九
急に震えて目を伏せた俺の目元からこぼれる涙を自分の指で掬って、俺の事なら何でも分かってしまっているらしい高原が、嘘みたいに優しい声で促してくれた。
「……教えて。今言おうとしてる事。あの時言いたかった事なんだろ? 俺を呼び止めて、俺に言いたかった事なんだよね? 今は、ちゃんと聞ける。受け止められるから」
目を挙げた。……愛しい人。こんなにも心が求める、大好きで堪らない人。何よりも誰よりも大切な人。俺の命よりも大事な人。
涙が言葉を濁らせない様に、俺は一生懸命に口にした。
「高原、好きだ」
高原の目が、僅かに緊張した様に見えた。もしも高原に拒絶されたとしても、と俺は思う。今この言葉だけは最後迄言い切ろう。全て言えて、その上で高原に拒まれる事を知るのならばーー命は、その時に絶てばいい。今は、その時期じゃない。
強く心を決めた俺は、もう迷わなかった。真正面の高原を見据えて、俺ははっきりとした口調で告げた。
「高原に好きだって言われて、最初は俺どうしていいのか分からなかった。俺は高原を親友として好きなんだって思ってたから。けど違ってた。高原を思うと、いつも幸せな気持ちになった。高原と話すだけで、心が暖かくなった。高原の傍に居る間は、俺は自分の事を嫌いじゃなかった。高原の存在が、すごく大きいんだと気付いた。そしたら、分かったんだ。俺は高原の事、好きなんだって。初めて声掛けて貰った時から、多分ずっと。好きで好きで、失ってしまったと思ったら精神的におかしくなってしまう位、大好きで堪らなかったんだって……」
喋りながら、眉に皺が寄った険しい高原の顔に俺は気付いていた。どうしよう、……やっぱり都合が良過ぎたんだろうか? 聞くのも嫌な位、俺の告白は高原には不快なものだったんだろうか……?
俺が不安に身を遠去けようと動き掛けた時、高原の手が俺の頬から外れ、と思うと性急な仕草でその手は俺の背中に回された。ぎゅうっと抱き締められる、それは今迄にない強さで、圧迫される胸に、息が止まるんじゃないかと本気で俺は思った。
きつく俺を包んで、高原は何も言わなかった。満足に出来ない呼吸は苦しいけれども、抱き締められ方は痛くしかなかったけれども、先刻の高原の険しい顔の理由が分からないままの俺は、ただ息を潜めていた。
僅かに腕が緩められ、俺は我慢していた息を細く吐く。緩んだとはいえ本当に僅かだ、まだしっかりと抱き締められてしまっている。顔を挙げないままに、小さく高原の声が囁いた。
「……姉貴に感謝……。橘連れて来てくれて。橘が本音でぶつかってきてくれるなんて。しかもそれがさ……」
泣いてる、とどきりとする。そうして、気付いた、あの顔は泣くのを堪えていたのだと。急いで俺を抱き締めたのも、泣きそうなのを隠す為だったのだ。
……それは何だか今更に俺をどきどきさせた。唐突に腕が解かれ、高原はまた俺の顔を覗き込む様に身を離した。
泣き笑いの高原の顔、初めて見る頼りない感じに、俺は自分の涙腺迄刺激された様で、ぐっと唇を噛んだ。嬉しさを隠せない様子で、高原が続ける。
「しかもさ、俺がいっちばんに聞きたかった言葉! いっちばんに欲しかった気持ち!!」
また、ぎゅっと抱き締められる。俺の目に入る向こう側、病室の入り口のドアは今は閉まって、お姉さんや患者さん達の姿はないけれど。
もし、こんな処を見られでもしたら。そんな事を危惧してしまう俺に構わず、高原は俺の耳元に囁きかけてくる。
「嘘だったら、俺許さないからね。本気で真剣なんだからさ。本音だよね? 本当に橘、俺の事す」
言い掛けて、高原は慌てた様に言葉を止めた。そうしてまた、今度はゆっくりと、愛しむと言うのを態度に表すとそうなるのだろうと思う位に柔らかに、頬を両手に包まれた。
「俺が言うの勿体ない。橘の口から聞きたいな。橘、さっき俺に何て言ってくれたの?」
好きだと言わせたい高原の目論見に乗るのは余りに恥ずかしくて、つい俺は目を反らしていた。漂う甘い雰囲気に、もうずっと前から心臓が飛び出してしまいそうだった。
長い事俺の顔を間近に見つめて、高原は俺からの一言を待っている……ちらりと目を向けては高原の細めた目にぶつかり、慌ててまた目線を反らす。それが、何度繰り返されたか。
ぷっ、ととうとう高原が吹き出した。心底楽し気に笑いをこぼしながら、また包まれる様に背中に手が回される。三度目の抱擁ーー
「そうやって照れるの、いつもどおりだよね。可愛いね橘……でも、言ってくれる迄離さない。言ってくれる迄……じゃないな。訂正。俺が満足する迄、離さない」
最後の一行に、俺は抵抗を示す意味で僅かに暴れてみせた。けれどもそんな俺の反応すら喜ばしいものの様に、高原は俺を抱く腕を強めるだけなのだ。
「長い事、待ったんだからさ。ちょっとやそっとじゃ満足しないよ俺」
はあっと、俺は息をつく。高原が俺を待ってくれていたらしい長い間ーーその間幻覚のあの男に再び心を蝕まれた事を高原に話す日はくるのだろうか、と俺は考えていた。隠したい、忌まわしい過去。高原は、それを受け止めてくれるだろうか。汚れた俺を。
ーー大丈夫、と心の奥底が答えた。高原は、そういう人だ。俺の全てを、汚い部分も卑怯な部分も弱い部分も、色んな俺を、俺の総てを、この人は受け入れ、包み、抱き留めてくれる。そういう人だ。俺が好きになったこの人は。
……大好きだ。溢れそうに幸せな気持ちで、俺は目を閉じる。高原が好きだ。自分に言うのは実に容易だけれど。好きな相手にそうだと伝えるのは、余りに恥ずかしさを伴うけれど。
「……好き、だ……」
ぽつりと、ようやくの一言を落とす。高原の体がびくりと跳ねた。言葉を待つ高原がそれ程に緊張していたというのが、思いがけず俺の口元を綻ばせた。一つ飛び出すと何か枷が弛んだ様に、俺の口からはするりと言葉が流れ出ていった。
「高原が、好きだ。大好きだ。俺は、高原の事が大好きだ。好きで、好きで、気が狂いそうな位大好きだ。俺は、高原の事が好き……高原だけが好き。あ、……愛して、る……」
そこ迄の要求などされてもいないのに、恥ずかしくて堪らないのに、俺の精一杯の勇気が勝手に暴走してしまった。最後の一言は最初で最後と決めて、俺は黙った。
……こんな時こそ顔を隠していたいのに、高原はゆっくりとまた腕を解き、囁く優しい声で俺の名を呼ぶのだ。
「橘……」
熱を含んだ甘い響き、もう一度言ってとまた促されそうな気配に、俺は必死で顔を背ける。けれども無理に俺を自分に向けさせずに、言葉を強制もせずに、高原はそんな俺の頬に自分の頬をつけて、そっと包む様に俺を抱き締めてくる。
幸せだ、と言いたいらしい高原の気持ちが、流れ込んできた。口には出されていないのに、細胞の中を流れる液体の様な体の一部の様に、それは直接俺の全身に染み込んできた。
流れ込む高原の想いは、暖かく俺の心を満たす。感動を伝えたくて、俺は自分から動いていた。いつも一方的に抱き締められるだけだった閉じた腕を回し、高原の背中を自分から抱き返した。
はあっと、高原の吐息が熱く頬を撫でた。気付けば顔を高原に向けて少し上げて、俺はそっと近付けられる高原の唇を受け止めていた。
ーー初めての感触に驚いて、一瞬体が逃げようとする。ぎこちなく離れた高原の緊張に気付いて、互いの微弱な体の震えにも気が付いて、何だか僅かにも安心してはしまったけれど。
もう一度だけしっかり触れ合わせた唇を最後に、俺は逃げる様に高原の胸元に顔を落とした。
どきどきと、鼓動が速い。高原のものなのか自分のそれなのか、先程から信じ難い程に大胆な互いの行動を思い、俺は今頃羞恥に駆られている。……熱に浮かされているとはこの事だ、と俺は考えだけは冷静に持ったりしているのだけれど。
ーーどうやってこの顔を挙げればいいのだろう、と俺は新たな難関にどぎまぎしている。一度交わしてしまった口付けを、高原はまた求めてくるのだろうか……。どうやって、俺はそれをやり過ごせばいいんだろう……。
「はい、そこ迄!!」
突然に仕切る声と共にカツカツと高い靴音を鳴らして、高原のお姉さんがやって来ていた。がばっと慌てて身を離した高原と俺の横迄来て、お姉さんは高原を見上げている。
「どっ……どっから見てた?!」
上擦った声で尋ねる高原に、お姉さんはにやりと意味有り気に笑ってみせて。
「邪魔する程無粋じゃないわよ、今来たとこよ。でもいつ迄もあんた達泳がせてたらとんでもない事になるだろうから、止めに来たのよ大人として」
「……そりゃまたいいタイミングで」
見抜かれている、今のは本当に絶妙に『いいタイミング』だったと俺は思う。ぞろぞろと戻って来た、病衣やパジャマ姿の同室者達に何となく慌てて頭を下げて、俺は直視出来ないお姉さんに対して小さく言った。
「まっ、また明日来るから、今日は帰りますっ」
「そうね、それがいいわね」
冷静に、お姉さんは返して。どこ迄を理解しての台詞なんだろう、と青くなるのは高原も同じらしかった。
まだ浮かされた様な昂ぶりは収まらず、俺はお姉さんの運転する車の助手席で、何を聞かれるだろうかと身構えている。こちらから聞きたい事も、沢山あったりはするのだけれど。
まずは、お姉さんが口を開いた。
「ごめんなさいね、まさなおが死にかけてるなんて嘘ついて。病室迄それっぽく作ったりして、すっかり騙しちゃって」
「あっ、いえ、そんなの何とも」
首を振る俺に、お姉さんは続ける。
「二日前の君が、全く反応しなかったから。意識飛んでる君が、何になら反応するかなあって考えたら、まさなおしかないのかなって」
正しく相手の思惑通り、見抜かれている事に赤くなる俺は、二日前にも自分の元に来ていたというお姉さんの目的を考えながら、尋ねていた。
「……高原、何で入院してるんですか? いつから?」
「刺されたのよ。二日前にね。言ったら君に迷惑になるから絶対に死んでも言うなって止められてたけど、あたしにしてみりゃ何恰好つけてんのよってなもんよ。……知らない? なんか学校の図書の本が盗まれて、って事件。犯人に何度も逃げられてて皆必死だったらしいわ、だからって一人だけ刺されてりゃ世話ないわよね」
呆れた様に言うのはお姉さんも心配だったからだろう。どんな状況でどこをどんな風に刺されたのかをもっと詳しく聞きたかった。
だけど、外界を遮断し自分の殻に閉じ籠もっていたのは自分なのだ、委員メンバーの一員でありながら『犯人に何度も逃げられる』事態すら知りもしなかった自分に、聞く権利などない、と俺は俯いた。
お姉さんも、黙っていた。……だけどそう言えば、大人のこの人の取り持ちで俺は正気に戻る事が出来たのだった、『言うな』と高原に止められていたらしいのにそれを俺に知らせようとしてくれて、そのお陰でおかしくなっていた俺に気付いてくれて。溢れる程の感謝を感じ、俺は急く様に口を開いていた。
「有難うございます……」
何に対して、は言わない俺の言葉を受けて、にっこりとお姉さんの笑みが向けられた。
「良かったわね、相思相愛で。あたしもこれで一安心よ」
ピンポイントに受け止められてしまったらしい言葉を訂正しようと、俺は焦って大きな声を挙げていた。
「ちっ、違っ……」
「もおねえ、うるさかったったら二年以上も前から。だって高校入学当日によ、俺好きな人出来ちゃったって。顔も動く姿もする事も声も名前も、全部が可愛い、大好きって、もおノロケるノロケる。まあ実際の君見たら、あたしも納得せざるを得なかったけどね。見る目だけはあったのねって正直あの子を見直したけどね。でもね、ワンちゃんの名前迄君の名前に変えちゃって、変態よねそこ迄いくと」
「……は?」
怒濤の様に語られて、ついていけない。合流のタイミングを測り運転に集中したお姉さんの言葉が途切れた間に、俺はそれを反芻していたが……。
聞きたい事はあるけど聞き返せない俺に、見事スムーズな合流を果たしたお姉さんが更に言い募る。
「ちゃんとランボルギーニって言う立派な名前があったのに、勝手に『たちばな』って呼び出して。あたしのランちゃんを、あの子いっつもたちばなたちばな言いながらぎゅうっと抱いてたのよ、不気味だったわね我が弟ながら」
……そんな事知らされなくていい、と俺は座席の中縮こまる思いだった。『はなちゃん』の正式名称や高原のオープン過ぎる行動など。
……いや、そんな事より。自然に流されてしまいそうな根本的な問題に、俺は思いきってお姉さんに問い掛けてみた。
「あの……高原が俺の事、好き、だって事、と……俺も高原の事好きだって事、知ってもお姉さん平気なんですか……?」
「あたし、基本恋愛自由主義なのよね。人が人を好きになるの感情だからね、他人にとやかく言われる筋合いない訳よ」
さらりと、お姉さんは何でもない事の様に言ってくれるのだ。
「そりゃ目に見えて借金まみれで、返す気もなく借金増やすだけの駄目人間とか、明らかに利用されてたり騙されてたり遊ばれてるだけって分かるのとか、やくざとか危ない道の人とか、駄目な場合はやめなってちゃんと言うわよ。でもそうじゃなかったら、性別も年齢も関係ないじゃない。同性だから諦めるとか、あたしに言わせたら軟弱者ね。根性見せて戦いな! って感じよね」
尊敬を込めて、俺はお姉さんを見つめていた。偏見もなく個人の想いを尊重出来るなんて、なかなか出来ない事だろう。実際に自分の弟が世間的には道を外れているのに、それを応援出来てしまえるなんて。
そんな俺に、どこか辛辣な口調でもって、お姉さんは続けた。
「でもねえ、好きなのに何のアプローチもしないで二年以上もただ見守ってるだけなんて、美徳でも謙遜でも何でもないわよね。ただのストーカーよストーカー!! 意気地なしの言い訳よ」
ばっさりと実の弟の事を切り捨てて。……俺が杉崎の被害に遭って引きこもりになっていた事を、理由はともかく事実としては高原は知っていたらしい、それ故に高原は自分の行動を控え目にさせたとも考えられる。けれどもそんな事情を恐らくお姉さんは知らないのだ、お姉さんの意見は意見として、俺は高原を庇護しようとしてみる。
「……高原、相手の気持ちを優先してくれる人だから、きっと俺には時間かけた方がいいと思ってくれたんじゃ……」
「時間だってかけ過ぎりゃ相手を不安にさせるだけよ。現に橘くん、こないだ魂抜けてたじゃない。何があったか知らないけど、あれって直接的にまさなおのせいじゃないんでしょ? まさなおがはっきり俺が君を守る、位宣言して橘くんを拐う位の器量があれば、防げた話じゃないの?」
白か黒、それしか認めない実直なお姉さんらしい、実にはっきりとした物言いだ。と言うか、まるで見ていたかの様に言い当てられて、俺にはお姉さんの鋭さが恐くもあった。
ふうっと一つ息をついて、お姉さんは押さえた声で言った。
「ごめんなさい。あたしってばホンット無神経。他人の踏み込んじゃいけないとこ迄、土足で入っちゃうの。がさつなのね」
俺は慌てて首を振って否定を表した。
「全然、そんな事ないですっ!! お姉さんが来てくれてなかったら、俺あのまま……死んでたかも知れない。ご飯も食べてなかったし。けど、体より先に、心が死んでた。お姉さんが、俺の命を救ってくれたんです。お姉さん、感謝します。本当に、有難うございます……!」
深く、頭を下げる。本当に、こんな言葉じゃ足りない。……高原に逢わせてくれた。高原に気持ちを伝える機会を作ってくれた。高原の気持ちも、聞く事が出来た。お姉さんが居なければ、本当に……
ぽんぽん、と優しく肩を叩かれた。運転しながらに、お姉さんは俺の顔を挙げさせようとしてくれて。
「終わり良ければ全て良し、よ。あたしも大好きな橘くんが今迄以上に近くなるの、嬉しくてしょうがないのよ実は」
顔を挙げて見る先、にっこりとそれはそれは優しい顔をした、高原と同じお姉さんの笑顔があった。
「まさなおに飽きたら、あたしと浮気してね。顔は似てるけど、性格全然違うから。どれだけまさなおの方が良かったかって再認識する事請け合いよ」
にこっと俺も笑ってみせて、その実泣きそうだった目元をどうにか誤魔化した。
「……お姉さん、モテるでしょ」
「ご想像通り、女の子や年下くんだけにはね。橘くんみたいな可愛い子は鑑賞用よ、あたしは年上のシブいおじさまが大好物なのよ。橘くんのお父様ってお幾つ?」
「駄目ですよ、父は母の尻に敷かれてる人だから。居酒屋してるんですけど、客の前でも母が平気で父を叱ったり怒鳴ったりする位ですよ、シブさも威厳もあったもんじゃない」
ぽんぽんと小気味良く交わせる会話の心地好さに、俺も自然と軽口を返せていた。お姉さんとの楽しい会話は続き、俺は同じ顔をした愛しい人に、早く逢いたいと思わずには居られないのだ。
病院の屋上のベンチに、寄り添って座っている。正しく言うなら、高原の上着の袖を抜いた片方に包まれて、俺はベンチの上に正座して高原の胸元にもたれている。肩から被ったお姉さんからのブランケットのせいもあって、後ろから見れば高原は一人で居ると思われる筈だ。
縫った傷の抜糸は四日後、明日の採血で炎症反応が治まってきていれば退院だそうだ。右腕の内側のその傷が意外に深かっただけに、病院の対応も慎重らしいと言う事だった。
痺れや痛みもないらしい、高原の治癒力は、精神的に他人を癒してくれるだけでなく自分の体にも有効に働くらしい。
暖かい左胸の、ゆっくりとした強い膊動。昨日お互いの気持ちが通じ合っていたと分かってから、俺は何だか我が儘になってしまった様なのだ。人に見られるから駄目だと普通に並んで座る事を推そうとした高原に、嫌だを通して俺はさっさと引っ付いてやった。
知らないぞ、そんな可愛い事するんなら今すぐ襲っちゃうぞ、となかなかに本気で告げる高原に、俺は言ってやった……人に見られるから駄目。
返事は、口付けで返された。初めは昨日の様に慎重に、直ぐに離れた続きを求める様に大胆になった二回目の俺の反応に興奮した様に、三回目以降は貪る様に。
昨日から初めて合わされる唇は舌は、激しさから僅かに俺を緊張させはしたけれど、理性を保つ為にか優しく俺の頬を撫でる高原の手に安心して、すっかり俺は高原に身を委ねていた。
「……なお……」
二人で決めた今日からの新しい呼び方で高原の名を囁いたと同時、高原はがばっと俺の体を遠去けながら離した。まだとろんとまともに目を開ききれていない俺に、上擦った声で高原は告げる。
「もう駄目、我慢限界。これ以上は俺ーー本当に止められない」
気持ちの良いキスを知って夢中になってしまっている俺は、止めて欲しくなくて、甘える様に高原に近付こうとする。
「止めなくていいよ。もっとして……」
「違う。キス以上の事したくなる、って事だよ」
俺の言葉を遮る様に、高原は慌てた様子にそう早口で告げた。高原の台詞を受け止めて、考えて、ーーばっと俺は高原の胸元を押す様にして身を遠去けた。一気に、心臓の動きが増した。
我を忘れて高原に迫った自分が信じられなくて、俺は恥ずかしさから顔を背けていた。高原はどんな気持ちなんだろう、俺より少しは冷静な筈の高原は、でも俺より遙かに正常な性欲を持つ筈の高原は……
キス以上の事をしたくなる、と言う言葉は、急激に俺の頭を冷やしてくれていた。キス以外の事をされてしまった過去を持つだけに、恐怖と屈辱の痛みを伴ってそれは響くーーまだ癒されないその事実に、胸がずきりと痛くなる。
多分にそんな俺の内心の機微に高原は聡く気付いてしまうのだ、かいり、と相手もまた今日からの呼び方で俺に囁く、……名を呼ばれただけなのに、優しさが俺の胸に染み入ってきた。
緊張の解けた体に気付いた様に、高原の手がぐいっと俺の肩を掴み、半ば強引に抱き寄せ、自分の胸元に俺をもたれさせる。かいり、とまた名が呼ばれる。それは多大な安心感と心地好さを俺にもたらし、俺はうん、と咄嗟に答えていた。甘く聞こえない様に、しっかりとした発音で。
お互いに極めて慎重に冷静さを取り戻している、もう顔を向けても大丈夫だろうと俺は高原をそっと見てみた、同じ様に窺う様に俺の顔を覗いてきた高原がおかしくて、俺は笑った。
高原も、ぷっと吹き出した。今度は身を寄せ合う様にして、二人で笑う。じゃれている自覚はない俺に、高原は言うのだ。
「ヤバい。幸せ過ぎて、バチ当たりそう俺。心臓発作で死んじゃうかも」
「なおが死ぬなら、俺も死ぬよ。俺だって同じ位幸せ過ぎてるんだから」
何だか自分の言葉の文法的なおかしさにふと気を取られた一瞬。がばっと背中に高原の手が回され、抱き締められた。いつもの様に、いつもとは違う感じに。
離さない、高原の体中がそう告げているのを俺は感じ取っていた。離さない、何があろうと離さない、絶対に離さない……!!
満たされる幸せに、死んでしまいそうなのは俺の方だ、と思う。大好きな人。大好きで堪らない人。俺を心の闇から救い出してくれた人。きっとそう遠くない内に、俺をくらく染めていた澱みは消し去られるだろう。きっと恐れはなく、優しさに包まれる様に俺はこの人を受け入れられるだろう……体中で。
ーー愛している。魂の奥底から。俺の体の総ての細胞がそう叫ぶ。愛してる。
ただ確かな真実。俺が生きていくのには高原しか要らない、という事。俺が生きていく為には高原が必要だ、という事。
……それはきっと言葉じゃなくて、全身を巡る血液の様にいつも俺の中を流れて、勝手に高原に届くだろう、と俺には分かっていた。俺がそう思い続ける限り、俺の傍に高原が居る限り、ーー俺が俺である限り。
色んな想いを込めて、俺は愛しい人を強く抱き締め返した。
読んで頂き有難うございました!
感想を頂けると大層喜びますので、正直なご意見が頂ける事を願います。
※番外編として高原バージョンの短編も考えているのですが、文章に起こすのが遅いので、こちらはいつ載せられるやら……。
出来たらまた読んでやって下さい(*^_^*)