第16話 交渉決裂
それはまさしく交渉決裂だった。
だがむろん女の方は、そんなにあっさり拒否されるとは思ってもいなかったのだろう。一瞬唖然としたように硬直している。それくらい、自分と相手の実力差には相当開きがあるはずだったのだから。
「……そう」
次の瞬間、かくて放たれる押し殺した声。間違いなく怒りによるものだ。そして当然ながら、それは隣で巌のごとく立ちはだかっていた、いまだ一言も発していない大男にも分かり易く伝播して――。
「グルルル……」
ナッシュとファルに一瞬振り向かせたくらい、ふいに何とも奇妙な声、発させていたのだった。まるで飢えに塗れた野獣のごとくに。
「本当残念だね、だったら、力尽くでこっちも行かないと」
そんな相棒ちらと見やりつつ、女が続けて口を開いた。いつしかその灰色の瞳に、酷薄なまでの光が宿っていた。
「そんな態度取れるんなら、覚悟も充分できているんだろ?」
「もちろん。……そしてそれはこっちも同じ台詞さ」
「……マジで生意気なガキだね」
そしてもはや何を言っても無駄と、ふいにその表情が一変する。赤銅色の肌にそばかすも浮きむしろチャーミングといってもいい顔が、突如として狂暴な狩人のそれへと変化したのだ。しかも、冷たい笑みまで口許へうっすらと零して。
そう、まさしくこれから、残酷な狩りという名のゲームを始めようかと。
いまだ太陽が中天に差し掛かる前、という中。
容赦しようなどという意志、一片たりと見せず――。
「その大口、後悔することになるよ!」
「グウウ!」
「!」
「わ、来ちゃった!」
かくて次なる刹那、二人の年若き獲物見定め一挙に勝負着けんと、陽光眩しい堤の上を恐るべき怪人たちは突如、高速で駆け出していたのである。
◇
「!」
それはまさに予想を上回る速度、そして迫力。
わざわざ直に矛を交えるまでもなく、黒髪の女、ローブ纏った大男ともに凄まじき実力誇るのはまず間違いない。正真正銘、経験充分に積んだ戦巧者、というやつである。何より、こちらがどうこうする隙作らせなかったのだから。
はたしてまず前を行く女がダガー片手に突っこんでくるその背後には、ほぼ同速度でついてくるローブの男。彼の方はまったき徒手空拳とはいえ、しかし相棒が撃ち洩らした場合にはすかさず追撃できる、サポートとしては完璧なまでのタイミングだ。
しかもここは周囲から盛り上がった形となっている、川の堤の上。もちろん隠れられる物陰など一切なく、また逃げる方向も両側の急坂を駆け下りるのでなければ、たった一つ、襲撃者とは反対の方向しかない。そしてもし無理矢理その坂の方を選択したとしても、そこは足場が悪すぎるゆえに思いきり隙だらけの姿、相手へさらすこととなるだろう。
そう、すなわち状況としては、背中向けるわけにはいかぬ以上、もはや正面からまともに当たるしかないという、あまりに厳しい局面。逃げる場所も暇も、まったく存在せぬ――。
「ほら、隙だらけ!」
「!」
「ナッシュ!」
そうして女が手にしたダガー、思いきり振り上げると、途端その刃は眩い赤光放ちだした。疑いなく、魔力籠められている特別な得物の証しだ。しかも、そもそもその腕前自体が実に常人離れ、という他ない。
それくらい、刃の扱いが恐ろしく巧みで早かったのだから。
「もらった!」
そして当然ながら息つく暇もない次の瞬間、魔道士の雄叫び一下、一息に相手仕留めんとそれはまこと凄まじい勢いでナッシュの頭狙ってきた。
その額、軽くかち割ってしまおうと。
むろん対して素手のままのダークエルフはダークエルフで何とかその高速の一撃、身体そらし上手いことかわそうとしたものの――。
「そら!」
しかしそんな動きはすでにして完全に予測済み、赤い刃は情け容赦なく、かつ狙い過たず金髪の少年の美しい額、切り刻もうとする。それはまさしく計算尽くしの、完璧きわまる一刀。はたしてほんの次なる刹那には、見るも無残な少年の姿が間違いなく現れていてもおかしくなかったくらいの。
もちろん当のナッシュとしても、事ここまで至ってはもはや凶刃から逃れる術など一つもなく、畢竟ついに彼らが得た有力情報も、この謎めいた二人組に奪われてしまうと思われ。
……かくて人通りの絶えた堤道に漂い出した、凄惨な血の雨降り注ごうとする予感、満々とする中。
◇
「――な、何?!」
しかし、そうして刃が相手切り刻もうとした、その瞬間だった。
女魔道士は突如としてその手ごたえ、いや刃ごたえに奇妙なものを感じ取っていた。
「そんな――」
そうしてそのあまりの触感のなさに驚愕と戸惑いで目見開いた途端、
「――?!」
「グオ!」
突如として眼前のナッシュの姿が、まるで霞のように一瞬でかき消えてしまったのである。当然ながら、赤い刃をそのまま虚しく空切らせて。
そして後には、ただ何もない、今まで通りの殺風景な空間がただ広がるのみ。気づけば、その後ろにいたはずのファルの姿すら一緒に消えている。
そう、まさしく最初からそこには誰もいなかったかのごとくに。
「く、まさか、幻……」
むろん対して思いきり空振りする形となった魔道士だったが、しかし彼女は彼女で一瞬のうちにこの胡乱極まる状況理解したようだ。舌打ち一下、体勢立て直しざまに周囲注意深く見回すや、息も整えたちまちそれまでの殺気が消滅していく。間違いなく、それはもう相手は大分遠くへ逃げてしまったという判断によるものだった。
もちろん、あのミラルカに関する情報も抱いたまま。
「やるね、なかなか」
はたしてそれは賞賛だったか、あるいは負け惜しみだったか、ダガーいまだ手にしたままおのずとそんな呟きも零れさせて。
「グウウ……」
そうしてむろん、すぐ背後に立つ相棒も今はまったく同じ気分だった模様。彼もただ茫然としたようにじっと堤の先見すえ立ち尽くしている。
言うまでもなく、二人の少年の姿はどこにも、もはや影も形も認められず。
いまだ人気のない、川辺のかわり映えしない一風景の中。
そんな二人をよそにして、四月の爽やかな風も吹き渡っていき――。
「――ふん、だけど、次は絶対逃がさないよ」
かくて次の瞬間、ただ女の押し殺した声だけが、その風に乗って街のどこかへ流されていったのである。




