第72話 恩義
「モハード!」
ロディの痛烈な一撃喰らい、防御姿勢の甲斐なく完璧に吹っ飛ばされた相棒を見て、マリーは知らず悲痛な叫びを上げていた。しかも食屍鬼はそのまま地面に仰向けに倒れるや、もはやほとんどピクリともしない。モハードのことゆえさすがにその拳撃だけで死んだとは思えないが、しかし気を失うくらいの重いダメージを受けたのはほぼ確実だろう。
「そんな……」
それゆえ女魔道士がふいに今までにない恐怖の眼で相手見つめたのは、むしろしごく当然のことだったともいえる。それくらいの恐るべき大敵が、今まさに凄まじき魔力のオーラ纏い眼前に立っているのだ。畢竟、再び戦意高めるのも厳しくなっていく。それゆえ彼女は、我知らず黒鎧のロディから距離取るようにじりじり、性格に似合わず後ずさりさえしていたのだった。
「どうした、もう終わりか?」
するともはや食屍鬼には一瞥もくれず、ロディがこちらくるりと振り返り、ふいに声を放った。余裕というか、平静そのものとしか思えない声音だった。
そして当然ながら、その言葉はマリーをして思わずビクッとさせている。すぐには返事出来なかったのを見れば実に明らかだったように。
しかもそれゆえに、彼女はゴクリと一瞬唾まで飲んでしまい――。
「それとも、ついに降参ってところか?」
「……モハードが、一撃で」
「もちろん死んだわけじゃないが、もう戦うのは無理だろうな。となると後残るはマリー・メイ、あんただけだ。さあ、君一人で再び、そして最後の一戦といくか。……もっとも、俺としてはもはや戦う意味がないと思うんだが」
だが、対するはやはり緊張感さえ見られない風のロディ。その見た目からは想像もつかぬ調子の声音だ。そうしてさらに相手との力量差見せようとしたのか、左手に持った槍、ブルンと一振りまでさせて。その穂先風切る音が、今はやたらと猛々しく。
――勝敗の帰趨など、すでに着いているとばかりに。
「だから矛を収めるなら、今の内――」
「まだだ、まだ勝負はついていない!」
「?!」
しかし、相手も相手でなかなかの強情者、かくてそんな魔道士が完全に終戦モードに入りつつあったのにも関わらず、眼前のマリーはまだ決して自らの負け認めようとはしなかったのであった。
「て、おい」
「私にはまだ力がある、それを使い果たすまでは!」
「まだやる気なのかよ?!」
むろんそれ見たロディが途端驚き示したのは言うまでもない。様々な状況鑑みて、相手の方が遥かに不利だというのはあまりに明確だったのだから。何より、魔道士としては先ほどユリシルトが素早く塔へ入ったの、確認していた上は。そう、こうなると彼自身もうそこまで気を張る必要もなかったくらいで。
「まったく、何でそんなにあの二人のこと、必死になって守ろうとするんだ?」
従っておのずとそんな呆れたような問い、発されているというもの。
「……守ろうとする、理由か?」
するとマリーがしばしの間の後、宣った。いまだ眼光鋭いままだったのは言うまでもない。さらに言えば、手にしたダガーさえきっと前へ突き出し続けている。
「さっきも言っただろう、彼らは私の命の恩人だと」
「ああ、確かそんなこと聞いたな。つまりは、昔アラミスで何かがあったってことか?」
「……六年前のことだ。当時私はエメロットに辿り着いたばかりだった。もちろん様々な国経巡った末に。そしてそこは今までに経験したことのないくらい大きな都市、最初から見るものすべてが戸惑いの対象でしかない。――そして私が住んだのは、そんな大都市の端っこ、下町の中。そう、ほとんど廃墟と言ってもいいボロ屋だった。しかもさらに言えば当時は金も全くなく、まさしくその日一日暮らせるか不安になるくらいで。当然ながら仕事にもあぶれ、乞食といっても過言ではない状況、だから少しでも収入があればと、やがてある日危ない仕事を引き受けることを思い立つ。それも、自らの魔法が役立つような仕事を」
そうして彼女の口から放たれたのは、まさに秘められた過去の告白そのものだった。市民として一生を終えるはずだったクラウゼンブルクを離れ、厳しい流浪の内に終わり告げた、自らの半生の中、一幕の。畢竟、相手のロディはただ静かにその続きを待ち。
「――要は盗みやスパイなどの汚れ仕事専門だったんだけど。ただ、魔法の力もあり、その界隈では腕が立つと評判が立つのに大した時間は必要なかった。しばらくすると、引く手あまた、仕事は凄い勢いで舞い込むようになった。それこそ顧客は貴族や大商人がほとんどを占めたのさ。もちろん、そんな連中が持ちこむのは決まって吐き気がするようなひどい内容のものだったけど」
「……」
「ただ、とにかくそいつらは金払いも異常に良かったから、金に困らなくなったのはあっという間のことだった。そしてそれと同じくらいの凄い勢いで、私の名前も広く知れ渡らせながら。……でも今思えば、そうして浮かれていて、引き際ってやつを完全に間違えたんだろう、そんなある日、私は夜の街で十数人の悪漢たちに突然襲われて」
「商売敵、ということか」
と、そこで魔道士が口を挟んだ。むろん表情一切窺えないながら、実に真面目な色現わしているのは確実、そんな声音だった。
「ふふ、ご名答。連中は裏町の顔役の、手下どもだった。間違いなく、よそ者を排除しにきた。そして当時の私にそんな集団まともに相手する力はなく、無様に殴られ蹴られた後、何とかその場を逃げ出せたのが所詮関の山。とはいえエメロットに大した伝手なんかあるわけなく、逃げ続けながら街のどこかでついに私は気を失ったらしく――」
そして置かれる一瞬の間。もちろん次に何を言うのかはロディにも薄々勘付くものがあったらしく。
「そして、そんな私、得体の知れないどこかの若い娘を助けてくれたのが、その時二人でデート中だったエリックとメルフィってわけなの」
そう言われても、彼はさほどの驚き、見せることはなかったのだった。
「そうか、その時助けてくれたのが縁で」
「そう、エリックもメルフィも心から私を心配し、介抱してくれた。さらにはあいつらがまた来てしまっては、と私をしばらくメルフィの家に匿ってくれるとも提案してくれて。――ただ、それは余りに厚かましく、危険なこと。だから私は傷が癒えると、彼らの元を一旦辞去することとした。再び外の世界に出るために、そしてそこでもっと力をつけようと。でも、その時二人へ私はある思いを告げたの。つまりは、絶対にこの恩は返す、だから、もし何か解決できない困難に巡り会ったら、魔法の笛を吹いて私のことを呼んで、と」
そこまで言い切ると、ようやく口を閉ざしたマリー。その、決定的な一日を思い出したのだろう、隠し切れぬ疲労の中、その瞳だけがいまだ眩しい輝き放っている。そしてその光はロディをして納得したと、大きくうなずかせるに十分なものでもあるのだった。
「なるほど、そしてある日君は、実際その笛の音を旅先で聞いた。はたして急ぎエメロットに戻り話聞けば、その困難というのが、まさしく二人の駆け落ちに関することだった、と」
「そうさ、王子と侍女、決してあってはならない恋路。もちろん国王はじめ皆が皆声を大にして反対する。当然ながら二人はにっちもさっちもいかなくなっていた。それくらい、愛し合う同士だったのだから」
「さらに言えば、そうして君は、クラウゼンブルクへ逃げこむという大胆な策を提案することとなる……」
そう、まさにそれこそが、この一連の騒動の発端ともなった事象で。加えてそこに、ミラルカの造った禁断の薬、悪魔の血が結びつき――。
「ふう、こりゃなかなか大きな問題だな」
と、かくして全ての話聞き終わり、ロディが溜息混じりにどうしたものかと呟いた、そう、もはや槍持つ腕も完全に下ろした、
……しかし、その時だった。
パアアアン!
「?!」
「? 今の音は何だ!」
――突如として遥か上空、塔の上の方から響いてきたその高らかな音に、たちまちにしてロディは、いやマリーでさえも、甚だしき反応示さざるを得なかったのである。




