第21話 魔獣
それは鳴き声だった。それも間違いなく身の毛のよだつクラスの怪物が放った。
すなわち刹那、一同がファルの指差した先、洞窟の奥の方に認めたのは、
「おい、ありゃキマイラじゃないか!」
ぐんぐんとこちらへもの凄いスピードで雄叫びも凄まじく近づいてくる、一頭の神話的生物だったのだから。
そう、その姿は伝説そのままの獅子、山羊、竜の混然一体となった恐るべきもので、もちろん遠くからでもその巨大さは手に取るように分かる。しかもあからさまに敵意むき出しで、完全無欠の戦闘モードそのもの。
「あわわ……」
ゆえに途端、第一発見者のファルが怖気帯び出したのは言うまでもなかった。
「ちょっと、こっちに来るじゃない! あんなの相手にどうするの?!」
「どうするって、Sランクの魔獣だぞ! そんなの分かるか!」
「え? 分からない?」
だがもちろんそれは他の三人もまったく同じこと。特に一番頼りになるべきロディにしてからが、完全に恐怖でパニックへ陥りかけている。
「そんな、魔道士のあなたが?!」
むろんたちまちそれはユリシルトへも分かり易く伝播して。
「くそ、デカいくせに、何て速さだ!」
……従ってナッシュが余りの魔獣の巨躯に怯えた声放ったように、彼らはただ何もできず猛進しつつ迫ってくる相手、茫然と眺めていたばかり――そうして僅か数秒の内に、魔獣はまさしく目と鼻の先まであっさり辿り着いていたのである。
獅子の躰に、左から山羊、獅子、竜の頭、そして豪華にも竜の翼までついた、これでもかという凄まじき威容誇る巨獣は。
◇
ロディはゴクリと唾を飲みこむと、眼前でじろじろこちら眺め回している三つの頭の様子窺った。
もはや距離にして3ユーもない近さだ。当然ながら怪物の吐く荒い息遣いまで如実に伝わってくる。そう、どうやって自分たちを喰らい尽くそうか、思案しているような。
ちなみにいつの間にかファルはじめユリシルト、ナッシュは彼の背後へ退き、結局魔道士がまともにキマイラと対峙する形となっている。ある意味専門家だから仕方ないとはいえ、これはなかなか厳しい局面というやつではあった。すなわち、彼一人が相手を何とかしなければならないという。
従って彼はその責任感からかとりあえず、皆がこれ以上恐慌来さないよう小さな声で告げたのだった。
「まあみんな、落ち着け。慌てたら相手の思うツボだ」
すると途端湧き上がる、非難の声の大合唱――。
「だって、あなたにも対処法が分からないんでしょ? それなのに落ち着けだなんて」
「キマイラ対策の本、確か図書館にあった気がするけど、ロディ読んでないの?」
「ねえ、そんなことより早く逃げようよ!」
畢竟こんな具合である。戦う意志など元よりあったものではない。
ロディが溜息混じりに呟いたのは言うまでもなかった。
「こりゃ面倒なことになったな……」
グオ!
すると途端一声鳴いたキマイラ。
むろん三つの貌ともにもの凄い形相だ。よほどロディたちを美味いエサと認めたのだろう。とにかく三者それぞれ開いた口から覗く牙がやたら鋭い。おまけに突然翼大きく羽ばたかせ、それは紛れもなく強烈な威嚇。そう、さっさと餌食となるか、あるいは尻尾を巻いて逃げ失せるか、選択はもはやそのどちらかのみのようで……。
「よし、一旦逃げるか」
瞬間ロディがそう告げたのも、状況鑑みればむしろ必然的というものだった。
「で、でも、ここにミラルカの秘密が……」
「命あっての物種、幸いここからならすぐ出られる。外で改めて作戦会議だ」
「そうだね、とりあえず……」
そして逡巡するユリシルトに構わずそれにすかさず賛同の声上げたのはファル。いつもは明るく朗らかな彼も、今は余りの恐怖にビクビクしたままである。おまけに対するキマイラの方は相変わらずいつでも飛びかかってこられるよう、前へ身を傾けた体勢ずっと維持し続けており――。
「うん、結論は出たな。特に異論もないようだし」
畢竟その様子見たロディは、もう考えるのも虚しいと妙にさっぱりそう言い放ったのであった。
「待って!」
――だが、そうして皆が急ぎ後ろへ振り返ろうとした、その時。
「このキマイラ、何か変だ」
突然鋭い声を放ったのはナッシュである。何より三人が逃避の態勢にある中、彼のみはいまだ敢然と前方の魔獣きっと睨みつけている。すなわちそれはまさしくいつにも増して大人びた風。ごまかしやまやかしは、一切自分には通じない、という……。
「な、何だ、どうした?」
すぐさまロディが気持ちうろたえつつ訊ねたのは言うまでもない。
「こいつ、こんな格好しているけど全然襲いかかってこない。しかもキマイラお得意のブレス攻撃もまったくせず。――そして何より」
「?」
「匂いが全然しないんだ」
対してダークエルフはいよいよ強気に言い放った。それはもはや確信したといったような口ぶりだ。何といっても、今やその青い瞳が一際強い輝き放っていたのだから。
そう、知らずロディにハッとした表情させていたくらいに。
「匂い……そうか」
「うん。キマイラ特有の、硫黄の匂い。どころか、こいつからは何も届いてこない。まるでお風呂から上がったばかりみたいに。――だということは、すなわち」
そうして魔道士に頷き返すと、ナッシュは次の瞬間、服の懐から奇妙な小さい物体――真ん丸のレンズを取り出していた。ピカピカに磨かれた一品だ。そしてそれを、すかさず自らの右目の位置にしっかりとかざす。それによって何があろうと絶対に、相手の中の何かを見逃さない、といった風で。
「そう、この『真実の眼』なら」
かくて金髪の美少年はレンズ通して鋭利な眼差し眼前のキマイラにすばやく送り、
「――どんな幻も、見破れるんだから」
続けて、余りに決定的な一言、断言していたのだった。




