平安時代の古文を現代風に通釈してみたw
<あらすじ>
男は総理大臣の息子で、父の秘書官をやっている。父の広島での講演会に同行した男は、会場で見かけた謎の少女に一目ぼれし、彼女の自宅を突き止め、押しかけた。
作者不明『宇津保物語』
男の訪問に怖気づいた女は、とっさにクローゼットの中に隠れた。男が声をかけても答えない。
「つれないな。そこに居るんだろ?…安心してくれ。僕がここに来たのは、君をからかう為じゃないんだ。そんなゲスな動機で、わざわざここまでするわけないだろ?」
そう言うと、クローゼットが開いた。女はやはり美人だったが、間近で見ると幼さが目立つ。
自分はロリコンなんじゃないかと、男は少し自虐的になった。
「わ、私は…、か、カゲロウなのよ…、カゲロウの鳴き声のように…、ちっぽけで…、とるに足らない存在なのよ…、私のことなんて…、空気か何かだと思って…、気にしないでほしい…」
女はつぶやくように言った。カゲロウのように消え入りそうな声だった。
その声がたまらなく萌えたので、気持ちはいっそう募った。
「いや、ほっとけないよ。君みたいな女の子をほったらかして、ご両親は何をしているんだ?」
男がそう言うと、女は伏目がちになる。
「あ、あなたには…、関係ないわよ…、こんなドン引きするような…、お化け屋敷に…、誰が住んでいたって…、世間は誰も気にしないんだから…」
「『コロンブスの卵』ってことわざを知ってるかい?世間の常識にとらわれていたら、大発見はできないものだよ。僕は自分の直感を信じてる。遠くから君を見たときビビっと来たんだ。何かあるってね。追いかけてきて正解だった。どうやら君の親は相当にヒドイ奴のようだね、かわいそうに。親の名前は分かるかい?」
男は問いただすが、女は教えようとしない。
「名前なんて言ったって…、テレビに出るような有名人でもあるまいし…、誰も知らないわよ…」
そういって女は部屋のピアノを弾き始めた。
それは実に見事な演奏だった。皮肉なことに、ピアノの音色は饒舌に語っていた。彼女のただならぬ教養の深さを。それを教え込ませた偉大な親の存在を。
男は女のミステリアスな魅力にうっとりして、そのまま一晩を共にした。
男は女を一目見たときからほっとけなかった。それが今、二人は結ばれてしまったのだ。
遠くの沖でのわずかなゆらぎが高波となって入り江に押し寄せるように、男の女に対する愛情も激流となって男を飲み込んだ。そしてもう、何もかもがどうでもよくなった。
しかし高波の正体は沖のゆらぎである。そして、ゆらぎの正体は海風である。海風の正体は---太陽の熱だった。男はどうしても自分にとっての太陽、総理大臣の父親の存在を忘れられない。
『父は今頃心配しているだろうか…』と男は思い出した。
父は異常に過保護で、いっときも息子から目を離さない人だった。
『父はもしかしたら僕を信用していないのかもしれない』と男は常日頃から疑問に思っていた。
『そうだ、父は僕を心配しているのではない。僕を信用できないんだ。僕が不良になってしまう可能性を捨てきれないのだ。ではそれはなぜか?決まってる。父自身が不良だからだ』
男は女と結ばれてしまった。一度結ばれた人間の絆というものは、この世の絶対的な支配者である時間でさえも蹂躙してしまう。男はもう女から離れることができない。離れてしまったら、時間ですらも「片時」という無意味で粗末なものに成り下がってしまう。
しかしそれは男と父親の関係でもあった。父親は彼を片時も離さない。いや、離せないのだ。 親子の絆もまた男女の絆と同様に、切り離すことが不可能なのだ。
男はいつか父親の元に帰らなければならない。しかし女を見捨てていくわけにもいかない。こうして男の答えの出ない苦悩が始まった。
男が見捨ててしまったら、女はいったいどうなってしまうのだろう?
こんなお化け屋敷に女をひとり置き去りにするなんて選択肢は、あり得なかった。
「もっと打ち解けてくれないか?もうヨソヨソしくしないで欲しい。君が心を開いてくれたからこそ、僕はセックスすることができたんだ。君のおかげで僕は男になれた。でも、こうして一人の男になって初めて気づいたことがある。それは僕が一人の男であると同時に、父の息子でもあるってことなんだ。父がいなかったら僕はいない。父の講演会に君がいなかったら、僕らがこうして出会うこともなかった。」
男の告白を、女は黙って聞いている。
「いっけん偶然のような僕らの出会いも、すべては必然でさ。僕の父は総理大臣のくせに無類の女好きでね。だからこそ息子の僕が女遊びをしないか心配なんだろう。常に目を光らせていて、僕の海外留学さえ許してくれなかったんだ。だから僕がこうして彼の秘書官をやっていて、彼の講演会で君に出会って、こうして童貞を捨てたのも、そう考えてみたら、実は偶然でも何でもないんだ。」
男はさらに続ける。
「問題はここからでね。そんな父は僕のこの状況を、やはり許してはくれないだろう。それだけならまだ良い。それだけならまだ気持ちの問題だ。問題なのは、父はじきにここを嗅ぎ当てて、僕らの仲を引き裂こうとするかもしれないってことなんだ」
男は語りながら、『自分はまるで波のようだ…』と思った。自分には「意志」というものが無い。女に引っ張られ、父親に引っ張られ、二つの引力の間をただ揺れ動くだけの愚かな波でしかないのだ。
自分には「意志」がない。それでは果たして、父には「意志」があるのだろうか?女には?
いや、もしかしたら…、そもそも、「意志」なんてものは始めから------
「そんなわけで、僕はいったん帰ろうと思う。もちろん、またすぐに遊びにくるよ。でも、それが果たしていつになるのかは分からない。約束はできないんだ、ごめんね。僕には約束をする権利がないんだ。僕には、自分の意志を持つ権利すらないのだから…」
そこで、男ははっとした。
自分がただ流されるだけの波でしかないのなら、彼女もやはり、波なのではないだろうか?
男が再会のときを約束できないように、女もやはりまた、何も約束できないのではないだろうか?
男が再びこのお化け屋敷を訪れたとき、ここに女がまだ留まっている保障はどこにもない。そう、どこにも無いのだ。そう考えると男は不安でたまらなくなった。
「君はこの家のことをお化け屋敷なんて自虐的に言うけれど、君がお化け屋敷の幽霊だったなら、僕はどんなに安心できただろう。お化けは決して屋敷を離れない。でも君は生きた人間だから、この先どうなるのか分からない。お願いだから僕を少しでも安心させてくれ。せめて、親の名前だけでも教えてくれないか!?」
男の訴えに、女の苦悩はよりいっそう強まった。
男はお金持ちで、若くて、頭がよくて、ハンサムで、すべてを兼ね備えているように女には思える。そんな男が、ちっぽけな自分のせいで悩んでいることが痛ましくて、恥ずかしくて、死んでしまいたい気分だった。
「お、親も…、た、頼れる親戚だって…、私にはもういないんだ…、いたなら…、こんなお化け屋敷に…、ひとりぼっちなわけ…、無いでしょう…?、私はこのまま…、白骨死体になって…、このお化け屋敷の…、本物の幽霊になるの…、それしか…、道はないんだよ…」
女が途切れ途切れにしぼり出したその言葉から、彼女の両親が既に亡くなっていること、そのために彼女がこのような貧乏暮らしをしていることを男は知った。
「それならなおさら、親の名前を教えて欲しい。君がただのゴロツキの娘じゃないことぐらい、僕にも分かる。本物のごろつきの娘は、政治に興味をもったり、ピアノを上手に弾けたりしないのだ。成り上がりの金持ちがすぐにバレるのと同じ理屈で、教養というものは隠せないのだ」
男はさらに問い詰めた。男には女の家柄に自信があった。そして、女の家柄さえよければ、父も二人の結婚を許してくれるのではないかと、男は期待した。
「だ、だから…、いったでしょ…?テレビに出るような有名人でもあるまいし…、誰も知らない人なんだから…、名前を出したって…、分かりっこないわよ…」
そういって女は、かたわらのピアノを奏でながら、しくしく泣き出した。
女が演奏したのは、誰もが知る名曲だった。
そしてそれは、彼女の父親が作曲したものだった。