第六十二話 罠
カタリーナは深い霧の中を歩いていた。
(ここはどこ?)
周囲を見渡してみても、見えるのは白い霧だけだ。
「誰かいませんかあ!」
彼女はありったけの声で叫んだ。しかし、その声は全く反響する事なく、もちろん、誰も返事をする事はなかった。カタリーナは不安になって走り出した。
「ジョー!」
今度は最愛の人の名を読んだ。ジョーなら必ず応えてくれると考えた。しかし、反応はなかった。
「共和国標準時の明日の午前十時に、ジョー達が処刑されちゃうの!」
その時、不意にエミーが背後に現れて叫んだ。カタリーナは反射的に振り返ったが、エミーはいなくなっていた。
「エミー?」
カタリーナはエミーを探してあちこちを見た。しかし、見えるのは霧だけで、誰もいなかった。
(ジョーが処刑される?)
カタリーナは別の不安に襲われた。
(嘘よ! そんなはずない! ジョーが処刑されるだなんて……)
カタリーナはエミーの言葉を否定するために首を大きく横に振った。
「共和国標準時の明日の午前十時に、ジョー達が処刑されちゃうの!」
今度は無表情なエミーが目の前に現れて叫んだ。
「やめて!」
カタリーナは両手で両耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ。
「共和国標準時の明日の午前十時に、ジョー達が処刑されちゃうの!」
するとエミーが背後に現れて耳元で叫んだ。
「やめて!」
カタリーナはエミーを振り払おうと右腕を振った。
「カタリーナさん、しっかりして!」
その腕をグッと掴まれた。それもエミーだった。カタリーナは病室で目を覚ました。
「酷くうなされていたけど、大丈夫?」
心配そうな顔で尋ねるエミーを見て、
「大丈夫よ」
カタリーナは作り笑いをして応じた。
(夢……。でも、ジョー達が処刑されるのは夢じゃない。どうしたらいいの?)
涙が両方の目から溢れ、目尻からこぼれ落ちた。
「カタリーナさん……」
エミーは傍らにあったタオルを取り、カタリーナの涙を拭った。
「今は何時?」
カタリーナはエミーを見た。エミーはタオルをベッドの脇に置いてから、
「共和国標準時の午前五時よ」
「そう……」
カタリーナは起き上がろうとした。エミーはハッとして止めようとしたが、カタリーナは横で眠っている我が子を見て、
「そろそろお腹が空く頃よ」
エミーはその言葉に身を引いた。カタリーナは半身を起こすと、我が子を抱き上げて、授乳を始めた。
「おっと、失礼」
病室のドアを開けたサンド・バーが慌てて閉じた。
「ちょっと、おじさん、ノックぐらいしてよね!」
エミーが憤然として廊下へ飛び出し、サンド・バーを睨みつけた。
「悪かったよ。新しい情報が入ったんで、伝えたかったんだよ」
サンド・バーは頭を掻きながら言い訳をした。エミーは右の眉を吊り上げて、
「新しい情報?」
おうむ返しに尋ねた。サンド・バーは頷いて、
「そうだ。ジョー達が監禁されていた独房から脱出したらしい」
「ええ!?」
エミーは一瞬喜んだが、
「そんな情報、どこから入手したのよ?」
不審そうな目でサンド・バーを見上げた。サンド・バーはムッとして、
「惑星マティスには、銀河の狼のメンバーが潜り込んでいるんだろ? そいつが知らせてくれんたんだよ。お前、メンバーなのにそんな事も知らないのか?」
エミーはサンド・バーの反論にグッと詰まってしまった。サンド・バーはエミーが悔しそうなのを見てフッと笑い、
「とにかく、カタリーナに教えてくれ。俺はまた司令室に戻るから」
右手を上げて、廊下を歩いて行った。エミーは我に返って病室に戻ると、
「カタリーナさん、ジョー達が脱出したみたいよ。その後の情勢はまだわからないみたいだけど」
カタリーナは赤ん坊を寝かして、横になったところだったが、
「ええ? 本当なの?」
起き上がって尋ねた。エミーは大きく頷いて、
「銀河の狼のメンバーが惑星マティスから連絡をくれたみたいなの」
「そう……」
カタリーナはホッとして目を潤ませた。エミーはそれを見て、
「大丈夫よ、カタリーナさん。ジョーは不死身で無敵なんだから」
カタリーナはエミーの必死さを感じて、
「ええ、そうね」
微笑んで応じた。
ジョー達は暗がりの中を情報部長官公邸を目指して走っていた。そこまで誰一人姿を見せる事はなかった。罠かもしれなかったが、ケント・ストラッグル、カミーラ・ストラッグル、アルミス・ストラッグルを救出せずにゼモ・ガルイを倒す事はできないと考え、彼らがいるところを目指した。
「ここか?」
情報部棟から数百メートル離れたところにある広大な敷地に建つ大きな邸の門の前に着くと、ミハロフ・カークが呟いた。
「中の様子はわかるか?」
アメア・カリングが近衛隊の部隊長に尋ねた。部隊長は敬礼をして、
「はい。警備の人間は門の内側、玄関の前、廊下の十箇所、長官の寝室の前、ストラッグル一族が軟禁されている奥の客間の前に配備されています」
アメアはジョーを見た。ジョーは、
「正面突破だ。躊躇する必要はない。少なくとも、ゼモはここにはいないようだからな」
ミハロフは舌打ちをして、
「あのジジイ、悪趣味だぜ。俺達がどう動くのか、高みの見物のつもりらしい」
ルイはストラッグルをホルスターから抜いて、
「どちらにしても、我々は舐められているという事だ。いい事ではないか」
フッと笑った。ジョーはニヤリとして、
「そういう事だ。行くぞ」
ストラッグルを抜くと、いきなり門を撃った。
「うわっ!」
部隊長が腰を抜かしてしまった。ジョーが撃ったのは、戦艦クラスの艦をたった散髪で撃沈する特殊弾薬だったのだ。巨大な光束は門を吹き飛ばすと、そのまま進み、玄関を貫いた。それに驚いた情報部員達が次々に公邸へと現れた。
「気にするな。前進あるのみだ」
ジョーはストラッグルを構えたままで吹き飛んだ門をくぐり、大きな穴が空いた玄関へと向かった。
「荒っぽいねえ、ジョー・ウルフは」
ミハロフは肩をすくめてルイを見た。ルイはそれには応じず、ジョーを追いかけた。
「ジョー・ウルフ、私が一番乗りだ!」
アメアはそれよりも早く走っていた。
「うるさい連中だ」
背後から銃撃してきた情報部員に気づき、ミハロフが銃を撃った。そこから放たれた光束は幾つにも分かれ、確実に情報部員の頭を貫き、倒してしまった。
(何だ、あの銃は?)
それをちらっと見たルイは目を見張った。
「大丈夫なのですか?」
ゼモとネルム・ザキームは、公邸の最上部の一室で、ジョー達の動きをモニターで観察していた。
「心配要りませんよ。彼らはここまで来る事はできません」
ゼモは微笑んで言った。ネルムは肩をすくめて、
「確かにそうでしょうが、気づかれる危険性はありませんか?」
ゼモはあご髭を撫でながら、
「それもないでしょう。彼らは罠を承知で来たのですから。深く考えて行動している訳ではないと思いますよ」
「そうですか」
ネルムは苦笑いをして応じた。
(少なくとも、ゼモ・ガルイに背中を見せてはいけないという事ですかね)
ネルムは横でモニターを眺めているゼモをチラリと見た。
ジョー達は次々に情報部員を倒して、確実にケント達がいる部屋へと迫っていた。
(あのジイさん、一体何を企んでいるんだ? 何故何も仕掛けてこない?)
ジョーは周囲を警戒しながら廊下を走ったが、アメアは全く躊躇する事なく、突き進んでいた。
「嬢ちゃん、元気だな」
ミハロフがジョーに追いついて言った。ジョーはフッと笑って、
「この中で一番若いからな」
「そうだな」
ミハロフは前を走るアメアを見て応じた。
「閣下、その先を左であります!」
一番年上と思われる部隊長が息を切らせて叫んだ。
「わかった!」
アメアは振り返りもせずに応え、廊下の角を左に曲がった。ジョー達もそれに続いた。
「ここか」
そこは行き止まりだった。その先に大きな扉があり、情報部員が銃を携帯して立っていた。
「貴様ら、何故ここにいる!?」
彼らはすぐに銃を構えて撃って来た。
「遅い!」
アメアは一瞬のうちに間合いを詰めると、サンダーボルトソードで斬り倒した。
「はあ!」
続いて、アメアは扉もソードの電撃で両断した。扉は焼け焦げて崩れ落ちた。
「ジョーさん?」
その向こうには、唖然とした顔でこちらを見ているケント、カミーラ、アルミスが立っていた。
「助けに来たぜ」
ジョーはストラッグルをホルスターに戻して、部屋へ足を踏み入れた。ルイとミハロフは後方を警戒しつつ、中に入った。
「ご無事でしたか。良かったです」
ケントはジョーと握手を交わした。
「だが、気に入らねえんだ。ここまであまりにもあっさりと辿り着けたからな」
ジョーが言った時、崩れた扉の上から分厚い鉄製の扉が降りて来て、穴を塞いでしまった。ジョー、ミハロフ、ルイがハッとした。
「何だ!?」
アメアが力を爆発的に解放した。
「さすがジョー様ですね。お察しの通りです。その部屋はあなた達を陥れるための罠です」
どこからか、ゼモの声が聞こえた。
「何?」
ジョーがストラッグルに手をかけた時だった。
「ぐあああああ!」
ジョー、ルイ、ミハロフ、そしてアメアが絶叫した。
「ジョーさん、どうしたんですか?」
ケントが驚いて、床に倒れて転げ回るジョーを見た。
「どうですか? ビリオンスヒューマンのみが苦痛を感じる波動です。こればかりは逃れる事はできませんよ」
ゼモの声が嘲るように響くが、ジョー達には聞こえていなかった。
「もうすぐ、あなた方の処刑の時刻です。間に合って良かったですよ」
ゼモの低い笑い声が聞こえて来た。
「何?」
カタリーナはうとうとしていたが、いきなり赤ん坊が泣き出したので目を開いた。
「どうしたの?」
まだ生まれて間もない我が子がそれ程大きな声で泣くとは思わなかったので、驚いて抱き上げた。しかし、彼女はまさに火が点いたように泣き続けている。
「カタリーナさん、大丈夫!?」
エミーが病室に飛び込んで来た。カタリーナは泣き叫ぶ我が子を優しく抱きしめながら、
「わからない。何があったのか、わからないの」
悲しそうな目でエミーを見て、首を横に振った。エミーも何があったのかわからなかったが、よくない事が起ころうとしているのは感じていた。




