第二話 五十嵐 龍貴は仕方なく
突然だが、五十嵐 龍貴は家庭的である。いや、それも当然と言えば当然なのだ。家主が家に居ないことが多く、家事全般を切り盛りできるのが、他に彼しか居なかったのだ。
五十嵐家の家族構成は、長男一人、次男一人、長女一人、次女一人。長女、五十嵐 龍美が名目上家主、龍貴が実質上家主。実質上家主とは、家事全般、家のお金全般を管理しているので、いつの間にか姉である龍美まで逆らえなくなってしまったのだ。
次男は五十嵐 龍明。次女は五十嵐 龍希。二人は双子で、今は小学4年生。姉も兄も慕ってくれる良い子達である。
ちなみにこの一家、全員共鳴者である。しかも同じ”現象”を媒介に共鳴する。
そんな一家も、他の家庭と同じく朝を迎える。
「起きろぉー二人とも。もう朝だ」
双子が仲良く寝ているベッド二台、それがある部屋のカーテンと雨戸を開ければ、お日様の光がさんさんと屋内へと入り込む。
その光は子供の眠気を覚ますのに充分だった。
「おはよぉー…」と仲良く体を起こし、眠気眼で兄に引き連れられ、食卓へと座り込む。声をかけるのを忘れれば、二人とも座席で眠ってしまいそうである。
だがそれも食卓に運び込まれた食事が発する香りで、あっさりと解消される。
油たっぷりの焼き魚と白米、味噌汁、たくあん。オーソドックスな日本食である。だが五十嵐 龍貴は家庭的である。白米はさすがに炊飯器だが、味噌汁はインスタントではなく、キチンと出汁をとっており、焼き魚もじっくりと油が滴るほど焼き上げる。たくあんはスーパーのお惣菜コーナー。
徐々に食卓を囲う香り。双子はパッチリ目が覚めて、両手を正面で合わせる。まるで神への祈りじゃないか。
「いただきまーす!」
「いただきます!」
「あいよー」
熱々なのでがっつくような食べ方はしないが、それでも食欲は伝わってくる食事タイム。尚、龍貴はすでに食事を済ませてしまったので食席を共にしない。別に家族と食べるのが照れくさかったわけではない。食事のほかにも、昼食のお弁当、洗濯、掃除、あらゆる家事を予定通りに進ませなければならないので、一緒に食べる時間が無い、と言うのが正しい。
余談だが、通常小学校と言うのは、給食が存在するものだが、ここはハウリンガルが住まう離島である(共鳴島地と一般的に呼ばれている)。本島と比べ食糧が配給されるスピードが格段に遅い。何せ船で一々移動しなければならないし、船となれば天候や風速などで船が出せないこともあるのだ。故にハウルフィールド全域に存在する小学校では給食は一切存在しない。全て自らで用意しなければならないのだ。
閑話休題。
食事が終われば後はスムーズである。歯磨き、着替え、身支度。
いつの間にか双子を送り出していて、気がつけば自分も出発する時刻に。
「…行くか」
しかし。
ブーッ ブーッ
「………」
ファッキン着信バイブである。しかも用件まで予想できるのだから、とても性質が悪い。
だが出ないわけにはいかない。自分が組織に所属している以上は。
「…なーんて、思うわけねぇじゃん、馬鹿馬鹿しい」
ケータイに出ないまでも、用件は分かりきっているので、目的地へ足を運ぶ。
目的地は学校ではなく、着信が来ているケータイは切ってしまった。
まるで、指図を拒むように。
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「…やっぱり切られた」
「相変わらずだな、彼は」
「相変わらずって…別にそんな昔じゃないでしょ、最後に会ったの」
「そうだったかな。私は現場を滅多に見ないから。優秀な人材でも、会わないときは本当に会わないよ」
「………そッスか」
「いや、すまない。君が無能と言うわけじゃないんだ」
「分かってますよ。被害妄想持ちじゃないんで」
「…行くのかい?」
「ええ。これは、ハウリンガルの未来を守る仕事ですから」
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殴る度、肉や骨がひしゃげる感触が、直接拳に伝わってくる。正直気持ち悪い。
「ひっ!?ま、待ってくれ!許してぐ、ッブ…!」
蹴る度、肉や骨が砕ける感触が、直接足に伝わってくる。正直気色悪い。
「俺らは仕事しただけだ!じゃねぇと生きてい、ゲッ…!」
だけど、一番不愉快になるのは。
決まってこの感覚。
「熱い!熱い!た、助けて、何でもするから!」
この、何かが焦げる、煤臭さ。
「豚が命乞いするな。黙って丸焼きになれ」
早く帰りたい。
この煤臭さを洗い流したい。
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前話を覚えているだろうか。ハウリンガルという特異能力者を売買する組織の存在を、前回は仄めかしたが、そういった人間は警察に捕まらないことも説明した。では、そういった組織に対抗するためには、どうすれば良いのか。
答えは一つ。”自分の身は自分で守るしかない”。
ハウルフィールドは本島の政府と契約し、ある組織を設立した。”治安機関”テミス。物的、状況的証拠が無ければ動けない警察と違い、そういった疑いがあれば実力行使を許されている組織である。もちろん制約も様々つけられては居るが、この組織が設立してからは、ハウリンガルの”行方不明者”が格段に減った。それは、主にある男が活躍しているからでもある。
五十嵐 龍貴が住んでいるハウルフィールドは、大地の憤怒が起こる前には、日本地図に存在した神奈川県に当たる。その最北部である相模原市。さすがに震災が直撃した土地なだけあって、20年経った今でも、整備が完全ではない。そこにある”元”相模原市役所。龍貴は今そこに進入し、そこを拠点としている人間を片っ端から”始末”している。
銃や鈍器などを所持している人間がうろうろしているが、所詮ただの人間。超常的な力を持つハウリンガルである彼を止められるわけが無い。
鉄バットを振っても、残像をすり抜けるだけ。
銃を撃っても、狙いが定まらない。
そうやって闇雲に武器を振り回している人間は精神的に余裕が無くなり、簡単に急所をさらしてしまう。そして、たった一人の子供に倒されてしまう。正面玄関から進入した龍貴は、そうやって次々と各階を制圧していった。
やがて、市長室にたどり着いた。
こんな用件を早く終わらせたかった龍貴は、市長室までの廊下を、血と煤の匂いでいっぱいにしながら、ドアを乱暴に蹴破った。
バギッ!!
ドアの向こうは、予想通りと言うべきか、それとも意外だったと言うべきか、一人の男が佇んでいた。
髪はオールバック、両耳にピアスを開け、前回の伊東と同じスーツを着こなしている中年男性。しかし体格はがっしりしていて、格闘技でもかじっていたのか、間合いを取るように身構えていた。
龍貴は逆だった。まるで無防備をアピールするかのように、手ぶらでしかも学校指定の制服姿で、市長室に進入する。
「…よくもここまでやってくれたもんだ。クソガキが」
男は悪態を吐く。
「何でそこまで他人のために戦うんだよ。”俺ら”は所詮異端者だ。偶然起こった大地震でたまたま生まれた超能力者だ。そんな連中、野放しにしたって碌な結果になりゃしねぇ。お前みたいな子供が、夢見るような超能力都市になんて、この島はならねんだよ!」
台詞からするに、どうやら男はハウリンガルのようだった。しかし、新たな能力を手に入れて浮かれているような、そんな軽薄な言動ではなかった。能力を手にし、さらにその先の未来まで見据えた上での、結論だった。
だが、それで人身売買など、許されるはずが無い。それで人の命を金に変えるなど、あってはならない。常識的に考えれば、それが他の人の反論だろう。そしてそれはひどく正しい。己の人生を他人の金に変えられてはたまったものではない。それは、例え共鳴能力を持つ人間でも同じことなのだ。
龍貴は男に言った。
「何言ってんのオッサン」
「…あ?」
「俺はただ文句言われるの面倒だから戦ってるだけだよ」
「…何?お前何言ってんだ?」
「だから、文句言われるのが嫌だから、戦ってんの。ウチ四人家族でさ、生活するためにはお金が要るんだよ。でもそれって姉さんの稼ぎじゃ足りなくてさ。あの二人も結構お年頃だし、欲しいもの買うのにも不便だし。だから俺はこうして働いてんの。でもって、上がやれって言ってるから、やらなきゃ金貰えないからやってんの。それで下手に逆らったり、手を抜いたりしたら、上から文句言われるじゃん?だからこうやってキチンと殺しに来たの」
面倒くさそうに。
とてつもなく面倒くさそうに、龍貴は説明した。
まるでやる気の無いサラリーマンのように、「本当はニートが良いけど働かなきゃ生活できない」と、一々しなくても良い理由を説明するように。
龍貴は、人殺しの理由を説明し終わった。
説明が終わり、数秒して男はうつむく。
直後、どこかで爆音が響いた。同時に建物が揺らぐ。どこかのガスか何かに引火したようだ。このままここに居れば、二人ともただではすまないだろう。廊下までだった火の手が、徐々に市長室まで入り込んできている。
そうして2、3分が経っただろうか。男があまりにも無防備なので、龍貴は逆に手を出す機が伺えなかった。
だが、突如として男が口を開く。
「…ふざけるなああああああぁぁ!!」
ギイイィィィィン!
何かが、振動して響く。
火炎に包まれて、轟音が響く元相模市役所の中に居るにも拘らず、それはハッきりと聞こえた。
音が鳴り終わったかと思うと、急に床が盛り上がった。灰色の砂から這い出てくるように、それは徐々に高く盛り上がり、やがて人の形を成して行く。
その灰色の正体は、コンクリート。コンクリートと男が”共鳴”し、ハウリング能力を発動したのだ。
人の形のコンクリートは、一体だけでなく、そのうち何体も出来上がっていった。それぞれ灰色で、出来損ないのマネキンみたいな造形だった。コンクリート人形は男と同じように、間合いを取るような構えを取っている。
男は吼える。
「お前みたいなガキが!そんな下らん理由で人殺しするか!?何かあるんだろ!?もっと大きな夢とか野望が!ええ!?”五十嵐 龍貴”!!」
「…夢とか野望とか、持ったって意味無いだろ」
顎を引き、男を隙無く見据える。
「そんなモン、何の価値も無いんだからよ」