第三章:非対称の戦い 3.2 冷徹な戦略、揺れる内心
中国人民解放軍の陳偉師団長は、台湾へと上陸を完了した部隊の最前線近くに設置された、仮設の司令部で戦況モニターを睨みつけていた。彼の表情は、一見すると氷のように冷徹で、感情の動きを一切見せない。しかし、その瞳の奥には、わずかな焦燥感が隠されているのが見て取れた。作戦は順調に進んでいるように見えたが、蓋を開けてみれば、予想以上に激しい台湾軍と市民の抵抗に直面していたのだ。
デジタルマップ上では、赤い線で示された中国軍の進軍ルートが、ところどころで緑色の点(台湾軍の抵抗を示す)に阻まれ、停滞しているのがわかる。特に、台北市のような大規模な都市部では、市街地の複雑な構造と、李志明のようなゲリラ部隊による非対称戦に、彼の精鋭部隊は苦戦を強いられていた。建物の一角から突然狙撃され、路地裏からは爆弾が投げ込まれる。見えない敵との戦いは、兵士たちの精神を確実にすり減らしていった。
「師団長、第四機甲連隊が、台北市北西部で進軍停止。ゲリラ部隊の待ち伏せ攻撃を受け、戦車一両が行動不能に陥りました」
「補給部隊が襲撃されました。食料と弾薬の輸送に遅延が発生しています」
次々と報告される損害と遅延の報に、陳は深く眉をひそめた。当初の作戦計画では、侵攻はもっと迅速に進むはずだった。しかし、蓋を開けてみれば、予想よりもはるかに多くの損害が出ており、作戦の遅延は避けられない状況になっていた。北京からの毎日の定時連絡は、遠回しではあるものの、早期の制圧を求める圧力をひしひしと感じさせるものだった。彼は、重圧に押し潰されそうになりながらも、決して表情を変えなかった。
陳は、デスクに置かれた暗号化された通信機を手に取った。北京からの緊急電信には、「速やかな抵抗勢力の一掃と、安定した支配体制の確立を求める」という簡潔ながらも厳しい指示が記されていた。それは、早期の制圧を求める、明確な命令だった。陳は、静かに呼吸を整え、副官に強硬な掃討作戦の指示を下した。
「全ての部隊に通達しろ。抵抗勢力に対する容赦ない掃討を徹底せよ。民間人に紛れる者もいるだろう。だが、この作戦の遂行のためには、民間人の犠牲もやむを得ない」
彼の声は、感情を一切含まない、機械的な響きを持っていた。それは、兵士たちに徹底的な掃討を命じる非情な命令だった。この命令が何を意味するか、陳自身が一番よく理解していた。無辜の市民が、抵抗勢力と見なされ、命を落とすだろう。瓦礫の中に身を潜める子供たち、恐怖に震える老人たち。彼らの命が、この命令一つで失われるのだ。
陳は、冷徹に任務を遂行しようと努めた。兵士たちに檄を飛ばし、作戦の重要性を説く。しかし、台湾人の想像以上の抵抗と、日を追うごとに疲弊していく兵士たちの顔を目の当たりにするにつれて、彼の内心では、この作戦の正当性について葛藤が芽生え始めていた。
彼が信じていた「祖国統一」という大義は、本当にこんなにも多くの血を流し、尊い命を犠牲にしてまで達成されるべきものなのか? 破壊された街、泣き叫ぶ子供たち、そして自由のために命を賭ける台湾人の姿が、彼の心の奥底に問いかけてくる。兵士たちの表情には、命令を遂行することへの使命感と共に、次第に、この血塗られた戦いへの疑問が浮かび始めているのが見て取れた。彼らは、人間としての感情を押し殺し、ただ機械のように命令に従い続けている。陳は、その光景を見るたびに、自らが踏み込んでいる道の深淵を感じていた。
中国軍は、占領した都市に軍政を敷き、統治体制を確立しようと必死だった。市庁舎には中国の国旗が掲げられ、街頭のスピーカーからは、中国共産党の偉大さを説くプロパガンダ放送が一日中流されていた。台湾のメディアは全て中国の統制下に置かれ、北京からの指示に従ったニュースだけが流された。
「台湾は古来より中国の不可分の一部である」「侵略者ではない。解放者である」「祖国統一は歴史の必然である」
そうしたスローガンが、街のあちこちに掲げられ、市民に繰り返し聞かせられた。中国軍は、台湾の歴史や文化を否定するような情報を積極的に喧伝し、人々の間に分断を生み出そうと画策した。しかし、市民の心の中では、抵抗の火は消えることはなかった。プロパガンダを信じる者は少なく、街の治安は依然として不安定なままだった。夜間には、中国軍のパトロール隊が襲撃される事件が頻発し、兵士たちは常に緊張状態に置かれた。
陳は、司令部のモニターに映し出される、占領下の都市の報告書を読み込んでいた。表面上は「安定」とされているが、その実態は、不信と反抗に満ちたものだった。街角では、ゲリラ部隊を支援する者たちが地下に潜り、市民は中国兵の目を盗んで、必死に情報を共有し、抵抗を続けていた。武力で制圧しても、人々の心を支配することはできない。このままでは、仮に台湾全土を占領できたとしても、それは真の「統一」ではなく、永遠に抵抗が続く占領地に過ぎないだろう。
陳は、長年信じてきた「武力による統一」という戦略に、初めて疑念を抱き始めていた。力だけでは、民衆の心を掴むことはできない。その事実を、彼はこの血と涙に塗れた戦場で、徐々に悟り始めていた。しかし、彼に立ち止まる選択肢はなかった。引き返すことも、諦めることも、許されない。彼は、この泥沼のような戦いを、どこまでも突き進むしかなかった。その夜、陳偉師団長の心は、冷徹な戦略家の仮面の下で、深く揺れ動いていた。