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第68話 月光の塔

 暗く静かで、そしてどこまでも秘めやかな部屋――。

 まったく家具類の見当たらない、異様なまでに殺風景な空間だ。円形をしていて、四方に一つずつ窓が穿たれている以外は、特に目立った箇所もない。広さとしては縦横ともに直径10ユーほどだろうか。その妙にだだっ広い世界へ窓から吹きこんでくる強い風が、今はやたらと冷たかった。

 そしてなぜか全体にぼうっと青白い光で包みこまれたそんな部屋の中央、そこには先ほどから静かにじっと立っている、二つの人影がある。そう、その向かい合っている様は、まるでお互いの意志の強さをその瞳の内より必死に確かめ合っていたかのようだ。

 すなわち、もう後がない、帰るべき場所など、すでにして遠くへ捨て去った、と。

 それはまさしく大いなる覚悟。何よりここ、辺境にして魔道の街、クラウゼンブルクを自分たちにとっての終の棲家と強く、堅く決めた。――たとえそこに、どんなに激しい妨害があったとしても。

 もちろんもうこうするしか、二人には幸福になれる選択肢はありえなかったのだから。

 他の可能性を探る意味すら、一厘も存在しないほどに。


 四月とはいえ、辺りの空気は限りなく冷たい。はたして時はもう真夜中を迎えていた。

 加えて窓から窺える空に掛かっているのは、巨大な青い満月。不気味なまでに、玲瓏と、白々しく。

 そしてそれゆえだろう、そこだけはあたかも時の流れからぽっかりと切り離されたかのような異質な雰囲気に、いつしか厚く覆われ始めていて……。



 「メルフィ」


 やがて、人影の内の一方、男が言った。間違いなく、それは揺るぎない決心で満ち溢れた声音だった。


 「エリック」


 そしてむろん、その声は対する女に強く応じさせている。仄明るい中でもすぐそれと分かる、男とまったく同じ気持ちのこもった表情で。

 故国を遠く離れ、長い旅路の末ようやく目的の地へ辿り着いた二人。そして何より、真の安息を得るための唯一の道具が、今まさにそれぞれの手の中に収められている。

 悪魔の血。錬金術の最大の奥義を使って生み出された、決して触れてはならない禁断の薬。それを飲んだ者に、途轍もない魔力を時置かずして一息に与えるという。

 そう、しかも本来その者に制限された域を、遥かに超越した。

 魔力弱きものを一流の魔道士へ、強き者を歴史に残るような賢人へ。

 そして遥かな高みにある者を、さらにその上、ほとんど神に等しき座へと。

 すなわち、これを、この禁忌の液体を満月の夜に飲みさえすれば、ついに……。


 「準備はいいな?」

 「ええ、もちろん」


 そうしてしばしの間ののち、最終確認のごとく両者は声を掛け合う。

 はたして愛する二人は青白き光の下、昂る激情と蠢く不安のない交ぜとなった視線最後に熱く交わすと、やがて互いに薬の入ったグラスを口許へと近づけた。

 透明なガラスの内側で、ゆらゆら妖しく揺れ動いた、その不可思議な液体。

 それは大いなる罪の印、想像を絶した罰を与えられるに、げにふさわしき存在。

 さらに言えば、服用後の副作用にも恐るべきものがある、そんな悪名どこまでも高い。


 「これで全てが終わり、……そして、全てが始まる」



 だが、それでもまさか今さら止めることなどできるはずもない。かくてエリックが声を放ち、次の瞬間、いよいよともに彼らは魔薬を躊躇なく呷ろうとしていった……


 「エリック様、お待ちください!」


 しかし、グラスに口がつく、まさにその寸前だった。


 「!」


 当然ながら、エリックがすかさずその自らを呼んだ突然の声に背後振り向く。

 そこ、下の階へと続く階段への降り口あたり、石床にぽっかりと空いた真っ暗な穴の部分。普通ならば絶対にありえるはずもない事態ながら、なぜかそこには――。


 「それを飲む前に、私の話をどうか二人とも聞いてください!」


 そう、言うまでもなく、アラミスの勇敢な騎士ユリシルトが息を弾ませつつも、緊迫した面持ちで姿現していたのだった。


                  ◇


 突如青い輝きに包まれた、ロディの右腕のガントレット。その様はまるで腕の周囲を小さな稲妻が幾つも忙しなく駆け巡っているようで。そう、そこにパチパチッと爆ぜるがごとき音も、明らかに騒々しく重なっていたのを耳にすれば。

 すなわちそれらは全て、ロディの言う『魔力吸収』なる恐るべき技によってもたらされた状態。どうやらその秘技を使えば、相手の魔力さえ自分のエネルギーとできるようである。むろんその魔法がいかなる種類、力のものであれ。そしてこうなると魔道士がさも当たり前のようにしているのにも関わらず、もはやげに常識外れの事象、それ以外に当てはまる言葉などない。

 畢竟マリーも、そしてモハードでさえもしばし余りのことに茫然とせざるを得ず――。



 「どうした、怖気づいたか!」


 すると突然、魔道士が驚異の腕はそのまま、食屍鬼の方へ突進掛けてきた。先程までの劣勢が嘘のような、もの凄い勢いだ。


 「く!」


 そして当然ながらそれは、マリーの相棒をして驚愕させつつも咄嗟に堅く守りの構え、取らせている。もはや左右後方いずれかへ避ける余裕など微塵もない、それくらいの速さだったのだ。おまけに途轍もないエネルギーまでそこに籠められているのは、必至。

 こうしていつしか攻守は完全に逆転し、今やまごうかたなき攻勢に立ったのはロディ・ランフォードの方。何よりその風すら起こす黒鉄の拳は、狙い過たず正確無比に相手の喉元へと飛びこんできて。

 まさしく瞬く間、刹那のうちに。

 胸の前で腕を固く×字に組み、その来たる衝撃に耐えようとするモハード。

 その瞳は恐怖で真っ赤にぎらついている。言うまでもなく、それはこれまで経験したことのない強烈な一撃になるはずだった。何より、そんな相手より押し寄せる魔力の威圧感に、筆舌に尽くせぬ凄まじいものがあったとすれば。

 そう、それはまず間違いなく、クラウゼンブルクでもトップクラスの力量になるはずで。

 恐らくはバロンや鉄仮面にも匹敵するような。

 なぜ一介の緑の魔道士に過ぎぬこの者がそんな力持っているのかはまるで理解できなかったが。

 だが、いずれにせよもうあれこれ考える暇もなく、こうしてついに、たちまちにしてロディの破壊の拳は真正面からまともに食屍鬼の身体撃ち抜こうとし――。


 「モハード!」


 それ見つめていたマリーが知らず絶叫迸らせた、その刹那。


 「うぬ?!」


 烈光一閃、さらなる輝きに包みこまれた魔道士の右腕、


 「ハアッ!」


 そして、間を置かずして重ねるようにロディが裂帛の気合こもった声上げるや、


 「グオオオオ!」


 ……その瞬間、世界は黒鎧の魔道士中心に突如青の神秘なる光でどこまでも満たされ、そしてモハードの声を限りにした雄叫びが、辺りへ荒々しくも轟き渡っていたのである。

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