効果があった。そばかす跡のわずかに残る鼻筋も逆に愛嬌を感じていいと思います。
うーん、やっぱりモテそうに見えるんだけど。
となると、あの髪型が駄目なんだろうか。それか中身が(自主規制)。
オラ、ちょっとだけワクワクしてきたぞ!
って言い始めた俺の中の悟空をなだめすかし、肝心なことを聞いてみることにした。
「で……俺、何をするんです? っていうか、何をさせられるんですかね?」
「いい質問だな」
みこみこさんは深々とうなずいたかと思うと、冗談の入り込む余地のない物凄く真剣な表情を浮かべてこう告げた。
「とある純真無垢なお嬢様を、コッテコテの『オタク』に染め上げて欲しいのだよ、君にな?」