第46話 地下室
「ほら、これが<悪魔の血>さ」
マリー・メイは青白くぼんやりした魔法光に照らされた部屋の中、そう言うとすっと手にした小さな薬壜を差し出した。それはむろん、カスターヴァ劇場でロディ・ランフォードから見事奪い取ったあの獲物に違いなかった。
「こ、これが……」
もちろんそれを見た途端、エリック王子が顔色怯えたものとしたのは言うまでもない。すなわち散々その薬の持つ力の詳細聞かされてきたのだろう、そんな彼の様たるや知らずゴクリと唾飲みこんだほどだったのである。
「どんな人間でも、魔道士にできる……」
「正確には、どれだけ魔力が低くても、これを一飲みすればいくらでも強くすることができる。つまりは魔道士見習いを最高の達人へ、最高の達人を神にも比すべき存在へ、と」
「そうすれば、僕たちも――」
しかもマリーのさらなる解説耳にするや、その声音までもがあからさまに震えだし――。
「――では、今夜なのね」
と、かくて王子が半ば絶句してしまうと、そこでエリックの隣にいる娘――メルフィが口を開いた。それはしかし、どこか恋人よりは冷静な感のある響き――もう覚悟はできているような響きだった。
「満月の夜に悪魔の血を飲めば、その者大いなる魔力手に入れることできる」
「ええ、だからこの新しい隠れ処にやって来たの。決して邪魔をされないように。そして魔道士にさえなってしまえば、あなたたちはもう完璧なクラウゼンブルク市民。もちろん追放される恐れのない。……ただ、この薬、副作用が怖いけど」
だが、その刹那マリーがふいに面を陰らせると、再びエリックが声を潜め訊ねてきた。
「君の言っていた、拒絶反応ってやつか?」
「そうよ、人によっては薬が合わず、死にまで至るという。そして合うか合わないかは、完全に飲んでみないと分からない」
「一か八、ってやつか……」
さらに一つ、大きく息まで吐きながら。
「でもエリック、私たちにはもうこれしか選択肢はないの。何としてでも、魔道士になるしか」
「……」
「何よりそれが、自分たちの選んだ道なのだから」
そうして青白き光の中ただでさえ青かったエリックの顔はさらにその度合いを増したものの、その隣で彼の愛する人は、むしろ毅然とした風まで持ち力強く励ましてきて……。
「ム!」
だが、その時だった。
縦横5、6ユーほどの窓もない殺風景な部屋の中、それまで話を交わす三人の背後に静かに立っていたあのローブ纏った巨漢が、ふいに声を上げた。警告音のごとき、他の者たちをハッとさせるには充分過ぎる鋭さだ。
「モハード?」
そして当然マリーたちがその突発的事態に慌てて後ろ振り返った時には、彼はもう自分の背後、この部屋の入口へと疾く走っている。相棒の魔道士ですら驚きで目を丸くしたような勢いで。
「誰だ!」
そうして男、モハードはあっという間に木の扉を力強く開け、外を注意深く見回しそんな叫びすら上げたものの。
「……逃げられたか」
すぐにそう、赤い瞳の色ぎらつかし、無念そのままの声音響かせている。
むろん時を置かずしてすかさずマリーがそんな彼の許へ駆けつけたのは言うまでもなかった。
「誰かがいたの?」
「ああ、獣の匂いとともに。それも間違いなくそこで聞き耳を立てていた」
「く、魔道士の内のどれかが遣わした者か――」
はたして魔道士が知らず小さく声を洩らす。それは明らかに気遣わしげなものが含まれた言葉、しかも相当大きな。――かくて俄然部屋の奥に立ち尽くす二人に、怯えの表情現わさせていたほどに。
当然ながらそれを受け、室内には突如として緊迫した空気が流れ始めたのだが……。
「まあいい、どうせ今夜までが勝負だ。それさえ乗り切れば、あいつらも邪魔のしようがない」
だがそんな中、一人マリーだけは実に素早くかつあっさりといつもの冷静な調子取り戻し、
「モハード、とにかく警戒は厳重にして。誰が来ても、すぐ分かるように」
「ああ、むろんだ」
「それに、いざという時のために、最後の隠れ処もあるんだから」
しかも次には、いかにも勝ち気に逸った笑みさえその口元へ浮かべている。
幾つもの死線を潜り抜け、そして生き残ってきた者のみが現わすことできるそれを。
それはまさしく彼女の実力と自信をまざまざと示すものでもあり……
「そう、相手が誰だろうと、この計画は絶対に邪魔させない」
――そうして最後に、遍歴の女魔道士はいかにも力強く、何より自分にしかと言い聞かせるように、そう言い放っていたのである。




