鍵と夢3
「……いってええっ!!」
意識が戻るのと物が床に落ちる音が重なり、それに続いて腰に鈍い痛みがはしる。
「たくっ……どうなって……」
腰をさすりながら横たわっていた身体を起こすと、見慣れた病室が視界に映った。
……あれ……病室……?
こめかみに指を当てて、さっきまでの状況を思い出す。
確か……オレは学校の屋上にあった扉に入った……よな。
……で、気がついたら病室……おまけにオレはベッドの上ではなく床の上、つまり……。
「……やっぱり、ただの夢だったんだ」
誰へともなく呟く。
そりゃそうだ、夢に決まってる。
ちょっとリアリティーありすぎて、つい夢だってことを忘れかけてたけどな。
しかもはしゃぎすぎたせいか、寝ぼけてベッドから落ちてるし……。
でも……怖かったけど、楽しい夢だったな。
夢の中で元気に動き回っていたことを思い出す。
あんなに走ったり、銃を撃ったり、サイドステップしたり……。
現実では百パーセントあり得ず、叶わないことだ。
……夢のオレと現実のオレ……自分で比較しておきながらヘコんだわ……。
……オレだって本当は……夢の中みたいに健康で……強くありたいよ…………まあ無理なのは分かってるけど。
溜め息を吐きながら、オレは右手でベッドの手すりを掴んで起き上がろうとする。
だが、右手の甲がズキリと痛み、上手く立ち上がれなかった。
「いてっ……何だ?」
咄嗟に痛みがはしった右手を見る。
すると、甲に刃物で切られたような傷口があった。
そのうえ流れていた血が固まって手を赤くしており、皮膚の裂け目も、出血こそ止まっているが真っ赤になっている。
……そして……この傷口は、夢でハエに付けられたものと全く同じだった。
もちろん、夢を見る前――というか寝る前にはこんな傷は無かった。
何で……?
言葉に出来ない恐怖感がオレを襲う。
人間、理解できない、しがたい不可思議な現象が起きたら寒気だか鳥肌とか起きるって、昔 辰男から聞いたけど……あれ、マジだったんだな。
今、わりと混乱してるし鳥肌たってる。
だってさ、夢で負った傷なのに現実に反映されてるんだぜ?
薄気味悪いだろ。
寝てる間に掻きむしったなんて理屈は通らない……明らかに人間の爪による傷ではないからな。
誰かが、オレが寝てる間に刃物で手を切った――そんなことされたら、いくらオレでも痛みで目が覚める。
なら この傷は何故、どうして付いた――?
……考えても分からない。
分かる訳がない。
だけど――
“……確かに夢ではあるが、ただの夢ではない。鍵を持つ者だけが来られる、不思議な夢世界……限りなく現実に近い世界だ”
キラーが来る前に言っていた女の子の言葉を思い出す。
ただの夢じゃない……限りなく現実に近い世界……。
まさか、な。
まさかなあ、夢でケガしたから現実でも反映されたとか……ゲームや漫画じゃあるまいし。
夢だ、夢だ夢。
気を取り直して、オレは棚の上にある鍵を手に取って病室を出た。
******
ナースステーションへと向かうオレ。
「人を呼んでおいて、いつまで待たせるんじゃ! ワシはもう帰るぞっ!!」
すると、待合室から怒鳴り声が聞こえてきて、驚いたオレはビクリと震えて足を止めた。
「な、何だ!? 何の騒ぎだ!?」
何事かと思って、声が聞こえた方へ早足で向かう。
「お兄ちゃん! 病院じゃおっきな声を出しちゃダメなんだよ!」
「じゃかあしい! 長いこと待たされて、もう限界じゃ! 帰るぞ恵里!」
待合室では車椅子に乗った長身でガタイが良い、オールバック頭の男がギャアギャアと騒いでいて、隣に立っている妹であろう幼い女の子が困り果てた表情で宥めていた
椅子に座っている他の人達も怯えているように、身を縮めているし、小さな子供は泣き出していて母親が必死にあやしている。
……何か大人げない奴だな。
周りの人だって怖がってるし、子供なんか泣いてるのに全然気にしてない。
マナーを守らないのはどうかと思うし、ちょっと諌めた方が良いよな……?
さすがに腹が立って殴ってくるようなことは無いだろ……たぶん。
少しビビりながらもオレは、車椅子に乗った男の前に立った。
「あのー……他の人の迷惑ですよ……妹さんも困ってるし、静かにした方が良いですよ」
「なんじゃお前は! 静かにするかどうかはワシの自由じゃろうが!」
オレが注意すると、男は蛇のようにギロリと睨んできた。
おおう、これが蛇にらみか……。
まさかこんな所で睨まれた蛙の気分を知ることになるとは……マジでこえーよ、この人。
近寄りたくないタイプだよ。
「はいはい、ストップですよ~。徹くん、いい加減にしましょうね~」
カツ、カツと足音を鳴らしながら歩いてきたのは、綾小路 美幸先生。
ゆるふわウェーブのかかった髪と、ボンキュッボンの悩ましいボディーが魅力的な、オレの主治医だ。
「あ、綾小路先生……ごめんなさい」
女の子がペコリと謝ると、頭に着けている赤いリボンもピョコンと揺れた。
「フフ、恵里ちゃんが謝ることありませんよ。悪いのは貴女のお兄様なんですから」
ほんわかとした口調で言うと、先生は口に手を当てて ウィンクをして笑う。
お上品な仕草が、これまた絵になるんだよなあ……と先生を見つめながらボンヤリとどうでもいいことを考える。
「いい年こいた大人が駄々っ子みたいに騒ぐのだから、みっともないったらありゃあしませんね」
ほんわか口調でサラッと毒を吐く先生。
そう、先生は実はかなりの毒舌家なのだ。
「誰が駄々っ子じゃと!?」
「あら、駄々っ子でなければワガママ言い放題のクソガキでしょうか? 言い方を間違えてしまって申し訳ありません~」
これまた上品な仕草で頭を下げる先生。
だが、そのニヤニヤ笑った表情から察するに全く申し訳なく思っていないことが分かった。
……こんなに上品でナイスボディーの人が腹黒なんて……これで性格が良かったらモテモテだろうにな……。
いや今でもモテモテっちゃモテモテだけど……外見重視の男や罵られたい男とかに……。
「この腹黒ババアめ……ワシゃあ駄々っ子でもなければクソガキでもないわ! ただ時間を無駄にしとうないだけじゃ!」
そう怒鳴ると男は、自分の足を見下ろしてポツリと呟いた。
「……どうせ……もう、この足は動かん。動いたとしても……あの頃のようには戻らんのじゃ……」
寂しそうに呟くと男は、さっきとは別人のように弱々しく見えた。
……動かない足、か……。
オレと似てる……思い通りにならない身体を抱えてる所が……。
……ただ、もう一度あの頃のように戻りたい……それだけなのに、どんなに願ってもその夢は叶わない。
努力をすれば何でも出来るってよく聞くけど、努力をしても出来ないことの方が世の中には多いよな……。
「……辛いでしょうけど、だからって妹さんや周りに八つ当たりして良いのですか?」
「……偉そうに説教するな……今の自分が最低なことくらい分かっとる……」
気まずい沈黙がその場に舞い降りる。
「天王寺さーん、診察室へどうぞー」
沈黙を破るように若い看護婦さんがこちらに向かって声をかけてきた。
「お兄ちゃん行こう!」
ホッとしたような顔をしながら、妹が車椅子を押して診察室に入っていった。
あの男が居なくなると、診察室の人々から安堵の溜め息が漏れた。
まあ怖かったんだろうな、普通に……。
デカいし、ガタイが良いし、顔怖いし……ヤクザか何かだったりとかしないよな?
後からあの人の部下がオレの病室に押し入ってきたりしないよな!?
「……ふう……徹くんも相変わらずですねえ」
オレがヒヤヒヤしていると、傍らに居た先生がこめかみに指を当てながら呟いた。
「お知り合い……なんですか?」
「ええ、幼馴染みなんです。まあ腐れ縁というヤツですよ~」
口に手を当ててクスクスと笑う。
「……あの人……足が不自由なんですね」
「はい……。事故で足の神経をやられてしまったのです……それ以来、あんな風に荒れまくりなんです。でも……妹さんはそれでも見放さずに必死で支えているの。支えてくれる人が居るって、素晴らしいですよね」
そう言って笑う先生の顔は、いつもの腹黒さが無く、本当にあの兄妹の絆を微笑ましく思ってるようだった。
(支えてくれる人……か)
頭の中にユッキーの姿が浮かぶ。
もちろん母さんや親父、辰男や中川だってオレの支えになってくれている。
でも、一番助けられたのはユッキーだ。
毎日見舞いに来てくれて、オレが笑ったら一緒に笑ってくれて、オレが落ち込んでいたら何も余計なことは言わずに黙って側に居てくれた。
彼女の存在にどれだけ救われたことだろう。
それなのに、オレはユッキーに何もしてやれないなんて……。
グッと拳を握ると、手の中に固い物がある触感がした。
あっ、そうだった……鍵をナースステーションに届けなくちゃ。
「先生、オレはこれで……」
「はい、無理をしたらダメですよ~」
先生に手を振って、オレはその場から立ち去った。
******
「すいませーん」
ナースステーションに居る看護婦さんに声をかける。
「あら、陽太くん。どうしたの?」
「オレの病室に、こんな鍵が置いてあったんです」
手を開いて鍵を見せると、看護婦さんは不思議そうな表情を浮かべた。
「あら、これ雪子ちゃんが持ってるのと同じ鍵じゃない」
「えっ!? ユッキーも持ってるんですか!?」
「ええ。確か棚の引き出しに入れてあったわよ。ただ、何の鍵かは雪子ちゃんのお母さんも知らないみたいだけど。何かのお守りかしらねえ……まあとりあえず預かっておくわ」
看護婦さんに鍵を手渡すも、オレの気分はモヤモヤとしていて晴れない。
ユッキーも同じ鍵を持ってるなんて……偶然にしちゃ出来すぎてないか……?
そもそも、あの鍵は一体何なんだ?
不思議な夢の中にまで出てきて、それが武器に変化して……。
……あの夢と鍵……何か深い関係でもあるのかな……。
そこまで考えた所でオレはバカバカしくなって、思考を中断した。
非現実的すぎるだろ。
あれはただの鍵で、夢もただの夢。
そう自分に言い聞かせる
─でも
─本当に、あの鍵が“不思議な夢”に繋がっていたら……
─そう期待する自分が居る
─あの夢……もう一度見てみたいな……
─あの夢の中では、オレは理想の自分になれるんだ
─弱くて病弱なオレではなく、強くて健康的なオレに……
******
……………………。
同じだ。
昼間に夢を見た時と同じ、地に足をつけている感覚。
期待を胸に、オレはゆっくりと目を開ける。
すると、想像通りの青空が映った。
「……やった…………同じだ、昼間の夢と!」
喜びのあまり拳を握る。
あの後、いつものように晩飯や風呂を済まして消灯時間になり、オレはベッドに入って眠りについた。
そして、意識が戻ったら病院の屋上に居た。
さすがに無理だろうとは思ってたけど、まさか同じ夢が見られるなんて。
……この夢が何を意味するかは分からない。
だからオレは考えるのをやめた。
考えたって分からないし、せっかく理想の自分で居られるんだ。
楽しまなきゃ損だろ?
軽い足取りでオレは屋上を後にした。
病院から出ると、昼間とは違って沢山の人が道路を歩いていた。
数人で行動している人達や、一人で歩いている人。
これだけなら、まだ現実と何ら変わりない光景だろう。
多くの人々が手に持っている武器を除けば。
現実で武器なんか持っていれば、間違いなく通報されるか、警察に追いかけられるかのどちらかだろう。
それなのに、ここに居る人達は当たり前のように武器を持ち歩いている。
まるでゲームの中の世界のようで、思わず笑ってしまう。
「……うっ、うぅ……グスッ……」
不意に聞こえる泣き声。
その泣き声は近くから聞こえてくる。
オレは周囲を見渡して、泣き声の出所を探す。
「……あっ」
オレから見て右方向の少し離れた場所に、長い髪をサイドテールにした女の子が膝を抱えて泣いているのが見えた。