私は独り
学校は昨日の事件のことで、盛り上がっていた。
つい先月に大きな事件があったばかりだというのに、この街も物騒なものになってしまったものだ。
「ねえねえ。昨日の倒壊現場にレイが居たって、ホント?」
巣穴から外を伺う小動物のような格好でハルナはレイに聞いた。
「ああ、いたよ。駅ビルから見てただけだったけど」
ハルナは今でも平然と話しかけてくる。まるで、あの告白は無かったことになっているようだった。
「知ってる? あそこって、なんかヤバいことやってたみたいだよ」
「ヤバいこと?」
こくりと、ハルナは頷き、周囲を見回し誰もいないことを確認すると、耳を貸すように手招きする。レイはそんな彼女に耳を傾けた。
「ねえねえ、他校の女の子と一緒に居たっって……。ニャァァ! やめて~」
ハルナが言い終える前に、反射的に彼女の頭を掴み、乱暴に振っった。確かに事実だが、とんでもない噂の種は芽吹く前に取り除く必要がある。それに気づくまで、何人の男子生徒が犠牲になったことか。
「じょ、冗談だってば!」
「で、なんだ」
「うわ。なんか、すごい冷たい視線を感じる」
そういう視線を向けているからな。とは言わない。
「うーん。何というか、やくざみたいなのの事務所があったらしいよ。あ、知ってる? 何日か前にも同じことがあって、そこは警察が追ってた暴力団の事務所があったんだって。で、無事だった人が言うには、化け物を見たとか」
「化け物?」
そんな情報、どこから仕入れてきたのだろうか。
「なんかしってるでしょ」
「は? そんなん初めて知ったぞ」
「うそ。嘘ついてる目してる」
妙に鋭い言葉に、レイは狼狽えた。
まさか、“常夜の図書館”や、ラジエルのことを話すわけにはいかず口ごもった。それに無理やりとはいえ、レイがあそこにいるのは、ハルナとユキを守るためなのだ。そんなことを知られたらハルナはなんて言うだろうか。
「ま、いっか」
「え、いいのか?」
「喋ってくれるの?」
その言葉にレイはぶんぶんと首を振った。何時もはもっと食い下がってくるはずなのに、それが無かった。やっぱり、あのことが原因なのだろうか。
ハルナはそばに置いた鞄を掴み立ち上るといった。
「もう部活の時間だし。話はまた今度」
そして、去り際に思い出したように立ち止まり、耳を貸すように手招きをする。
「化け物の目は八個ついてて、口は四つ、イヌやニワトリの鳴き声を聞いたって人もいるみたい。頑張ってね」
「! どういう――?」
止めようとする例を横目に、ハルナは薄笑いを浮かべると、教室を出て行った。
クレハが教室に入ると、空気があからさまに変わった。
腫れ物を触るような視線の中、表情という表情を浮かべず、席に戻った。
無視できる者は幸せだろう。出来ない者は疎ましげにその姿を睨んでいた。
クレハは独りだ。
この環境が出来るのは自然のことだ。
彼女のクラスメイトで、彼女の包帯の下にあるものを知らない者はいない。それが他の生徒とのコミュニケーションを断つ原因となっているのは間違いなかった。
「なんで、まだ学校に居るのよ……」
「さっさといなくなっちゃえばいいのに……」
ひそひそと、隅で話す女子の声が聞こえた。
学校はもう放課後だ。だったらさっさと帰ればいいのに。
そう考えたが、口には出さなかった。代わりに、そちらを一瞥した。
ひっ。と小さな悲鳴が一瞬聞こえ、再びひそひそと話し始める。
望み通り消えてやろう。
教科書を片づけようと机に手を入れた。
「つッ」
反射的に手を出すと、指先には血の玉が浮かんでいた。ご丁寧に針が全てこちらを向くように、画鋲がテープで固定されていた。
「……」
無言で指先を唇に当てた。血の、錆びた鉄のような味が、舌にまとわりつく。
右腕に巻いた包帯の下が、びくりと震えた。
「あの、大丈夫?」
反射的に、顔を上げた。そして、その後、自分の行動を後悔した。
そこには、女子が居た。パタパタと揺れるポニーテールに、真面目な印象を与える眼鏡から覗く人懐っこい眼。そして、紅凪クレハという人間に、唯一話しかけてくる少女。尾木アズサ。通称、委員長。
責任感が強く、皆に優しく、何より、面倒見がいい。クレハとは真逆の、生徒からも教師からも慕われる優等生だ。
すぐに無視するために顔をそむけた。が、
「血が出てる……。ちょっと待って」
そういうと、アズサは絆創膏を取り出した。
「これ、よかったら使って」
「いらない」
「その案は却下」
間髪入れずに返された言葉に、もはや抵抗する気はなかった。されるがままにされるクレハをクラスメイトは奇異の目で見ていた。
「はい。お終い」
几帳面に巻かれた絆創膏を睨むように見て、ずれていないことを確認すると、アズサは満足そうに頷いた。
そして、唐突にこんなことを言い出す。
「紅凪さんの目。綺麗だよね」
ピンと空気が張り詰めた。このクラスの中で、そんなことを言ったのはアズサが初めてだからだ。
クレハの気に障ったのではないか。そんな心配の眼差しがアズサに向き、代わりに、咎めるような視線がクレハを射抜いた。
「そんなこと、ない……」
「そうかな? 夕日みたいで綺麗だけど。でしょ?」
哀れにも話を振られた生徒は、曖昧な返事を返した。そのあと、様子を覗うようにクレハを見ると、ささっと逃げ出してしまった。
クレハは一瞬だけ綻んだ口元をひきつると、教科書を鞄に詰め込み、立ち上った。
「帰りたいんだけど」
「ああ、待って! 私も」
慌てるアズサを無視してクレハは、さっさと教室を出て行った。その後、教室からはいつもの雑踏が戻っていた。
「待って。こういうのって、話しながら歩くものじゃないかなぁ」
「……」
「そうそう、駅の近くに、新しいドーナツのお店が出来たんだけど、行ってみない!」
「……」
アズサは校門を出た後も追いかけてきた。
何が楽しいのか、答えが返ってこない話を永遠と続けている。
「いつまでついてくるの」
痺れを切らしたクレハは、強い口調で言い放った。それに対して、アズサは人懐っこい笑みを浮かべた。
「紅凪さんが、お話してくれるまで」
クレハは信じられない物を見るような目でアズサを見た。そして、また彼女のペースに乗せられている自分に嫌気がさした。
「紅凪さん」
その呼びかけを無視しようとした。
「紅凪さん。辛かったら話してもいいんだよ」
「――っ」
「私が守るから」
アズサの必死な目に、押されるように目を逸らした。
「別に、あなたに守ってもらうほど弱くないわ」
冷たく言い放つと、クレハはその場を立ち去った。