第3話 潜伏者
そこは薄暗い部屋だった。
広くもなく、ましてや豪華でもない一室だ。
入口入ってすぐのところにテーブルと二脚の椅子がある以外は、大きめのベッドが置かれているきりの、調度品のほとんど見かけられない質素そのものの室内。その侘しさにあわせたものか、せっかく南側に大きく開けられた窓にも、すでになぜか厚めのカーテンがしっかりと引かれている――。
「……まだ、夕暮れにもなっていないのか」
それゆえベッドに腰かけている二人の内の一人、手にした懐中時計を見つめる白と銀の緩やかな上衣纏った茶色い髪の若者の声音にも、少し耳にしただけでそれと分かる寂寥感めいたものが今は色濃くこめられていたのだった。
「ここの時の流れは、緩やかだな」
そう、髪と同じ色した涼しげな瞳を、儚くも理知的に光輝かせて。
「外は賑やかなようね」
「え?」
「子供たちの声が聞こえてくるわ」
そしてその隣で、まるで磁石に引かれたようにピッタリと寄り添っている、まだ年若い娘。白色の流れるような髪、水色の瞳が清らかかつ麗々しい。今はありふれた白いワンピ―ス姿だが、貴族の着るような豪華な服を着せれば存分に輝き放つことだろう。
そんな彼女が先ほどからちらちらと窓の方へ眼差し向けていたことにはちゃんと気づいていたらしく、一つうなずくと、若者は穏やかな口調で述べてやった。
「ああ、どうやら通りを挟んで向こうに、学校があるらしい。そんな大きなものじゃないが、それなりに生徒もいるんだろう」
「魔道士の街に学校――私たちの国と同じものがあるのね」
「もちろん。魔法が使える以外は、同じ人間が作った都市だからな。ただ、その中身となると多少違うかもしれないが」
そうして時計を上衣の胸ポケットにしまうと、一つ気を落ち着けるように息を吐く。
「だがいずれにせよ、僕らはこれからずっとここで暮らしていかなくてはならない。この魔法で彩られたクラウゼンブルクで。そう二人で決めたのだから。――しかしそのためにはまだやり残したことがある。それをしなければ、絶対にこの街の市民になれないという」
はたしてその声音はあまりに真摯過ぎて、娘をしてハッと振り向かせるに十分なほど。必然的に彼女はゴクリと唾を飲みこみ、真剣な表情で間を置かず問いを発していた。
「あれのことね。でも、手に入るのかしら?」
「今の状態では何とも。だが、マリー・メイが必死で探しているはずだから――」
と、そうして若者が娘見つめ再び力強い視線で頷いた、その時。
「!」
突如として、部屋のドアをノックする音が響いてきた。さほど大きいものではなく、しかも回数もきっちりと3回きりだ。そのあとは、再びひっそりと沈黙が流れるだけ。
――途端、あれほど穏やかだった室内に、隠しようのない緊張感が漂い出す。
娘がさらに若者に身体近づけ、怯えた眼差し送ったほどに。
「……大丈夫だ。あれはマリーと取り決めたノックの仕方だから」
僅かの間を置いて、かくて若者は勇気づけるように宣った。その言の通り、掛け替えのない、貴重極まる護衛者がやって来たのは間違いなかった。
特にこの異界では、彼女以外頼るべき者など一つたりと存在するはずもない……。
「何か進展があったのかもしれない。早く入ってもらおう」
かくして彼は誰何するのももどかしいとすっと立ち上がり、ドアの方へ急ぎ近づいて行った――。
「どう、様子は?」
その女は部屋へ足を踏み入れるなり、実に親しみのこもった声で尋ねてきた。
やや癖っ毛の黒い髪をショートカットにした、小柄で若々しい娘だ。
太い眉と灰色の瞳も特徴的で、頬にはそばかすも浮いている。これに赤銅色の肌をしているのだから、かなり活動的に見えるのもむべなるかな、というものであろう。
そうして室内にいた二人の状態問題ないと確かめると、革の胴着つけた女は次には粗末な部屋の中をぐるりと見回した。間違いなく、あまりここに好印象抱いているとは言えない素振りだった。
「ああ、二人とも大丈夫だ」
「そりゃよかった。……でも、やっぱり質素過ぎね、ここは」
「いや、だが――」
「その内いい所があれば引っ越すから。今は我慢してね、二人とも」
続けてそう提案すると、再び前方にいる若者の方へ視線を戻す。くりくりと良く動く、力漲る瞳。その輝きを見た若者が、後ろにいる娘とともに一気に元気づけられたのは言うまでもなかった。
「マリー、本当にありがとう」
「え?」
「とにかくまずはクラウゼンブルクへ連れてきてくれて」
返した若者の声には、なるほど明らかなほどに感謝の意もこめられていたのだから。
「ちょっと、何よいきなり。それにまだ仕事は序盤中の序盤よ。ここに来ただけですべてが解決すると思ったら大間違い」
対してむろんそうした言葉が見るからに苦手そうな、マリーという名の女はたまらず照れたような笑み零し、さらに目の前の二人を現実に引き戻そうとする。確かに、この街の門を潜った時点で仕事終了なら、これほど楽な任務というものもないのだった。
「でも、それが第一の目的だったのだから」
「そうよ、感謝してもしきれないくらい」
「……そりゃそうだけど、でも、楽観視は絶対にできない、これだけは言っておくわ」
畢竟、どこか楽天的な二人へ釘を刺す一言も決して忘れることなく。
「それくらい、かなりの難事業なんだから」
そしてマリーはふと何か思い出したように、カーテンの掛かった窓の方へその目をやっていた。
「確かに。だがすべて君たちに任せることになってしまうが」
「構わないわ。それが仕事だから。それに――」
はたして一拍置かれる、小さな間。それはどこか遠くへ、あまりに大きな壁を見つめているかのようでもあり。そう、瞳の色にもぐっと力がこもり。
「必ず、追手もあなたたちを連れ戻しにやって来るはずよ」
――すなわち、いかにも気がかりな感で、彼女はその先を続けていたのだった。




