理想と現実2【side:千里】
数分後、ようやく泣き止んだ私は陽太さんと手を繋いで歩いた。
陽太さんに連れられて来たのは高校だった。
「ここの屋上に出口があるんだ。ちなみにオレが通ってる高校」
「へえ~」
陽太さんの学校なんだ。
高校なんて、中に入ったことないから少しワクワクする。
陽太さんに手を引かれながら校門を潜る途中、門に文字が書かれてるのが見えた。
門には『誕汐高等学校』って書かれてる。
……誕は分かるけど、隣にある夕にさんずいを付けた漢字は何て読むんだろう。
気になるなあ。
陽太さんに訊いてみようかな……でも頭が悪いって思われないかな……。
悩んだけど、私は結局 訊くことにした。
気になるんだもの。
「ねえ陽太さん。この学校、何て名前なんですか?」
「誕汐高校だよ」
……たんしお?
何だろう、何処かで聞いたような………………あっ。
お肉だ。
ママとパパが焼肉屋さんに連れてってくれた時、メニューに書いてあった。
「タン塩」って。
「……お肉みたいな名前で、カッコ悪い……」
「……言わないでやって、な?」
そんな話をしながら、私達は誕汐高校に入って行った。
学校の中には私と陽太さん以外、誰も人が居ない。
陽太さんが「化け物が出るかも」って言ってたけど、今のところ化け物が出てくる様子はなく、私は歩きながらアチコチ見回している。
私にはお兄ちゃんもお姉ちゃんも居ないし、文化祭とかで高校に行くこともないから、今回が初高校なんだ。
中学校よりも先に高校に入っちゃうなんて、不思議な気分。
高校の中は綺麗で、汚れなんてない。
私の通ってる小学校とは大違い。
それに下駄箱!
フタが付いてるなんてスゴいなあ、私の学校なんて下駄箱にフタなんか無いのに。
陽太さんと一緒に歩いてると、教室の前を通りかかった。
窓から中を覗いてみると、おっきな机が沢山あって……それに、席と席が少し離れてる。
高校では席と席をくっつけないのか……それに「1組」とかじゃなくて「A組」って呼ぶんだね。
初めてと「そうなんだー」がいっぱいの高校。
さっきまでは怖くて泣いてたのに、今はスキップしそうなくらい楽しかった。
陽太さんと高校のお話しながら歩いてるのも楽しくて堪らない。
こんなの現実ではありえない。
階段をたくさん上って、三階にある階段を前に立った私達。
「この先の屋上に出口があるんだ」
「そうなんだ……」
一緒に階段を上り始める。
……出口に着いたら、陽太さんともお別れだな。
いざ帰るとなると、少し寂しい感じがする。
だって、現実に戻ったら……また誰ともお喋り出来ない退屈で窮屈な毎日になるんだもん。
せめて……せめて、もう少しだけ陽太さんとお喋りしたいよ……。
「…………えて……」
「っ!」
女の人の声が聞こえると同時に、陽太さんが険しい顔をして立ち止まった。
「よ、陽太さ……」
「しーっ……」
陽太さんは口元に人差し指を立てて「静かに」のポーズをとった。
慌てて私は両手で口を押さえる。
「…………」
私が口を押さえるのを見た陽太さんは、パーカーのポケットから鍵を取り出した。
すると鍵はカッと金色に光って、グニャグニャと形が変わっていく。
しばらくした後に光は消えて、陽太さんの手には鍵が変化した銀色の銃が握られていた。
不思議な現象に私はビックリしたけど、声を出さないようにグッと我慢する。
陽太さんは銃を構えたまま、私の手を引いて静かに階段を上っていく。
それにつれて、女の人の声がハッキリ聞こえてくる。
「あなたが好き
あなたの声が好き
あなたの顔が好き
あなたの心が好き
あなたの笑顔は嫌い。
だって あなたの笑顔は笑顔じゃない
不幸を背負ってる 悲しい笑い
優しすぎるあなたは 自分が傷つくことを選ぶ
だから あたしはあなたを閉じ込める
あなたが傷つかないように あたし以外は誰も居ない場所に
そうでもしないと あなたは壊れてしまうから
大丈夫よ
あたしがあなたを 壊させはしない」
よく分からない……ポエム? みたいなのを聞きながら上っていく。
「っ!」
いきなり陽太さんが立ち止まったから、私は陽太さんが見ている先を見上げる。
そこには階段に座りながら、手帳に何かを書いているお姉さんが居た。
クルクルと巻かれた髪を揺らしながら、お姉さんは陽太さんを見つめて笑う。
「やっぱりね。ここに来たら会えると信じてた」
「な、中川……!」
中川?
陽太さんのお友だちなのかな?
……でも、この中川ってお姉さん……何かイヤな感じがする。
……怖い……だけど、陽太さんのお友だちなら悪い人じゃない……って信じたい。
私が身を縮めていると、中川という人は手帳を閉じて立ち上がった。
中川さんは上の段に居るので、私と陽太さんが中川さんを見上げ、中川さんが私達を見下ろす形となる。
「陽太くんがコッチの世界に来たのなら、遅かれ早かれ学校には来ると思ってた……まあ、賭けだったけどね。私がコッチに居ない間に来てしまうかもしれなかったし……」
クルクル巻かれている髪を指先で弄びながら、中川さんは淡々と言った。
「コッチの世界……じゃあ、やっぱりただの夢じゃないのか……つか、陽太くんって……お前、オレのこと雨宮くんって呼んでなかったか?」
「正直に言うと、私はずっと名前で呼びたかったのよ。さすがに現実ではそんな度胸なかったけど、コッチでは…………それはそうと、その子供は誰?」
中川さんが、視線を陽太さんから私に移す。
陽太さんに対して見せていた熱っぽく、愛しいものを見るような目とは違い、邪魔なものを見るような冷たい目で私を見ている。
─コワイ
特に取り柄の無い私だけど、直感だけは良いって自負してる。
その直感が私に告げている。
この人は危険だって。
だけど、そのことを陽太さんにどうやって伝えればいいんだろう……この人は陽太さんのだから、さっき会ったばかりの私が「この人は危険」と言っても直ぐには信じてくれないだろうし……。
私が必死に考えている間、カッという音と共に一瞬だけ光が点滅した。
光が見えたのは中川さんが居る場所の方で、そっちを見ると中川さんが濃いピンク色の弓矢を持って私を狙っていた。
「え……」
「な、中川!? お前、何をす……」
ビシュッ
私が驚いて固まり、陽太さんも戸惑いながら喋っている途中で、矢は放たれる。
あっという間に先端が鋭く尖った矢は私の目前に迫り、そして――
ドシュッ
鈍い音と共に突き刺さった。
私の後ろに居た何かに。
「…………」
頬を横切った矢が飛んでいった先を見ると、そこに居たのは階段の上で仰向けに倒れてる、身体中が真っ青の小さなオジさん。
頭のてっぺんには毛が三本しか無くて、顔にもたくさんシワがあるのに身長は小学1年生の男の子並みに小さい。
そんなオジさんの右目には中川さんが放った矢が突き刺さっていて、矢が刺さってる所からは緑色の血がドクドクと流れていて、オジさんの顔と階段を濡らしていた。
すると、何秒か経った後にオジさんの身体がドロリと崩れて、そのまま氷のように溶けていった。
後に残ったのは刺さっていた矢だけで、段を濡らしていた緑色の血も消え去っている。
ちょっと――ううん、かなり気味の悪い光景を見た私は立っている力を無くしてペタンと段の上に座り込んだ。
「何だコイツ……人間……なのか? それとも化け物?」
「ゴブリンよ。漫画やゲームで有名なキングオブザコ」
カツカツと足音を鳴らしながら階段を降りてきた中川さんが、私の頭に手を乗せる。
「危ない所だったわね。ここでは、こういうコワーイ怪物がいっぱい出てくるんだから、気をつけなくちゃダメよ」
「………………は、はい……」
これが陽太さんの言ってた化け物……。
中川さんは私を助けてくれたみたいだけど、私はまだ中川さんが信じられない。
「陽太くん、屋上に向かう途中だったようだけど……もしかして、1度は屋上の出口を使った?」
「ああ、最初に来た時にな。で、今はこの子……千里ちゃんを連れて、この世界から出ようと思って」
「……確かに、この子は出口を通って出られるわ。でも陽太くんは出られない」
「えっ!? な、何でだよ!?」
私は出られるけど、陽太さんは出られない!?
「じゃ、じゃあ……陽太さんは、もう、出られないんですか!?」
立ち上がって中川さんに詰め寄ると、中川さんは「まあまあ」と宥めるように両手を挙げた。
「落ち着きなさいよ。出口を1度使った人は、同じ出口を使えなくなるって言っただけ! 他の使ったことが無い出口なら大丈夫よ」
「同じ出口……違う出口……じゃあ、この世界の出口は学校の屋上以外にもあるってことか!?」
「そういうことよ。さすが陽太くん、理解が早くて助かるわ」
……よく分かんなかったけど、つまり……出口は沢山あるけど、同じ出口は使えないってこと……だよね?
だから、この学校にある出口を使ったことが無い私は帰れるけど、陽太さんは帰れない……また別の出口を探さなきゃならないんだ……。
大変だな……。
「……マジでそんな面倒な仕組みなのかよ……」
ハア……と溜め息を吐きながら陽太さんは頭をカリカリ掻いた。
帰れる、と思った矢先にこれだもんね……私だったら、ヤダヤダと駄々をこねて泣いちゃってたかも。
「そう落ち込まないで。実は私、他に出口をたくさん知ってるのよ。良かったら案内しましょうか?」
ニッコリと笑う中川さんを見て、私の心臓がドクンと波打った。
とっても嫌な感じ……裏があるような笑顔に見えたから。
「おおっ、マジで!? じゃあ悪いけどさ、案内してくれるか!?」
けど、陽太さんはそんな私の気持ちも知らずに中川さんに案内を頼む。
「もちろん! 陽太くんの頼みなら、いくらでもきくわ!」
爽やかに言う中川さん……ダメだ、完全に中川さんの狙い通りって感じがする。
「じゃあ千里ちゃんを出口まで送っていくからさ、待っててくれ」
そう言って私を見る陽太さん。
─帰れる
─帰れるんだ、私だけは
だけど、本当に帰っていいの?
もしも陽太さんが中川さんに何かをされたら……その時は誰も陽太さんを助ける人が居なくなっちゃう。
そりゃあ、私みたいなお子様が陽太さんを助けられるかって言うと、何も出来ないかもしれない……でも、中川さんが変な動きをした時にさりげなく、陽太さんに注意は出来るかも……。
陽太さんは初めて会った私にも、こんなに親切にしてくれたから、私も陽太さんの力になりたい!
「ま、待って……陽太、さん。私……私、まだ帰らない! 陽太さんと、一緒に……行く……です!」
緊張してるせいか、どもっちゃった。
そして陽太さんの顔を見ると、案の定ビックリした顔。
チラッと中川さんを見ると、中川さんは眉間にシワを寄せて私を睨みつけていた。
……うぅ、怖いよぅ……。
でも、引くわけにはいかないし……!
「千里ちゃん? 急にどうしたんだよ、帰らないって……」
心配そうに私の顔を覗きこむ陽太さん。
まあ、そりゃ心配するよね……帰る気満々だった子がいきなり帰らないなんて……。
これは上手いこと言い訳を考えないと、無理矢理でも帰らされちゃうかも!?
どうにかしないと。
「えっと……千里ちゃん、だったわよね? いきなり帰らないなんて、どうしたの? さっきも言った通り、ここには怪物が沢山居るの。早く帰った方が身の為よ」
「そうだぞ。巨大なハエとか金づちとか持ってる凶暴な化け物が居るんだ。千里ちゃんだって怖い思いはしたくないだろ?」
うう、陽太さんを味方につけるとは……。
でも私だって負けない!
「その、だから……です。この夢は、1回で終わらないんでしょ? これからまた、何回もこの世界に来ることになるんですよ……ね?」
「ええ、そうよ」
だからどうした、とばかりに険しい顔で腕を組む中川さん。
さあ、ここからが勝負所だよ!
「私、今回は運よく陽太さんと会えた、けど……次も陽太さんや、陽太さんみたいに親切な人と出会えるとは限りませんよね? そうなったら私、出口の場所も分からずに、1人で探す羽目になっちゃう……だから、近くて場所が分かる学校の出口は使わずに置いとこう、って思って……」
モジモジしながら喋る私。
どうか意味が伝わってますように。
「……つまり、1人で行動する時に備えて学校の出口を今は使わないでおくってことか?」
「は、はいです! 陽太さんが居る今のウチに、違う出口を使った方が良いと、思って……」
良かったー、通じてた!
思わず頬が緩む私。
そんな私をギロリと睨む中川さん。
恐ろしい顔……鏡を見せてあげたいくらい。
「……確かに千里ちゃんの言う通りだな。ここなら千里ちゃんも場所が分かるし、今なら使わないってのもアリだな」
考えているように呟いた後、陽太さんはパチンと指を鳴らして私の頭を撫でた。
「オッケー、千里ちゃん。一緒に行こうぜ! ごめんな、気づかなくて」
「い、いいえ! いいんです!」
やったあ!
上手く説得できたあ!
「ちょ、ちょっと雨宮くん!? そんな子供を連れて行くなんて正気!?」
予想外の決断に、中川さんが焦った様子で陽太さんに詰め寄った。
「千里ちゃんの今後を考えると、いざって時の為にここの出口は残して置いた方が良いだろ?」
「そうだけど……」
「オレが責任もって、千里ちゃんを守るから。だから、な? 頼むよ」
手を合わせてお願いのポーズをする陽太さんに、ついに中川さんが折れて「分かったわよ」と呟いた。
「サンキュー、中川!」
ニッコリ笑ってお礼を言う陽太さん。
ふう……どうにか陽太さんと中川さんを2人きりにすることは免れたわ……。
だけど本題はここから、だよね。
中川さんが変なことをしないように見張ってなくちゃ……!
グッと握りこぶしを作る私。
すると、陽太さんが手を差し出してきた。
「行こうぜ千里ちゃん」
「は、はい……!」
優しく微笑む陽太さんの手を掴んで立ち上がり、手を握る。
陽太さんの手は、名前の通り、太陽のようにポカポカ暖かい。
私……陽太さんと一緒なら、どんな悪夢も怖くないよ……!