第四十話 ニコラス・グレイ
「ここにいては危険です、母上。ニコラス・グレイがやってきます」
再びアメア・カリングが奇妙な事を言い始めた。ジョーはアメアを見て、
「ニコラス・グレイが来るというのも、妹情報なのか?」
カタリーナのせり出した腹を見た。アメアは大きく頷いて、
「そう。でも、それだけじゃない。私も感じる。ジョーよりもっと凄い力を持っている存在が、確実にここを目指しているのが」
「ニコラス・グレイのフェークではないという事か?」
ジョーはアメアを見た。アメアはジョーを見上げて、
「ええ。妹の声はニコラス・グレイの罠かも知れないけど、ニコラス・グレイが接近しているのは紛れもない事実。早くこの星を脱出しないと」
カタリーナは、自分の事を本当に心配してくれているアメアの健気さが嬉しかったが、ジョーの前で「母上」を連発するのには困っている。割り切ろうと思ったが、やはり今自分の身体に宿っているジョーとの子の事を考えると、アメアを自分の娘と考えるのには抵抗がある。そして何より、ジョーがアメアの事をどう思っているのか気になっていた。
「そう簡単に脱出はできないようだぜ」
ジョーはエレベーターの方を見て言い、鋭い目になった。カタリーナもハッとしてそちらに視線を向けた。そこには近衛隊長のアレン・ケイムが立っていた。彼は隊員を一人も伴っていなかった。
「閣下、今後の反乱軍との戦いについて、緊急会議を開きますので、軍本部へお越しください」
アレンはジョーとカタリーナを完全に無視して、アメアに告げた。するとアメアは、
「アレン、今は反乱軍などどうでもよい。強敵が近づきつつあるのだ」
「強敵、ですか?」
アレンは眉をひそめて鸚鵡返しに尋ねた。アメアはアレンに近づきながら、
「そうだ。ニコラス・グレイ。お前も名前くらいは知っていよう?」
先程までの無邪気な雰囲気は一気に消え、すっかり統治者の顔と口調になったアメアを、ジョーは唖然として見ていた。カタリーナは幾度も見かけているので、それ程驚いてはいなかったが、アメアの言葉に対するアレンの返答が気になった。
「その名は聞いた事があります。ブランデンブルグ軍にいた時も、幾度となく耳にしました」
アレンの言葉にジョーがハッとした。
(ブランデンブルグ軍にいた時、だと? それ程前から、ブランデンブルグはニコラス・グレイを意識していたのか?)
ジョーはアレンの次の言葉を待ったが、
「閣下、お急ぎください」
アメアの話がなかったかのように話題を変えてしまった。
「アレン、貴様、どういうつもりだ?」
アメアが眉を吊り上げて詰め寄ったが、アレンは、
「全能なるアメア・カリング総統領閣下、会議を行います。お急ぎください」
強い口調で言い返した。
(この言葉を聞くと、アメアはアレンの言いなりになってしまう)
カタリーナは歯軋りをした。ところが、
「黙れ! 私を誰だと思っているのだ!? 銀河共和国の最高位である総統領、アメア・カリングだぞ。いくら近衛隊長であろうと、私に指図するな!」
アメアはアレンの言葉に縛られた様子はなく、怒鳴りつけた。アレンは目を見開いてしまった。
「ジョー、アレンが怯んでいるわ。今よ」
カタリーナがジョーに囁いた。ジョーは黙って頷き、
「アメアはお前の指図は受けないとさ、近衛隊長さん。そこをどけ」
ストラッグルに手をかけて進み出た。しかし、アレンは、
「ジョー・ウルフ、図に乗るな。お前は私に敗北したのを忘れたのか?」
ニヤリとして言った。カタリーナが目を見開いてジョーを見た。ジョーはフッと笑って、
「シールドで守られた腰抜けが偉そうな事を言うな。本当に勝ったと言いたかったら、まともに戦ってみせろよ」
アレンを挑発した。
「私は構わんよ。地べたに這いつくばるのはお前に代わりはないのだからな」
アレンはまた高圧的な態度でジョーを見た。
「うるさい!」
アレンは何もできなかった。いきなり、アメアがアレンの左顔面を右の拳で殴りつけたのだ。アレンは数メートル吹っ飛ばされて、廊下を転がった。
「母上の大事な人であるジョー・ウルフにその態度は何だ! 許さぬぞ!」
アメアは尚も起き上がろうとしているアレンを蹴り飛ばそうとした。
「アメア、もういいわ。早く脱出しましょう」
カタリーナがそれを止めた。アメアは仕方なさそうにカタリーナを見て、
「母上がそうおっしゃるのであれば、許します」
カタリーナはそれに微笑んで応じ、
「では、ここを出ましょう」
「はい」
アメアは嬉しそうに頷き、起き上がりかけているアレンを睨みつけると、カタリーナを気遣いながらエレベーターへと進んだ。
「閣下……」
アレンは殴られた痛みよりも、アメアが自分の「呪文」にも抵抗し、尚且つ反抗したのにショックを受けていた。
(何という事だ……。カタリーナに会わせたのは、やはり間違いだったのか?)
アレンは自分をにらんだまま歩いていくアメアを呆然と見送った。
「あばよ」
ジョーはアレンにそれだけ言うと、アメアとカタリーナを追った。
「追いかけてこないかしら?」
カタリーナがチラッとアレンを見て呟いた。
「しばらく動けないだろう」
ジョーが言うと、
「そこまで強く殴ってはいません、母上」
アメアが慌てた様子で反論した。ジョーは苦笑いして、
「いや、アメアの拳は奴には相当なダメージだよ。ここまであいつに逆らった事はないのだろう?」
「そう、かも知れない」
アメアは深刻な顔になって応じた。カタリーナとジョーはその反応に顔を見合わせた。
(ジャコブ・バイカー亡き今、ジョー・ウルフの戦力もしれている。そして、エレン・ラトキアも動けまい)
自分の艦のプライベートルームで、ヤコイム・エレスはニヤリとした。ジャコブの言葉が正しければ、彼はヤコイムではない事になるが。
「確かめさせてもらおうか、ブランデンブルグ。お前の生み出したビリオンスヒューマンの能力を」
ヤコイムは携帯端末を取り出して、
「惑星マティスに向かえ」
そして、端末をポケットにしまい、
「私だ。アンドロメダ銀河のジャコブ・バイカーの販路を全て奪い取ってしまうのだ。最新の兵器を購入して、共和国軍に売りさばく」
インターフォンのボタンを押して告げた。
「畏まりました」
部下の声が応じると、ヤコイムはまたニヤリとした。
(反乱軍と共和国軍がジャコブの工場跡地を調査するようだが、決して何も見つからぬ。無駄な事だ)
ヤコイムは高笑いをした。
ジョーとカタリーナとアメアは、誰にも妨害されずにエレベーターに乗り、地上に出た。そこから総統領府を出るまでも、近衛隊員一人現れず、三人はアメアが乗っていた戦艦に辿り着いた。
「何だか、順調過ぎて怖いわ」
カタリーナは静か過ぎる周囲を見て呟いた。ジョーも辺りを見渡しながら、
「確かにな。だが、アメアが一緒だから、連中も何もできないのではないか?」
「そうかもね」
アメアは自分の名が出たので、
「さっきより、ニコラス・グレイの力を強く感じます。急ぎましょう、母上。ジョー、母上を抱きかかえられる?」
ジョーを見て尋ねた。
「え? ちょっと、それは恥ずかしい……」
カタリーナが赤面して拒否したが、
「問題ない」
ジョーはカタリーナを軽々と抱きかかえた。
「ジョー、やめてよ!」
真っ赤な顔のカタリーナが涙目で抗議したが、ジョーは、
「そんな事を言っていられないようだ。アメアは震えているぞ」
「え?」
ジョーの指摘にカタリーナは改めてアメアを見た。確かに彼女は小刻みに震えていた。
「早く!」
アメアはすぐさま走り出した。ジョーも走り出した。
「きゃっ!」
その凄まじい速さに、カタリーナは振り落とされるのではないかと思い、ジョーの肩にしがみついた。
地下室に取り残された形のアレンは、ゆっくりと立ち上がり、アメアに殴られた左頬をさすった。その時、彼の携帯端末が鳴った。
「どうした?」
アレンが問いかけると、
「ジャコブ・バイカーの工場が爆発するしばらく前、ジャコブと会っていた者の正体がわかりました」
「何者だ?」
アレンは答えを予測して訊いた。
「ヤコイム・エレスです。聞き出した姿形から、まず間違いないかと」
「そうか。反乱軍の方はどうだ?」
アレンが更に質問すると、
「特に動きはありませんが、恐らく別の場所で調査をしているものと思われます。それから、『銀河の狼』のメンバーらしき者達も、工場跡地付近をうろついているようです」
「そんな連中はどうでもいい。ヤコイム・エレスが今どうしているのか探れ」
「了解しました」
アレンは端末をポケットに戻すと、老化をエレベーターに向かって歩き出した。
(閣下がおっしゃっていたニコラス・グレイとは、ヤコイム・エレスの事なのか? もし、そうだとすれば、確かにこの星が危ないかも知れん)
アレンはエレベーターに乗り込むと、一階のボタンを押して扉を閉じた。
一方、反共和国同盟軍の最高司令官となったエレン・ラトキアは、アレン同様、ジャコブの工場が爆発する前にヤコイム・エレスらしき人物がジャコブと歩いていたという目撃情報を入手していた。
(あのジジイ、どこま私の邪魔をすれば気がすむの? 絶対に許さない)
ジャコブとの取引が完全に潰されたエレンは、アンドロメダ銀河とつながりのあるバイヤーを探させていた。
(武器弾薬を調達できたら、どこよりも先にあのジジイの工場を潰して、息の根を止めてやる!)
エレンは最高司令官の机を右の拳で思い切り叩いた。
「ヤコイム・エレスの居場所を探してください。今は共和国軍よりも、あの死神の方が我が軍にとって脅威となります」
エレンはインターフォンに告げた。
「了解しました」
声が応じた。エレンはインターフォンを切り、椅子に深く沈んだ。
(私は負けない。絶対に共和国を滅ぼして、あの女を殺し、ジョー様を新たな銀河帝国の皇帝にするのだから)
エレンは乱れた金髪を撫でつけて、目を閉じた。
ジョー達が乗る戦艦は離陸し、大気圏離脱を試みていた。
「む?」
操縦席にいるアメアが、レーダーの警報に機器を操作し始める。
「もう来たのか?」
副操縦席のジョーがブリッジの窓の外を睨んだ。
「うう……」
キャプテンシートに座っているカタリーナが呻き声を出したので、ジョーは彼女を見た。
「どうした、カタリーナ?」
カタリーナは苦笑いして、
「大丈夫。お腹の子が、ちょっとね」
するとアメアもカタリーナを見て、
「妹も感じているのです、母上。ニコラス・グレイが近づいているのを」
カタリーナはギョッとしてアメアを見た。




