第一話 ラウラ、見つける
《第三城壁、地点Q、注水開始します》
耐圧スーツのヘッドフォン部分から、オペレーターの声が聞こえる。その場に立ったままじっと待っていると、海水が部屋に流れ込んでくる。ぎゅっと体を押してくる水圧に耐える。部屋が水で満たされると、またもオペレーターの声。
《水圧、上昇します》
体へかかる負荷が徐々に大きくなっていく。何度か手を握り、スーツが体に馴染んでいることを確認する。ゆっくりと足を上げて、水圧への慣れも確認し、最後の言葉を待つ。
《地点Q、準備完了。外壁を開放します》
ゆっくりと開いていく目の前の壁を見据え、その先に広がる、天からの光の届かない水底を見つめる。小さく深呼吸すると、一歩踏み出した。
「城壁巡査隊三等兵、ラウラ・マンハイム。定期巡回に行ってまいります!」
床を強く蹴って海中に飛び出す。第三城壁を出て辺りを見回すと、同様に別地点から飛び出してきた先輩と同僚が見える。改めて海中を見渡すと、外壁の明かりでぼんやりと照らされているのがわかる。潮の流れも弱く、他の生き物たちがあまりいない深い海の底――そこに、アトランティス帝国はある。
「マンハイム、巡回ルートは頭に入ってるか?」
「い、一応……」
「まあ、今回はお前とラクロワがいるから、まずはルートの確認も兼ねて回るぞ」
「はい!」
「ラクロワ、ついてこれるか?」
「はい、なんとか」
「耐圧スーツでの動き方も早めに慣れとけよ。研修と実地はかなり違うからな」
先輩の言葉に、今年成人して配属されたばかりの私とレベッカ・ラクロワは頷く。確かに、穏やかとはいえ海に出ると潮に流されそうになる。滑らかに泳ぎ出した先輩の後を慌てて追う。
潮が緩やかとはいえ、城壁付近に全く物が流れつかないわけではない。不審物や障害物がないか巡視することと、何よりも海底で生活を営む帝国を守る城壁に異常がないか点検すること、これが城壁巡査隊の主な仕事だ。わずかな異常でも見つかれば、すぐさま帝国へ報告され、国営調査点検隊が派遣される。私たちの仕事は、非常に重要なものだ。少しでも見落としがあれば、それは直ちに国民の安否に関わってくる。
「ここは岩が多くて入り組んでいるから、潮の流れがちょっと特殊だ。感覚で覚えるまでは鎖にしがみついてろ」
「はい……あれ? 先輩……せんぱーい!」
「ん? どうした、マンハイム」
先に行っていた先輩を呼び止めると、先輩はするすると戻ってきた。少し後ろにいたレベッカも鎖伝いにようやく追いついたのか、私が指差す方に身を乗り出す。
「何かあったの?」
「不審物か?」
「よく見えないのでわからないんですけど、結構大きな……いや、まさかとは思うんですけどー……」
「なんだ、言ってみろ」
先輩に促されて、恐る恐る口を開く。確証はないけれど、見つけたものを報告しないわけにもいかない。見間違いで笑われるほうが、重大なものを見落としていたよりもいいだろう。
「あのですね――あれ、人じゃないかと思うんです」
「……人?」
先輩の声音が落ち、私たちに「少し待ってろ」と言い置くと、流れに乗って確認しに行ってしまった。残されたレベッカと首を傾げながら、先輩の戻りを待つ。あれが人であれば、他の海底帝国――例えばムーなんかの偵察という可能性もある。そうなれば確認に向かった先輩は危ないわけだが、おそらく生きた人間がアトランティス帝国の城壁付近に潜むわけがない。ムー、レムリアと並んで海底で覇権を握る国家のひとつなのだ。正式な外交以外で近付けば、どのような処遇を受けようとも文句は言えない。
「おい、マンハイム、ラクロワ!」
「は、はい!」
「はい!」
他国の巡査隊か調査隊の死体だろうと思っていると、先輩が何か大きなものを抱えて慌てた様子で戻ってきた。
「すぐに帝国病院と上に連絡しろ!」
「え? 病院と上……って、」
「いいから早くしろ! 中に戻るぞ、漂流者だ!」
「!!」
戻ってきた先輩が鎖を掴む。抱えているのが人間だとようやくわかり、真っ青になりながら指示通り連絡を取る。
先輩が抱えている人は見慣れない耐圧スーツを着ているが、そのスーツはだいぶ傷んでいる。さすがに破れてはいないようだが、強い衝撃を受けたのか、先輩が呼び掛けても反応はない。シフトを組んで一日に五回は巡回しているが、前回の巡回で発見されていないのであれば、長ければ四時間程度倒れていたことになる。どこの国民で、果たして助かるのかもわからないが、とにかく今はやるべきことをやろう。
「あっ、もしもし、城壁巡査隊三等兵のラウラ・マンハイムです。はい、城壁外にて要救助患者を発見しましたので、すぐに受け入れ態勢を整えてください。はい――おそらく漂流者です。国籍はわかりませんが、耐圧スーツを着ているのでムーかレムリアかと……はい、地点Mですね。わかりました。ありがとうございます」
私が病院に連絡を取っている間にレベッカが上司に報告を済ませてくれたようで、帰還場所を聞き取った先輩は早くも動き出している。
「地点Mだな。俺が抱えていくから、マンハイムが前、ラクロワが後ろにつけ」
「はい!」
先輩を追い越しざま、抱えられている人を見た。装飾の少ない耐圧スーツに国を特定できるものは書かれていない。体格からして成人男性だろうが、スーツを着ている以上、顔は見えない。どんな人なのだろうかと思いながら、鎖を掴んで先導する。
国家が海の底にあるため、国外へ出ることは仕事以外でまずない。海中なら巡査隊のような仕事でも出られるが、地上へは貴族や議員、外交官くらいしか行くことができない。いつか地上へ行ってみたいと思うけれど、夢のような話だ。せめて国外へと思い、成人するにあたって城壁巡査隊に志望したのはいいけれど、幼馴染の反発は受けるし配属初日からとんでもないことに巻き込まれるし、少し先行きが不安だ。
「地点M、外壁開放確認しました!」
「よし。マンハイムから入れ」
「はい! オーケーです、先輩どうぞ!」
「ラクロワ、俺に続け」
「はい」
「全員入りました。外壁閉じてください!」
オペレーターに頼むと、壁が徐々に海底を隠していく。水圧、海水の調節をしている最中も、先輩は救助者の意識を伺っていた。ようやく部屋の海水が全て抜かれたところで第二城壁への扉が開く。
「患者はどこに?」
「ここです、ずっと意識がないようです」
「そのまま動かさないで! 担架こっち!」
第一城壁の中で待機している救急医療班がすぐさまなだれ込んできて、救助者を担架に乗せて先輩と共に出て行った。先輩は「指示を待て」と言い残して行ってしまったけれど、正直配属されたばかりの私たちはどうすればいいのかさっぱりわからない。
「ラウラ、どうする……?」
「どうするって……とりあえず第三にいても仕方がないから、第二城壁まで戻ろう? 絶対に指示は来ると思うし」
「うん……そうね」
不安げなレベッカの背中を撫でながら、第三城壁を後にした。
深い海の底で動き出している不穏な気配に、この時の私――私たちアトランティス国民は、まるで気付くことはなかった。