時空警察来たれり
「時空警察だ!」
「は……?」
おれは思わず声を漏らした。休日の午後。昼食を終えてソファに沈み込み、ひと息ついたその瞬間だった。突如としておれの目の前に、黒ずくめの男たちが現れたのだ。重厚な制服は、警察とも軍服ともつかぬ奇妙な意匠で、胸元には見たことのない紋章が鈍く光っている。
コスプレにしては妙に板についている。それに、ドアも窓もすべて鍵がかかっているはずだ――いや、おれは見ていた。奴らが空間そのものを裂くようにして現れたのを。
いったい何者で、何の目的――
「お前は五分前、カレーを食べたな?」
「え? カレー……は、はい……」
男たちが顔を見合わせ、頷いた。
「あの、それが何か……?」
「問題は、そのカレーがお前の胃に収まるべきものではなかったことだ!」
「……は? いや、どういうことですか? スーパーで普通に買ったやつですけど……あの、そもそもあなた方はなんなんですか」
困惑するおれをよそに、男たちはおれを取り囲み、何やら分厚い書類束をめくり始めた。「やはり……」「ああ……」などと低く呟き合い、険しい顔を突き合わせた。
「時空的には、本来お前はカツ丼を食べる予定だった。だが何者かの介入により、カレーを選択した……これは、あ、ああ、あってはならないことなのだあ……!」
隊長らしき男が顔を真っ赤にし、体を震わせながら言った。
「い、いや、知りませんよ。ただ、カレーが食べたくなっただけで……」
「だけ? だけ、だと!?」男が怒号を上げ、書類を床に叩きつけた。「その選択一つで、別の時空が破壊されるのだぞ!」
「はあ?」
「一見些細な行動が、未来に取り返しのつかぬ影響を及ぼすことがある……。カツ丼を選ぶはずがカレーを選んだ――その一挙が重大な損壊をもたらしたのだ!」
「いや、そんなこと言われても……。確かに最初はカツ丼にしようと思ったんですが、でも、ふいにカレーがいいなって。なんというか、こう……呼ばれたっていうんですかね。ははは……」
「言い訳は不要だ。歪みは早急に正さねばならん!」
「正すって、ははっ……。吐けばいいんですか?」
おれは冗談めかして言った。だが、男たちはゴミを見るような目でおれを見下ろした。
「あの、ちなみに影響ってどんな……?」気まずさに耐えきれず、おれは訊ねた。隊長は部下に書類を拾わせ、再びパラパラとめくった。
「いくつかの時空が消滅。四つの時空で全面戦争、大規模自然災害が二件。あと、別の時空のお前が痴漢の冤罪で逮捕される」
「うわ、最後のは嫌ですね……」
「かーっ! かああぁぁ! わかってない! 貴様は事の重大さをまるで理解していない!」
「いや、ほんと知りませんて……。おれはただ普通に腹減ってただけなんですよ。何の冗談なんですか、これ……」
おれは頭を抱えた。もうどうにかなりそうだった。
「き、きいい! 貴様はああ、時空犯罪がどれほど罪深いか、わかってないなあ!」
隊長がおれの胸ぐらをつかみ上げた。殴られる――そう思った瞬間、バンッ! 破裂音が響き渡った。
全員が同時にそちらへ顔を向ける。次の瞬間、空間にねじりが走り、その裂け目からさらに別の黒ずくめの集団が姿を現した。
「待て! 貴様らこそが時空犯罪者だ!」
新たな集団の一人がそう言い放つと、最初の男たちの顔が一斉に青ざめた。
「我々は別時空の時空警察だ! 貴様らの介入によって、こちらの時空にズレが生じた!」
「ば、馬鹿な……! ありえん! 我々は正規の手続きを踏んで……!」
「言い訳無用! 直ちに是正せねばならん……!」
二組の黒ずくめたちが、この場で議論を繰り広げ始めた。怒号と専門用語が飛び交い、文字通り次元の違う話で、おれには何が何やら理解できるはずもなく、呆然とするしかなかった。ただ、どこか滑稽で馬鹿馬鹿しくもあった。
やがて、ふいに強烈な眠気が襲ってきた。食後だからか、それとも奴らが何かしたのか――もう、どうでもいい。おれはソファに身を沈め、目を閉じた。
――ん?
気づけば、おれはスーパーの一角にいた。
だが、どういうわけか体がまったく動かない。視線も、まるで定点カメラのように固定されている。
これは夢なのか……? どうすることもできず、ただ前を向いていると、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。
あれは……おれだ。おれがやってきた。
おれは立ち止まり、カツ丼弁当を手に取った。そして、もう片方の手で――おれを手に取り、じっと見比べた。
おれは、カレーになっていた。