第12話 忘却の罰
そうしてユリシルトは一旦間を置くと、最後の詰めとばかりに、いよいよ真剣な面でロープ越しに男へ迫って行った。
「とにかく、あなたの話は私たちにとって、とても重要なものなの。だからそう、できうる限り正確に……」
「そう言われても」
だが、相手の反応は相変わらずの感じである。まるで答えを見失ったかのように、もごもごとまごついてしまう。余りにもそれが顕著だったので、ユリシルトはさては演技しているのかと勘繰ったくらいだったが、しかし一方で眼前から窺える彼の様子にはその風はまったく塵ほども感じ取られはしなかった。そう、まさしくそれは忘我のただ中、自分が今何をしているのかも分かっていないような。
「俺は」
はたして彼は続けて虚ろな表情のまま口を開き、
「何でこの監獄へ入れられたのか、その理由を忘れちまったんだ。アンナ、いつも川でみんなと洗濯している彼女にでも聞かない限り」
そう、実に奇妙な言葉、宣ってきたのだから。
「忘れた? 何の罪によってかを?」
従って当然ながらその答えはユリシルトを大いに混乱させる。むしろあまりの訳の分からなさに勢い結界の方へ突っこまなかったのが奇跡的なほどだった。
すなわちどんな魔法よりも、これは驚くべきことであったとでもいうように。
「でも、いくらなんでもそんなはずは」
「だってこれは本当の……」
「――よく分かった」
するとそこで突然それまで話聞くだけだったロディが、会話断ち切るように声を放ってきた。はたしてそれにハッとしたユリシルトが知らず振り返ってみれば、そこにはどこか穏やかな笑みを浮かべた青年の顔がある。
「ミラルカ、ご苦労だったな。今日はもういい、独房でゆっくり休みな」
そうしてまるで目の前のドワーフを労わるように、優しく語り掛けていくロディ。
「お前やっぱり疲れ気味だよ。ちゃんと食事取っているか?」
「まあな。……味はひどいが」
「はは、俺も噂で聞いたことあるよ、ここの飯の不味さは。――だが、今のお前には休息が必要だ。とにかく食べられる時に食べ、眠れるときに眠っておけ。いつでもここから出られるように、な。何より、アンナとまた会うために」
特に最後のその一言で、ミラルカにここでは初めてともいえる感情の揺らぎ、少しだけ現わさせて。
「アンナ……そうか、ここから出たら」
「そういうこと。もちろん向こうだってお前をずっと待っているはずだから。……さてと、じゃあ俺たちはもう行くよ。疲れているのに、邪魔したな」
「え?!」
――だが、そうして励ますように言うが早いか青年が突然腰を上げたので、これにはユリシルト、明々と驚き隠せず露わにしたのであった。
「ちょっと、まだ時間は……」
「いいから。もう聞くべきことは聞いたんだし」
「でもまだ何一つ――」
そしてそのまま、いまだ椅子に座し抗議かまびすしい女騎士置いていくような勢いでロディは背後くるりと振り返ると、
「俺にも、君に話したいことがあるから。もちろん二人きりで」
その一言置き土産に、風のように外套翻し颯爽と部屋の出口、目指していったのである。
◇
「一体どういうことよ?」
監獄の長々とした廊下を先進むロディにやっと追いつくと、ユリシルトは非難の意味もこめ声を掛けた。もちろんその表情彩るのも、驚きと、そして訝しさだった。
「どういうことって?」
「まだ何も情報らしき話聞いていないじゃない! ただ、彼が自分の罪を忘れていたことくらいしか……」
「それで充分じゃないか」
「充分?」
だが相手の方は歩く速度はそのまま、ちらと振り返るとただ一言返してくる。騎士に知らず眉をひそめさせたくらい、意味不明な。
そしてそれでもう説明は終わりとすたすた監獄玄関を目指そうとしたので、ユリシルトがさらに声を大きくしたのは言うまでもない。
「ちょっと、説明になってないわよ! とにかく一回立ち止まって――」
「説明、か?」
「そう、もう、色々分からないことだらけなんだからっ」
そうして特に必死な思いのもと最後に放ったその言葉は、青年をしてようやくその足、止めさせたのであった。まったく人気のない、灰色の廊下の真ん中で。
ロディの黒い眼差しが、娘の瞳を強く射る。
「それは俺も同感。まったく分かっていない」
「え?」
「ミラルカのあの様子じゃ、聞き取れることは何もなかった。――あいつは第一級の犯罪者へ処方される、忘却剤を飲まされていたからな」
「忘却、剤……」
対して知らず困惑の表情隠せぬユリシルト。ひょっとして彼は何か掴んだのかもという淡い期待もしていただけに、それも仕方あるまい。これではむしろ謎は深まっていくばかりなのだ。何よりも、その奇妙極まる薬の名、聞いてしまったのだから。
それゆえ彼女はもう微かな光明はこれで消え去ったと、へなへな一気に脱力するのを感じたのだが――。
「だが、安心しろ。それでも唯一、分かったことがある」
……だが、そんな娘へ、ロディは最後に励ますようににやりと気になる一言、告げてきたのである。ユリシルトがハッと彼の顔、見つめ返したくらいに。
「唯一?」
「アンナ……彼女、ミラルカが言った洗濯女にして恋人なら、何か知っているはず」
そう、いかにも謎めいた響き、その声音に乗せて。




