第十三話 ブレイク・ドルフ
銀河の反対側で、多くの戦艦が集結しつつある頃、ジョーは小型艇でタトゥーク星を飛び立ち、限界ぎりぎりのジャンピング航法を繰り返し、大マゼラン雲に向かっていた。
(アレン・ケイムめ! 一体カタリーナをどうするつもりだ?)
ジョーはいつになく焦っていた。それはカタリーナが妊娠しているからだ。そうでなければ、彼女が易易と近衛隊に拉致されるとは思っていない。自分の考えの至らなさに、ジョーは歯軋りした。そして、共和国総統領であるアメア・カリングが、カタリーナと瓜二つなのを思い出した。
(アメア・カリングがカタリーナとそっくりなのが関係しているのか?)
ジョーは最初のジャンピング航法で外宇宙に出た。そして、わずかな間隔を置いて、再びジャンピング航法を行った。二度目のそれは、小型艇の装甲の各所に亀裂を生じさせ、メインエンジンにトラブルを発生させた。しかし、まだカタリーナがいる惑星が属している恒星系まで遠かった。
「くそ!」
操縦席の肘掛けを叩き、エンジンのチェックをした。損傷は大きく、次のジャンピング航法をするには、数日の修理を要するとコンピュータが試算を弾き出した。
(爆発しなかっただけ、マシってところか)
自分が想像以上に動揺し、冷静さを失っている事に改めて気づかされ、自嘲気味に笑った。
(できるだけ早く直すしかねえか)
ジョーは宇宙服を着込み、操縦席を立った。
カタリーナを乗せたアレン・ケイムの戦艦は、すでに恒星系を離れ、銀河系に向かっていた。
「サンド・バーが敗れたか。想定内だがな」
アレンは刺客として送り込んだサンド・バーを監視していた巡洋艦からのメールを端末で確認して呟いた。
(ジョー・ウルフよりも警戒すべきは、旧帝国の亡霊共だ。我々の予想以上に動きが早い。アンドロメダ辺りに潜んでいた連中が舞い戻っているという事か)
アレンは別のメールを確認してフッと笑い、
(だが、こちらには切札がある。何があっても、銀河帝国など復活させぬ)
賓客席の肘掛けにもたれかかったままのカタリーナをチラッと見た。だが、カタリーナは憔悴し切っており、アレンの視線に気づく事はなかった。
(ジョー……。会いたいけど、会うのがつらい……)
彼女はアレンに記憶を呼び起こされ、悲しみに打ちひしがれていた。そして、ジョーがブランデンブルグと戦い、ブランデンブルグが消滅する寸前に遺した言葉を思い出していた。
『貴様らに、最後の災いを残して逝ってやる!』
その「災い」が一体何なのか、今になってはっきりとわかった。
(あの時は、大宮の崩壊がそれだと思っていたけど、ブランデンブルグが放ったのは、アメア・カリングだったのね……)
カタリーナはブランデンブルグに囚われていた時の記憶を封印していた。彼女自身がそれと望んだのではなく、無意識のうちに思い出さなくなっていたのだ。
(人間は、あまりにも受け入れ難い事が起こると、脳細胞が自殺するって聞いた事がある。でも、私の脳細胞は自殺はしていなかったのね……)
思い出したくなかった事を呼び覚まされたカタリーナは、アレンに対して怒りを覚えていたが、それすら萎えさせる程、ジョーに対する罪悪感が大きく、何もかも嫌になりそうだった。
「隊長、ジョー・ウルフの小型艇と思しき船が、外宇宙を大マゼラン雲に向けて航行中なのを敷設したレーダーが捉えました」
ブリッジにいた通信兵が、アレンに報告するのが聞こえ、カタリーナは我に返った。
「やはり追ってきたか。だが、もう遅い。我々は次のジャンピング航法で銀河系に戻る」
アレンはニヤリとしてカタリーナを見た。カタリーナはアレンを睨みつけた。
「会いたいか、ジョー・ウルフに?」
アレンはカタリーナに近づいて尋ねた。カタリーナは俯きそうになるのを堪えて、
「ええ、会いたいわ。黙って家を空けてしまった事を謝りたいから」
虚勢を張って言い返した。アレンは大笑いをして、
「謝る事が違うのではないか、カタリーナ? 婚約中に不貞を働いた事を謝るのが先ではないのか?」
その言葉に、カタリーナはまた打ちのめされかけたが、
「不貞? 何の事? 私はジョーに対して、後ろめたい事は何もないわ」
それでもなお反論してみせた。アレンは更にカタリーナに近づいて、彼女の顎をクイッと上げると、
「他の男との間に子を儲けてしまった事は不貞ではないのか?」
カタリーナは遂にアレンから目を背けてしまった。アレンはカタリーナの顎から手を放し、
「ようやく自分が不貞を働いた事を認めたようだな? では、謝りに行くか、ジョー・ウルフのところへ?」
ブリッジの窓の外に見える宇宙空間を手で示した。
(どういうつもりなの?)
カタリーナは、アレンの考えが理解できず、返事をしなかった。アレンはフッと笑い、
「いや、やめておこう。今はまだその時ではない。我々がなすべき事は他にある」
キャプテンシートに歩み寄り、腰を下ろした。
「ジャンピング航法に入れ」
アレンは正面を見たままで命じた。カタリーナはアレンを見るのをやめ、別の疑問を考えた。
(もし仮にアメア・カリングが私の子供だとしたら、成長スピードがおかしい。アメアは成人女性。ブランデンブルグに私が囚われていたのは、まだ七年くらい前……。あり得ない)
カタリーナは、ジョーがアメア・カリングと会い、その顔を見ている事を知らない。
反共和国を掲げ、銀河系の一端で集結している大艦隊が隊列を組んでいた。
「反共和国同盟軍の最高司令官であるブレイク・ドルフである。これより、銀河系奪還計画を開始する」
その中でも一際巨大な旗艦に搭乗している真っ白な軍服に身を包んだ黒髪の総髪の男がマイクを片手に全艦隊に呼びかけた。
「戦乱の象徴たるジョー・ウルフが共和国に対して敵意を露わにしたとの追加情報が入った。少なくとも、ジョー・ウルフが我々と敵対する事はないという証拠だ。これは朗報である。できる限り早く、銀河帝国を再建し、亡きストラード・マウエル皇帝陛下の跡を継がれる正当後継者をお迎えするのだ」
ブレイクは力強く語った。
「狙いはただ一つ。偽りの総統領であるアメア・カリングである。銀河の民を騙し、不当にその地位を得たアメア・カリングは抹殺されるべき存在だ。あの女を倒せば、帝国の復興は最早果たされたも同然。諸君の奮闘を期待する」
ブレイクはマイクを戻して、ブリッジの中央にあるシートに座った。
「惑星マティスに向けて全速前進!」
その後方のキャプテンシートに座っている旗艦の艦長が全軍に指令した。無数の軍艦が一斉にエンジンを噴射し、動き始めた。
(銀河系は戦乱が似合う)
ブレイクは右の口角を吊り上げた。
(愚劣にも、ブランデンブルグ軍と和平交渉をしようとして死んだエリザベートなど、帝国の皇帝に数える事などあり得ぬ。そして、帝国衰退の直接の原因となった愚者であるバウエルも排除しなければならぬ。マウエル朝全盛期に銀河系を戻すのが、我が願い)
彼は、崇拝しているストラード・マウエルこそが銀河帝国滅亡の最大の要因である事を認めていない。都合のいい思想を持った男である。
「動き出したか」
共和国軍も、ブレイク・ドルフ達の行動を察知していた。惑星マティスの一角を占める共和国軍本部の一室で、回転椅子を軋ませて、男が呟いた。
「銀河帝国の悪しき亡霊共がどれ程数を揃えようと、我が共和国軍の敵ではない事を思い知らせてやる」
男はその肥えた身体を立ち上がらせ、ゆっくりと大きな窓に近づいた。
(共和国はお前のものではない事も思い知らせてやるよ、アレン・ケイム)
男の顔が狡猾に歪んだ。