鍵と夢1
真っ白い部屋。
オレ以外、誰も居ない部屋。
薬や消毒液の匂いばかりの、寂しい部屋。
「…………退屈だ」
病室のベッドで横たわりながらオレ、雨宮 陽太はポツリと呟いた。
今の独り言が人に聞かれていたのなら、何かするなり、動くなりしろと思うだろう。
だがオレは動かないんじゃない。
動けないんだ。
何故なら、右腕の二の腕辺りに点滴用の針が刺されているから。
点滴が終わるまでは、安静にしなさいと看護婦さんからも言われている。
……何か今年は点滴ばっかされてるような。
17歳の思い出が点滴ばかりとか、マジで笑えねえ。
チラッと点滴液が入っているバッグを見ると、まだ半分以上も残っていた。
もう随分と長い間かかってると感じるが、実際はそれほど時間は経過していないようだ。
まあ、オレが何もせずボケーッとしてるから更に時間が長く感じるんだろう。
しっかし、いつまでかかんだコレ?
退屈で死にそうなんですけど。
「よーっす陽太!」
「こんにちはー」
扉が開く音と共に聞き慣れた男女の声がして、オレは素早くそちらを向いた。
「おう、陽太! 元気で……ないようだな」
小学校からの親友 浅田 辰男がオレが点滴してることに気づいて笑顔を引きつらせる。
「あ、あら……お邪魔だったかしら」
辰男の彼女、中川 千奈美も気まずそうな表情を浮かべている。
「そうだな千奈美……帰ろうか」
「ええ」
そう言って2人はオレに背中を向けて出口に向かう――って、待て待て待て!
せっかく話し相手が出来たと思ったのに、帰るとかねーだろ!
「帰るのかよっ! お前ら何しに来たんだっつーの!」
「やだなあ冗談だってー! あんまり騒ぐと心臓に響くぞ~、陽太は仕方ない奴だなあ」
いやいや、お前だろ?
お前がオレを騒がせてんだろ?
辰男の全ての台詞に「あ?」と言いたい所だが、ここは堪えよう。
「……で、何で点滴してんの?」
「貧血で倒れたから」
「やっぱりな」
予想が当たったと言わんばかりに辰男が肩を竦める。
その傍らで中川は心配そうにオレを見つめている。
「雨宮くん」
「ん、何?」
「……学校……まだ、来れそうにないの?」
中川の言葉にオレは言葉を詰まらせた。
オレだってこれでも現役男子高校生だ。
だけど、入退院ばかり繰り返してるせいでろくに学校に行かれない。
中学の時は、まだ身体の調子が良かったから何とか通えたけど、高校生になってから体調は悪化する一方だ。
本当は学校に行きたいし、ちゃんと卒業して大学だって行きたい
……でも、無理だろうな
「……学校、さ。退学しようかなって思ってるんだ」
「そんな……どうして!?」
驚いて詰め寄ってくる中川。
「……どうせ、もう学校に行ける暇なんかない。だったら、すっぱり退学しちゃった方が気分もいいっつーか……」
「そんなネガティブなこと言わないで。きっとまた元気になれるわよ、頑張ってよ」
イラッ
頑張ってよ、という言葉に少しイラッとする。
何イラッとしてんだよオレ、中川はオレを励ましてくれてんじゃねえか。
でも、心では悪いと思っていても口から出てくるのは嫌な言葉ばかりだ。
「……元気になれる訳ないだろ。ここ最近の体調の悪化……オレももう終わりが近づいてるってことだ」
成人するまで生きられないって言われてたし、今のオレは17歳。
あと2、3年……もしくは今年までの命だろうな。
「……そんなこと言わないでよ……雨宮くんのバカ! 暗いことばかり考えてるから、病気が良くならないのよ! ひねくれたことばかり言うから、ツリ目なのよっ!」
怒鳴った後、中川は病室から1人で出ていった。
……つーか、アイツどさくさ紛れで好き放題言いやがったな
オレはツリ目じゃなくてネコ目なんだよ……似ているようでもかなり違うからな!?
「あーあ、陽太。俺の女を悲しませるなよ」
「うおっ、辰男……お前が居たのを忘れてた……」
「お前なー、親友のこと忘れんなよー」
ニッコリと笑いながら、オレの髪を引っ張る辰男……ちょ、抜けるって!
「アハハ、今日は帰るわ。お前も具合悪そうだしな」
「う……すまん」
オレの髪から手を離し、辰男は出口に向かう。
「……いつ死ぬか分からない……もしかしたら、明日 死ぬかもしれない……そんな状態なんだぜ? 最後の会話がケンカでしたってならないよう、気をつけな」
「……ああ。中川にゴメンって伝えといてくれ」
「あいよー」
そう言って辰男は病室から出ていき、オレはまた1人になった。
「……明日死ぬかもしれない……か」
さっきの辰男の言葉を口にする。
まだまだ死なんて先だと思ってたのに、あっという間に時は流れてオレはもう17歳。
オレが死を宣告されたのは小学4年の夏。
体育の授業で校庭をランニング中にぶっ倒れて救急車で運ばれて、意識が戻った時には病室。
そして母さんから告げられたオレの寿命。
病名は長ったらしくて覚えてないが、悪性の心臓病らしく、今の医療技術では完治は難しいらしい。
最近になって大がかりな手術で治る可能性があると言われたが、成功する確率は僅か10パーセントだ。
たった10パーセントで成功する訳がないし、手術費用もバカにならないのでオレは断っている。
ただでさえ入院費用で母さんとオヤジに迷惑をかけてるのに、手術費用まで負担させたくないんだ。
「陽太くん、具合はどう?」
「あっ……はい、大丈夫です」
気がついたら看護婦さんがオレの顔を覗き込んでいた。
考え事に夢中で気がつかなかったらしい。
「あら、点滴も終わったみたいね。お疲れ様」
そう言って看護婦さんはオレの腕から針を抜いて、点滴用のスタンドを部屋の隅に移動させた。
ようやく自由になったオレは、上半身を起こして大きく身体を伸ばした。
凝っていた肩や腕がいい感じにほぐれて気持ちが良い。
「じゃあ、また何かあったら呼んでね。あっ、激しく動きまわったらダメよ」
「はーい」
オレが返事をすると、看護婦さんは病室から出ていった。
……さて、点滴も終わったし、どうすっかな……
病室にこもっていても暇だし気が滅入るし、ちょっと散歩にでも行くか。
アイツも気になるし。
ちょっと歩くだけだから、激しい動きでもないだろ。
乱れた髪を手で直しながら、オレは病室から出た。
******
プレートに『藤原 雪子』と書かれた病室の前に辿り着いたオレは控え目にノックして、静かに扉を開いた。
「オーッス……元気かユッキー」
ベッドの上で眠っている、長く艶やかな髪の少女に声をかけるが、返事はない。
分かってはいたけど、やっぱりヘコむな……。
「今日もグースカ寝て過ごすつもりかー? たまには起きて喋ろうぜ」
部屋の隅っこにあった椅子を持ち出し、ベッドの前に置いて腰かける。
「聞いてくれよユッキー。オレ、今年に入ってから点滴ばかりなんだぜ? 17歳の青春のページが点滴で彩られてるとか、結構ヤバくね?」
静かに眠り続けるユッキーに語りかける。
眠っている人間にも、ちゃんと声は届くとか何とかテレビや本で見たけど、本当に届いてんのかね。
「……オレも……もう長くないんだよ……最後にユッキーとたくさん話をしておきたいんだよ。ユッキーはオレにとって……大切な存在だからさ……だから……起きてくれよ」
届いているのなら、どうしてユッキーは起きてくれねえんだよ。
「…………」
眠るユッキーの手をとって握ると、ちゃんと生きている人の温もりが感じられた。
ユッキーは生きてる。
だけど……ただ生きているだけだ。
今のユッキーは何も喋らないし動かない……ただの温かい人形だ。
ユッキー――藤原 雪子。
オレの幼馴染みで、大切な人。
明るくて世話焼き、活発な女の子で、オレとユッキーはいつも一緒にヤンチャをしては周りの大人達をハラハラさせていた。
2人で木に登ったはいいけど降りられなくなったり、イタズラで小学校の先生の給食に七味唐辛子をぶっかけたり、オヤジの書斎の鍵つき扉を2人で金づち持ち出してぶっ壊し、エロ本を発見したり。
……うん、改めて思い返すと、オレらとんでもない悪ガキだな……。
まあ大体はユッキーの提案なんだけどな、マジで。
『木の上からの景色が見たーい!』
『先生を驚かせちゃおーよ!』
『この書斎には秘密があるに違いないのだー!』
……こういう、やたらと高いテンションの持ち主だ。
でも、悪いやつじゃないんだ。
いじめられてる子を助けたり、困っている人を見たら放っておけなかったり……ヤンチャばかりしてたけど正義感は強い女だ。
オレが入院している間は、毎日見舞いに来てくれたし。
ありのままで生きていて、優しくて強いユッキー。
そんな彼女に、オレは恋心を抱いている。
でも告白するつもりはない。
だってオレは死ぬし、これから死ぬ人間に告白されたら彼女だって困るし。
だから、この恋心は墓場まで持っていく。
彼氏彼女じゃなくてもいい、ユッキーが笑って側にいてくれるのなら。
そう思っていたのに。
1年前、ユッキーはある日突然、眠ったまま目覚めなくなった。
頬を叩いても、身体を揺すっても、声をかけても彼女は目覚めない。
朝から何をしても起きないユッキーを異常に思った母親に呼ばれた救急車によって彼女は病院に運ばれたが、医者にも原因が不明で、目覚める方法も分からないそうだ。
このまま、眠り続ける可能性もある――そう聞いた時、オレは目の前が真っ暗になった。
ユッキーには、元気で幸せな日々を過ごしてほしいのに。
もしも彼女を助ける方法が あるのなら、何だってするのに。
もうすぐ この世界から消えてしまうオレだけど、最期には……誰かの為に力に なりたいのに。
そう思う気持ちは日々 強くなっていく。
だけど現実は何も変わらない。ユッキーを助ける方法どころか、眠っている原因すら分からないまま。
オレに出来るのは、1日でも早く彼女が目覚めるのを祈ることだけだった。
「…………絶対に起きろよな」
ユッキーに そう声をかけ、オレは立ち上がり病室から出ていった。
******
病室から出ると、ユッキーのお母さん・藤原 麗香さんとバッタリ出会った。
「あら、陽ちゃん。今日も雪子の見舞いに来てくれたの?」
長めの前髪をかきあけながら、麗香さんが言う。
「はい……やっぱり起きてはくれませんでしたが」
「そう……」
しょんぼりと落ち込む麗香さん。
その姿がユッキーと被って見えた。
短く切り揃えられた髪とシワを除けば、麗香さんはユッキーと瓜二つだ。
ユッキーの顔に四十代分のシワを書き足せば麗香さんの顔になる。
「……あのね陽ちゃん……最近、増えてるらしいのよ……雪子みたいに眠ったまま目覚めない人が……」
「えっ!?」
驚いて麗香さんの顔を見ると、目が合った。
「原因は不明だし、酷い時にはいきなり身体中に傷が出来て亡くなるらしいわ……」
身体中に傷がいきなり出来る?
そんな漫画みたいなこと、有り得るのか……?
ていうか、それだとユッキーも突然死する可能性があるってことじゃん!?
「……怖いわよね……陽ちゃんも気をつけてね。……気を付けようが無いけど……」
疲れた様子で麗香さんはそう言うと、ユッキーの病室に入っていった。
その姿を見送ったオレは、頭の中が真っ白なままフラフラと歩き出した。
───ユッキーが死ぬかもしれない。
───そんなのイヤだ。
───死ぬのはオレだけで十分だ。
───なのに……何でだよ。
───何でユッキーがこんなことに!
そんな言葉しか浮かんでこない。
この世界は理不尽だ。
一生懸命 生きていても、病気になったらあっという間に将来を失ってしまう。
他の皆は これから大人になって更なる波乱の人生を送るだろうに、オレにはそれが無い。
遺せるものも、何も無い。
ガキの頃にヤンチャしまくって、病気になってからは寝てばかり……一体 何の為に生まれてきたのだろう。
ユッキーだって、あんなに元気だったのに、今ではいつ死ぬか分からない……オレより危険な状態に なってしまった。
彼女はオレと違って未来が ある筈なのに……それが無くなってしまうかもしれないんだ。
───神様は乗り越えられる試練しか与えない。
───貴方なら乗り越えられると思って、神様は貴方を選んだ。
聖書や偉い人の言葉だか何だかで、こういうのが あったな。
今では ふざけんなと思う。
こんな綺麗事、ヘドが出る。
病気という試練を与えられて、亡くなっている人はたくさん居るじゃないか。
それでも、乗り越えられる試練しか与えないと言えるのか?
貴方なら乗り越えられる?
そんなの勝手だ。
乗り越えられる云々関係なく、どうして選ばれた奴らだけが苦しまなくちゃいけないんだよ。
神様なんているのなら、オレはぶん殴ってやりたい。
お前の与えた試練のせいで、どれだけの人が苦しんで悲しんで、亡くなっていると思っているんだ、と。
鬱々(うつうつ)とした気分のまま、オレは病室に戻ってきた。
ちょっと歩いただけなのに、身体は強い疲労を感じている。
あーあ……ガラクタだな、オレの身体。
色々と悩みや心配はあるのに、脳や身体は本能に忠実で、眠気を訴えてる。
仕方ないのでベッドの布団を捲って、昼寝しようとする。
(ん?)
布団を捲ったベッドの上には、見覚えの無い灰色の鍵が置いてあった。
何だコリャ?
こんなのさっきは無かったぞ?
手に取って見てみる。
丸っこい取っ手に、十字型の先っぽ。
何の鍵かは分かんねえ……分かんねえけど、何だってこんな物がオレのベッドに?
ベッドを直した看護婦さんが落としたのか?
いやいや、いくら何でも無理がありすぎる。
……まあ、考えても分からないや。
今は疲れてるし、無理に動いてまた点滴とか困る。
少し一眠りしてから、鍵をナースステーションへ届けに行こう。
鍵をベッドの側にある棚の上におき、オレは横たわって目を閉じた。
******
『お前の名前は?』
─何だ?
『お前の名前は?』
─オレ、もう寝たのか? これ夢かな?
『お前の名前は?』
─ああ、もうしつこいなあ……オレは雨宮 陽太だよ
『雨宮 陽太……か。ようこそ、新たなる夢追い人よ』
─ようこそ?
『お前には、夢を叶えるチャンスがある』
─夢を叶えるチャンス?
『夢を叶えたければ、命を賭けて戦え。そして、“その時”が来るまで生き残れ』
─は? いやいや、何それ。何のデスゲームだよ
『鍵は大切に持っていろ。それは武器となり、出口となる』
─鍵? もしかして、あの灰色の鍵のことか?
『では、精々頑張りたまえ』
その言葉を最後に、オレの意識は遠ざかった。