転寝の感慨
「ふぅ、気持ち良い」
手の平大の水の塊。それは僕の顔面に当たると同時に弾け、あるものは地面へと吸い込まれ黒い染みを作り、またあるものは僕の体温を奪いながら僕の体表を下へとなぞる。服へと染み込んで肌に張り付いてくるのだが汗とは違い、冷たくて爽快だ。
僕は吹き抜ける風を肌で敏感に感じながら、頭も瞬間冷却するために流れ行く川に全て浸す。
場所は夏の暑さが照りつける道端。僕たちは寝床を探すべく歩いていた。
「ウタ、暑い。仰いで」
背中を曲げ、額に汗をにじませながら僕に訴える黒凛。どうやらお姫様はもううんざりらしい。
「仰ぐもの持ってないぞー、ていうか自分で仰げー」
黒凛と同じように背中を曲げ、顔を流れる汗を放置しながら返す。暑いのはこっちも同じだ。
「なら抱きついていい?」
「な、なに行ってんだよ。……急に」
「だってウタ影薄そうでひんやりしてそうだもん。日陰って涼しいもの」
「うるせー!俺は影薄くない。それに影薄いのとそれは関係無いだろ!あと全国の影薄いさんに謝れ!」
「なら脱ぐわ」
「まっーーたーー!それだけは駄目だ」
膝下にあるシャツの裾を握り、脱ごうとする黒凛を慌てて静止させる。どうやら黒凛は羞恥心を失ってしまうぐらいこの暑さにまいっているらしい。
…………そのまま脱がせても良かったのだが。
しかし黒凛はだいぶ疲労しているようで、肩で風を切るように息をしている。身体の揺れに合わせるように、あのスカイブルーの髪も季節外れにも程がある黒マントも例の"熱血"の文字も上下していた。
「そのマント外せばいいじゃないか」
「いや、これはそのままでいい」
しかし全ての光を呑み込む黒マントの温度は漸増している。このままでは黒凛の体調は悪くなる一方だろう。この暑さの中で倒れると先程のように大丈夫ですー、では済まない気がする。
「そうだ!河行こう」
「歩くのめんどくさい…………おんぶして」
「嫌だよ暑苦しい」
「うぅー」
隣から僕に注がれる視線。その蒼の双眸にはいつもより迫力があり少し怖かった。これも生存本能って奴なのだろうか。
「いいから行くぞ」
前を向き歩を進める。しかし聞こえるはずの2つのテンポは1つだった。
「たくっ、ほら」
「う、ん」
黒凛に背を向け屈みこむ。その背中に掛かる荷重は小さな子供とは思えないくらい重かった。おそらく全ての体重を僕に預けているのだろう。力の入っていない人の身体は想像以上に重いようだ。
首元にかかる黒凛の穏やかで激しい吐息と蒼い髪。僕の背中はじんわりと彼女の熱を感じる。
…………なるほど。これは暑いわけだ。僕の背中にかかる髪と黒マント。黒は光を集めて熱くなりやすいという事を改めて実感する。おまけにマントが黒凛の背中ごと僕を包み込んでいるので、風を通さず熱を逃がさない。…………おそらく黒凛が再度倒れるのも時間の問題だっただろう。
「よっこらせ、行くぞ」
「影が伸びるくらいの速さでお願い」
「おう!影どころか光の速さで行ってやるぜ…………ちゃっかり影という単語入れるのやめてくれ」
「いや、そこは重要だわ」
「そこは突っ込まなくていいんだよ」
そして僕はそのまま河原へと猛ダッシュし…………現在に至るというわけだ。
「ぷぁっ!気持ち良い。どうだ?黒凛」
……………………ひゅう
あれ?いつもの澄ました声が帰って来ない。
辺りを見回してみるもやはり誰もおらずささやかな微風が耳を掠めるだけだった。
「あれ?どこに行ったんだ黒凛?」
一人でぼやいてみるも当然のように、言を返す人もおらず、僕の声は微風と共に流され消えてゆく。
僕は再度首と体を左右に回す。
「どこ行ったんだ?黒凛」
川でさっきまで顔洗ってたし、何処かへと行くようなそぶりも見せなかったはずだ。
…………何だあれ?なんか黒いものが…………浮いてる?
そこで僕はふと水面に浮いている黒い影を見つける。それは流れに身を任せだんだんと下流へと流されていた。
…………あれ?どっかで見たことあるような……………………………黒凛!!
僕は黒マントの近くへと水泳選手さながらのフォームで飛び込む。しかし所詮素人。耳をつんざくような破裂音が響き、水柱が高く上がる。
やばい…………腹打ちした。
へそのあたりから広がる殴られたような鈍い痛み。しかしその痛みも麻痺したように気にならない。僕の頭の中で最悪の事態が反芻する。焦燥感は募るばかりだった。
「おい!こくりーーーーーーーーーー!!」
しかし僕が期待しているあの声は聞こえてこない。聞こえてくるのは風が空気を切るかすかな音。それのみ。
あの時決めたはずなのに……。僕に付いて来いと言いながらこのザマだ。半ば強引に連れて来たようなものなのにこれでは本末転倒だ。
頭は自責の念と焦燥でごちゃまぜになっていた。全く思考が働かない。己への苛立ちが強くなっていく。
なにやってんだ僕は…………
黒凛に謝罪するような気持ちで、流されているマントを撫でる。
安物ではないであろうこの質感。しかしどうして黒凛はこれをそんなに重宝していたんだ?…………黒凛に聞いてみたい…………。
僕はギュッと目を瞑る。こんなことを考えている場合じゃない。しかし頭は働かない。気持ちは焦るばかり。そんなどうしようもない僕だが、だが目的だけは分かっている。それは実に単純明快だ。考えるまでもない。そう、僕が今するべきことは、悩むことでも焦ることでもない。ただ黒凛をさが………………
「ウタどうしたの?」
す…………?
小さいが鼓膜によく響く声音。しかし鬱陶しいとは微塵も感じさせないそんな声音。こんな声の持ち主は僕は一人しか知らない…………
「黒凛!?」
僕の眼前にはあのスカイブルーの少女が立っていた。
「っ!?ウタ声大きい、ちゃんと聞こえてる」
「どこ行ってたんだ!?心配したんだぞ。」
「ウタが頭水の中に入れて気持ち良さそうだったから、とびこんだらもっと良いんじゃないかと思って…………」
「危ないからやめろ!」
「…………ごめんなさい」
もう見つからなかったらどうしようかと、溺れていたらどうしようかと、不安でいっぱいで、頭がどうかなりそうだった。
…………あれ?目が熱い。
「ウタどうしたの?目か…………」
「う、うるさい、そこに触れるな」
まくし立てたつもりだったが、どうやら本心は隠せないらしい。怒ってはいるのだが、頭は安堵で一杯になり、表情もにやけてしまいそう。
…………とにかく良かった、本当に良かった…………
「ウタ苦しい」
「うっう」
気が付くと僕は黒凛をだいていた。これ以上ないくらい。
黒凛の身体は細く、頼りないものだったが何よりもその感触が嬉しい。もうこんな思いは二度とごめんだ。
僕は黒凛をだいて、その存在を確かにその身に感じていた。




