第39話 覚悟
いつしか外では雨が降り出し、部屋は薄暗い空気に包まれていた。
そこは街の一画、隠されたような片隅にある、相も変わらず鄙びた雰囲気の狭苦しい一室。だが気がつけば大分長いこと棲み処としている場所だ。
すなわちアラミスの王子エリックと、その恋人メルフィが。
むろん、そしてここは同時にマリーが用意してくれた部屋でもあったが、しかしこれまで二人が住んでいた王宮とは比較もできぬ環境なのは言うまでもなかった。それは食事からベッドの質に至るまでで、何よりいまだ外へ出ることもままならなかったのだから。
そう、まるで牢に囚われた囚人のごとく。
自由もなく、安心感もなく。
クラウゼンブルク。国を捨て、親を捨て、友を捨て、彼らがついに辿り着いた目的の地。
それでもこの街にさえ来れば、全てが一息に光輝く良い方向へ向かって行くはずだったのに――。
(フウ……)
かくてメルフィは己の今の零落した姿に若干溜息混じらせながらも、櫛で髪を梳く動作をふと止めると、ベッド傍の椅子に座っているエリックへ静かに声を掛けた。それは秋の訪れを告げるような、どこか寂しげな声音だった。
「エリック、何をしているの?」
そして対する相手がそれまで見つめていた小さな紙から面を上げ眼差しをこちら、ベッドの方へ向けてくるや、彼女はさらに重ねて問うていたのである。
「……それはマリーからの?」
「ああ、手紙だ。仕事がかなり進展したという」
するとエリックが答えた。どこまでも穏やかな光がその瞳には宿っている。そしてそれは間違いなくメルフィにも、同時にほぼ同じ喜びをもたらすもの――。
「良かった。これで」
「そう、後は満月の夜を待つばかり」
「私たちも、クラウゼンブルクの民に」
何と言ってもそれで彼女は、ようやくにして晴れやかな笑顔、現わすことができたのだから。何よりこれまでの苦労も、全て報われるような。
これまでは夢物語でしかなかった、エリックといつまでもずっと一緒にいられるという。もちろんアラミスでは、決して叶えることのできなかった……。
「でも、メルフィ」
と、だがそこでふいに茶髪に涼しげな茶瞳したエリックの面が真剣味のあるものとなった。それは疑いなく、これから言うことが心からのものであるという証に他ならなかった。
「何?」
「……君は、覚悟ができているのか?」
「え?」
しかも彼は、声音にまでただならぬ響き帯びさせている。そう、まるでこれに対する答え次第では、今まで積み重ねてきた全てが崩れ去ってしまうとでも言わんばかりに。すなわちそれくらい、これから行われるはずのことはかなりの危険伴うことでもあり――。
「エリック、今さらそんな馬鹿なこと聞かないで!」
それゆえ白髪の娘はむしろ声を強くして、それに急ぎ答えていたのだった。むろんその瞳にも、紛れもない決意の色がありありと浮かんでいる。何しろ間違いなく、王子は言ってはならぬ一言放ってしまったのだ、それも至極当然のことだった。
そして当然ながら対するエリックは思わぬ気勢に慌ててしまい、そうして彼は生来の気弱さのまま、何とか言い訳しようとしてきたのである。
「ま、待って、別に君を怒らせるつもりじゃ……」
「じゃあなんでそんなことを」
「……怖いんだ、僕は少し。何しろ自分が変わってしまうんだから」
はたしてその表情にも、途端恐れのようなもの浮き上がらせて。それを受けたメルフィに知らずハッと憐憫の情、覚えさせたくらいに。
「ご、ごめんなさい。私も言い過ぎたわ。……そうね、確かにちょっと怖いわ」
「そう、だから一応聞いてみたんだ。君が絶対に嫌っていうなら、別の手段を探すから」
「――でも、貴方だって分かっているんでしょ?」
――だが、かくてエリックが述べた言葉は、再度メルフィの瞳に強い、ただし今度は怜悧でもある輝き放たせたのだった。
「もう、これしか方法がないことは。あなたと私がずっと一緒にいられる」
「……」
「何より、もう帰る場所がない上は」
それはどこか悟りにも似た、実に澄みきった光。あまりエリックでさえも見たことがないような……。
「だからお願い」
そうして愛する王子が何も言えず黙りこんでしまうと、水晶のような澄んだ水色の瞳持った娘は、その言の通り祈るように、彼へ向かって情熱的に、そして真摯に告げていたのである。
「もう後戻りするようなこと、絶対に言わないで」
そう、今にも泣きそうな表情、露わにしながら。




