過去編、杞憂?
俺は一体……
何が起こったって言うんだよ。
どうしていいか分からず、しばしその場で茫然自失で佇んでいたものの、取りあえず、家に帰る事にした。
誰もいない家に一人入っていくと、顔も洗わずに2階にある自室に引きこもる。
カバンを無造作にそのへんの地面に転がし、即ベッドに背中から倒れこみ、仰向けに両手で目を押さえながら横になった。
ベッドは非常に気持ちよく、油断しようものなら、すぐにでも意識をまどろみの中へ引きずり込もうとする。
妙に今日は睡魔がひつこかった。
あーもう、まだ日も明るいってのに寝るかよ……
俺は今日起きたことを、横になりながら一つずつ思い浮かべる。
千鶴ちゃんは女優の娘で、オカマでマッチョのアニキがいて、そのアニキを見事のアッパーでノックアウトした俺。
そしてそれが理由で千鶴ちゃんを、我が家へ向かいいれる事はパーとなり、今こうして寝ているわけか。
千鶴ちゃん怒ってるかな? 源五郎は元気かな――愚問か。
いや、そんなことより、特筆すべき事は源五郎を殴った時の俺の状態だよ。
俺はあんなマッチョマンに、ケンカを売る度胸も腕力も持ち合わせた人間じゃない。
なのにあの時――突然俺の中で何かが弾けたような感覚にとらわれた後、良く分からない制御不能な感情が雪崩れ込んできて、俺の口から、らしくない強気で粗暴な言葉が吐き出てきたかと思うと、あのアニキをこれまたらしくない、超絶アッパーでしとめた。
あの一連の俺の身に起きた出来事は何なんだ?
右に転がり、左に転がりそれについて考えるものの、答えは一向に出てこない。
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日が西に傾き空が茜色の染まる頃、窓の外から聞きなれた声が俺の耳に届く。
「雪乃さん、今日は楽しかった」
「うん、私も」
アイツ等か……
そうだ、博だ。
奴なら何か分かるかもしれない。
分からなくても、何か言ってくれるはずだ。
「じゃまたね〜」
「おーーーい、博!!」
俺は博が危うく帰りそうになったのを、窓を開けて大声を放って呼び止めた。
窓からいくらか会話を交わし、「俺の部屋で少しばかり話をしないか?」と博に言ったら、あいつは相変わらず空気を読める男なわけだ。
俺のどこか迷いと不安で曇った顔を見るなり、眼鏡を布で擦りながら爽やかな顔で「いいよ、俺でよければ」と返してくれた。
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「汚い部屋だけど、入ってくれ」
「はは、いつものことじゃねーか」
博は雪乃の学校までのマラソン、その後の雪乃との交流、そして、雪乃を我が家まで見送り、疲れてないわけがないはずなのに、いつもどおり嫌な顔一つ見せず、俺と接してくれる。
「どうしたよ?」
博が唐突に聞いてきた。
「………………」
俺は言葉が喉から出てこない。聞いてもらいたいはずなのに、何から話せばいいのか、考えていなかった。
「これ飲めよ」
博はどこかの自動販売機で買っただろうウーロン茶を、バッグから取り出し俺に手渡す。
炎天下の中長時間バッグの中にあっただろうそれは、既に中は生温かったが、なぜか乾いた心と喉を微妙に潤し、俺に冷静な思考能力を呼び起こさせる。
そうだ、とりあえず、最初から順を追って話そう。
「博聞いてくれ!」
「おうよ」
博に拙く短い言葉を途切れ途切れに発しながらも、今日起きたことを理解できるように要点を伝えていく。
そして俺の身に起きた出来事も大まかにだが、イメージを博に渡す事はできたはずだ。
全部話を聞き終わり、夕日が反射する眼鏡を、時折上に持ち上げながら博は黙っていた。
今、博の頭のスーパーコンピューターが凄まじい勢いで、俺の話した内容を理解し、噛み砕き、そして自分なりの見解を組み立てているに違いない。
#
博が動いた。
いつになく真剣な表情を向けて、何かを告げようと俺の顔を覗き込む。
「寝る雄、大体話は分かった」
「途中、俺も驚いた部分はあった、千鶴ちゃんの母上の事、アニキの事。だが問題はそこじゃないし、お前もそんな事はどうでもいいはずだ」
その通り、良く分かってらっしゃる。
「お前の変貌に対する俺の見解を話そう」
博はいきなり核心に触れてきた。
よけいな言葉を完全に省き、俺の求める答えに繋ぐ要領を得た会話の流れ。
さすがだ。
「簡単に言うとだな――」
俺は息を呑んで博の会話の先へと、神経を張り巡らせて聞き入る。
「悩むほどのことじゃないんじゃないか?」
思わぬ言葉に、感情が揺れ動く。
何か言おうと、口を開きかけた俺の顔に、右手のひらをだして制した。
「愛する彼女が、兄貴にであろうと、目の前で大の男に固く握った拳で殴られようとした」
「それを目の前にして、お前が無意識にだが、彼女を守ろうと兄貴に立ち向かい、そしてぶちのめした」
「ごく普通の事じゃないか? 人間として、男として、彼氏としてお前はお前の責務を果たしたに過ぎない」
「兄貴が演技で殴りかかったにせよ、それを判別する術を持ち合わせていないお前が、そういう行動に出たのは仕方ないし、非があるとすれば、そういう勘違いを生ませるような行動にでた兄貴のほうだと思う」
博は真剣な言葉を連ねると、最後に口元を綻ばせながら俺の肩に右手を置いた。
「俺はお前に逆にこう言いたい、よくやった!って」
「そして、そんなお前と友である事を誇りに思うぞ」
「悩む事は無い、胸を張れ! お前のしたことは至極当然だし、何もおかしい事ではない、自然にでたものだ」
「なーに、それは千鶴ちゃんも分かってくれるはずだ」
俺に渋い顔で逞しい言葉を掛けてくれる博は、まるで30年来の友達か、お師匠様のような存在に思えた。
なんて良いことを言う奴なんだ……
つくづくそう思う。
ゲーオタだけど、人間として博は素晴らしい考えの持ち主であり、俺の唯一無二の親友だ。
この男なら雪乃を任せても、間違いないだろう――いやそんな事今はいいんだけど。
――だけど……何か引っかかる。
何かが。




