理想と現実1
「……うっ、うぅ……グスッ……」
泣いているのは、まだ小学校低学年くらいの女の子。
女の子の周りには保護者らしき人は居ないし、通行人も女の子をチラリと一瞥するだけで近づこうともしない。
おいおい、冷たすぎだろ……小さな子が1人で泣いてるってのに。
夢の中とはいえ、見て見ぬフリは出来ない。
オレは女の子の隣に移動し、膝をついて話しかけた。
「おい、どうしたんだ?」
オレの声に肩をピクリと動かすが、女の子は返事をしないし こっちを見ない。
……無視?
いや……聞こえてない、とか?
「もしもーし?」
もう一回 声をかけるが、やっぱりオレの方を見ようとしない。
ひょっとして、不審者だと思われてんのか?
それはちょっと心外だぞ……っていうか、聞こえてるなら返事くらいしたって良いじゃん!
「おいってば!」
「きゃっ!!」
声がダメなら、とオレは女の子の肩をポンと軽く叩いた。
けど驚かせてしまったらしく、女の子は怯えた目でこちらに向けてきた。
あっ、ヤバい。急に肩に触れたら、余計に不審者と思われるんじゃねえか……!?
「わ、悪い……驚かせちまったか。声をかけても反応ないからさ、聞こえてないのかと思って……」
慌てて言い訳をすると、女の子はきょとんとした様子で後ろを見た。
……ん?
さっきまでのアレは、無視してたんじゃなくて自分が声をかけられてると思ってなかったとか、そんな感じのアレ?
それともビビって逃げる隙を伺ってる?
「……何か怖がってたり、する? まあ、するよな……いきなり知らない変な奴に話しかけられたらさ……」
自嘲気味に言うと、女の子は目をパチパチさせた。
しばらく黙っていた女の子だったが、やがて深呼吸をすると ゆっくり口を開き、言葉を紡ぎ出した。
「ち、ち、違い……ま、す! 話しかけて、もらえるなんて、思わなかった、から……その…………う、嬉しい、かったですっ!」
辿々しく、そして若干 噛みながら女の子は そう説明すると顔を赤くして俯いた。
「……えっと……とりあえずオレにビビってる訳じゃない……ってことでオッケー?」
そう訊ねると、女の子は無言で頷く。
「そっか! いやー、変質者扱いされたらどうしようかとヒヤヒヤしてたけど、違うのか! 良かったー」
「わ、私も誤解が解けて良かった、です。話しかけてくれ、て……ありがとうございます」
ようやく女の子は笑みを浮かべてくれた。
喋り方も まだ辿々しいけど、慌てた様子も緊張している様子もない。
「どういたしまして。でもさ、普通キミみたいな女の子が1人で……それも道に座り込んで泣いてたら声をかけるだろ? 心配で、さ」
「……でも……誰、も……私に声かけて、くれなかった……私が声をかけても、邪魔って言われて……1人で……寂しかった……の……」
邪魔だって……?
こんな小さな子が助けを求めてるのに、周りの人達は そうやって冷たく突き放したのかよ。
ふと女の子の顔を見てみると、その時のことを思い出したのか目尻に涙が浮かんでいた。
「泣くなって。もう1人じゃないだろ? ……まあオレなんか居ても頼りないかもだけどさ……」
「……そんなこと、ないです。とっても、心強いです!」
「マジで? へへっ、良かった。オレは雨宮 陽太。宜しくな」
「私は……白雪 千里です」
「千里ちゃんか。可愛い名前だな!」
「あ、ありがとうございます……」
思ったことを口にすると、千里ちゃんは耳まで真っ赤にして うつむいてしまった。
……これが ただの夢なのか、それとも斧の人が言っていたように本当に危険な世界なのかはわからない。
けど、昼間にオレは見た。
キラーとかいう奴におっさんが頭を叩き潰されて死んだところを。
そしてオレに襲ってきたハエの化け物を。
千里ちゃんみたいな幼い子を死なせたり、ケガをさせたりする訳にはいかない……オレがしっかり守らないと……。
こんな不思議な場所でくらいは……。
心の中で千里ちゃんを守ると誓い、オレは彼女と手を繋いで歩きだした。
「あっ、そういや千里ちゃんは灰色の丸い鍵を持ってるか?」
あの鍵が無いと出口が開かないんだった。
だから鍵をちゃんと持ってるかと訊ねたんだが……彼女は何のことかと首を傾げた。
「か、鍵ないのか? 服のポケットとか、その鞄の中とかには入ってない? こんな鍵なんだけど」
パーカーのポケットから鍵を取り出して見せると、千里ちゃんは「あっ」と声をあげ、肩から下げているポーチの中を まさぐりだした。
しばらく様子を見守っていると、やがて彼女は嬉しそうに笑いながらオレと同じ鍵を取り出した。
「あった、あったよ!」
「良かったー、鍵があるなら出口も開くから これでひと安心だ」
「……出口?」
「ああ、何というか……ハッキリと言える訳じゃないけどさ……ここは現実じゃないんだ。現実に近い、夢世界……らしい」
斧の人から聞いたことを話すと、千里ちゃんの顔がみるみるうちに青くなっていく。
怖がらせることになるけど、注意はしてほしいから……仕方ない。
「……この夢から覚めるには、出口の銀色のドアを潜らなくちゃいけないんだ。それに、ここでケガをすると現実でもケガをしてしまう。あと……この世界には化け物が居るんだ……だから、気をつけてほしい」
「えっ……化け物って……何ですか……? そんなのと会ったら、どうなるんですか……? 食べられちゃうんですか……」
真っ青な顔で涙を浮かべる千里ちゃんを見て、オレは内心「しまった」と頭を抱えた。
注意してもらう為とはいえ、怖がらせすぎてしまった。
こんな話を突然 聞かされてもパニックになるかもしれないのに……。
「ごめんな、怖がらせるつもりじゃなかったんだ。でも、重要なことだから話しておきたくて……その方が、いざ化け物と会った時に千里ちゃんがパニックにならないと思って…………と、とにかくゴメン!」
膝をついて千里ちゃんと同じ目線になり、オレは必死に謝った。
千里ちゃんは泣きながらも「大丈夫です」と言ってくれたが……きっと大丈夫じゃない、怖がっている。
怖がらせてしまったぶん、ちゃんと守らないとな……何があっても必ず……。