第52話 対決
それは一頭の獣だった。それも体長5ユーは優に超える、四つ足の巨大な。
頭からぐんと突き出た二本の角、真っ赤に燃え盛る狂暴な瞳、大きな口の中ずらりと並ぶ鋭い牙、躰中を覆っている、鋼の如き青黒い体毛――。
その目に見える全てが、まさにこの者が恐るべき獰猛な性質持った存在であることを雄弁に物語っていると言えるだろう。何より、その纏う雰囲気からだけでも、人を喰らうことに至上の喜び抱いているのは余りにもはっきりとしていたのだ。
そう、それは狂おしいほどの飢餓感。
どんなものであれ、破壊し、骨まで喰らい尽くそうとする。
「行け、ベヒーモスよ!」
そうして今まさにバロンが宝石より召喚したそいつは、その命を受け漲り溢れる凄まじき狂暴性のもと、鎧の魔道士一飲みにせんと猛然と迫り寄って行き――。
鉄仮面はその迫り来る猛獣見た瞬間、立ち止まったままするりと腰から剣を引き抜いた。まるで慌てた様子のない、それは流れるような一連の動作だった。
そして彼女は腰を落としてその切っ先を相手――ベヒーモスへ向けて突き出すや、
「来るがいい!」
そう声高らかに叫んでいたのである。
「ほう、正面から迎え撃つか」
遠巻きに見つめるバロンに、そんな感心したような呟き、零させながら。
そうしてその間にも見る見る距離を詰めてくる巨獣に対し途端白銀の刃は眩い光を発して、
「破魔光よ、敵を打ち払え!」
――次の瞬間放たれたのは、まさしく美しさと激しさを同じくらいあわせもった、白き魔法の光。それがベヒーモスを狙った正確無比そのものの一撃だったのは、むろん言うまでもない。何よりはたしてその光が、一瞬のうちに獣の頭見事直撃する速さだった以上。
まるで吸いこまれて行くように。
ひたすら、まっすぐと。
そう、突撃掛けていたこともあり、敵に逃げる余裕塵ほども与えず。
畢竟獣はその足をたちまちその場で止め、
「グオオオオオン!」
――そして途端辺りに、苦しみに満ちたけたたましい絶叫が轟き渡り。
間違いなく、それは必殺の一撃というやつだった。
破魔の光。神の力を祈りの内に使用する神聖魔法の中では、まこと基本的な技である。すなわち天界の光を地上へと呼び寄せ、それを自らの武器とする秘技……。
だが今鉄仮面が放った光は、中でも威力という点で想像を絶したものがある。何より余りにも強い輝きを放っていたのだ。眼前のベヒーモスですら避ける暇僅かもなかったほどの。つまり獣はその凄まじき光輝に、まず視界を思いきりやられていて――。
そう、何よりそんな烈光の一撃をまともに受けては、さしもの巨獣ももはや虫の息寸前とすら思われるくらい。
かくて後に残るのは、むろん戦う力の失せた、一頭のベヒーモスだったはずであり……。
「ふむ、さすがだ」
――だがその刹那、どこか余裕の態でそんな声を上げたのは、後方に控えていたバロンだったのである。
「!」
そしてその言葉を裏付けるように、刹那ふいに鉄仮面が目撃したのは。
「ガルルウウウ!」
光の直射受けてなお闘気膨れ上がった、ベヒーモスの威容。
そう、光に撃たれたはずの獣はなぜかまるで傷を負った風すらなく、再び相手へ突撃する構えさえ見せ、眼光鋭くさせる。その堂々たる姿はほとんど動く山と見紛うばかり、当然あまりに威圧的に過ぎ――。
「……なるほど、一筋縄では行かないか」
だが次の瞬間、それ見て不思議と落ち着いた呟き零す白の長。
「ガウウウ!」
そして巨獣が首をぐっと突き出してくるや、
「ならば、こちらも本気で戦おう!」
鎧の魔道士は気合一閃、剣持ったままそう声を高く上げ、
「ム、来るか?!」
「神の奇跡がいかなるものか、その躰でとくと味わうがよい!」
――たちまち広大なコロセアムの中、バロンが表情変えて見つめている中で、その剣は高々と天へ掲げられたのだった。
◇
「す、凄い……」
コロセアム客席下の通路からアリーナにおける激戦の様相固唾を飲んで見守っていたユリシルトは、その余りの凄まじさに知らず声を洩らしていた。そこはバロンたちからはちょうど陰となった場所だ。戦いに集中している余りだろう、そんな彼らがこちらへと気づく様子もない。
そう、そうしてまさに飛び交う魔法の言葉、魔獣の恐るべき偉容、視界を奪い去っていくげに輝かしき光線の乱舞は、ユリシルトにとってもはや夢幻のような光景としか思えず。
それゆえ騎士はずっとそこ、柱の陰から身じろぎ一つもせず眼差し送り続けていたのだが――。
「おい、ユリシルト」
しかしその時、背後からそんな彼女を呼ぶ声があった。わざわざ確認するまでもなくそれはロディのもので、ユリシルトをしてすぐさま振り返らせるに十分な声音なのは言うまでもなかった。
「チャンスだ。地下へ向かうぞ」
「え?」
「あの魔道士、そしてエリック王子たちの元へ。それが君の最大の目的だろう?」
すると青年はにっと口許へ笑みを零し、さらに大きく頷いてみせる。間違いなくそれは抜け目のない『万能の錬金術師』としての顔だった。
「もちろんあと少しで、勝負はつくぜ」
すなわち、どんな困難で面倒な仕事でも必ず成し遂げるという、あのクラウゼンブルク一高名なよろず屋の。
そして当然ながらそれ見た娘は、知らず自身にも強い気持ちが一斉に溢れ出すのを実感する。何より、自分は大きな使命背負った、王家に仕える騎士なのだ。
「分かった、行こう!」
気づけばそんな一言、大きく発させて。
もう、躊躇している暇など一つもないのだから。
そんな彼女の目の前には悪戯げな瞳をした緑の魔道士と、三人の美少年、というか助手。むろん今では誰よりも心強く、加えて頼りになる。何より皆、ここクラウゼンブルクでずっと生き抜いていけるだけの生命力に、どこまでも眩しく満ち溢れた……。
そうしてユリシルトは腰に吊るした剣の柄、がっしと力強く握るや、
「ロディのいう通りなら、今夜が殿下たちにとって最大の好機のはずだから、あれを使う!」
「ああ、そうだ。伝説に言われている通りなら」
「だからお願い。ロディ、それにみんなも、私に力を貸して!」
――次の瞬間そんな雄々しく、さらに心からの真摯な響きこめた言葉が、魔道士、さらにその周りの助手たちへと、勇ましくも放たれていたのだった。




