【6】《ストーンバグ》
朧は、静かに息を整えながら洞窟の深部へと足を進めていた。足元には水が滲み出たようなぬかるみが続き、所々に細いツタが絡みついている。
「ここが現実、ね……。」
独りごちる声には、わずかな不満が滲んでいた。戦闘狂である朧にとって、目の前の魔物を無視して進むのは本能に逆らうようなものだ。
しかし、朧はこの世界の“リアル”を理解していた。これはゲームではない。現実では、時間は貴重であり、全ての行動が他人との約束や、翌日の計画に影響を及ぼす。
「仕方ないわね……今日は降り続けるだけ。」
両親や巡との約束を守り、早めに帰るためには、ここで無駄に少し強い敵と戦闘をしている余裕はない。朧は魔物の気配を避け、必要最小限の戦闘だけに抑えながら、慎重に迷宮を降り続けた。
そして、18階層──彼女の目標としていたエリアに到達したとき、ついに“戦うべき相手”が目の前に現れた。
目標の獲物──ストーンバグとの遭遇
洞窟の暗がりに蠢く巨大な影。その姿を目にした瞬間、朧は口元をわずかに歪めた。
「……ようやく見つけた。」
それは《ストーンバグ》だった。全身を硬質な甲殻で覆われた昆虫型の魔物で、推奨レベルは18。現状は特殊エリアの店に入るための戦闘で朧のレベル12まで上がっていたが、それでも尚かなり格上の敵と言える。
その巨体は全長2メートル近くにも達し、甲殻の表面には無数の傷跡が刻まれている。しかし、それがむしろこの魔物がいかに強敵であるかを証明していた。
巨体で道を塞ぐようにしてるし無視するのは無理そうね。
朧は軽く呼吸を整え、腰の短剣を引き抜いた。洞窟地形に特化した武器──深淵の牙が、その鋭い刃を静かに輝かせる。
「まぁ出血効果がの程を試すには悪くない相手よね」
深淵の牙の特性を活かせれば、この硬い甲殻を持つ敵にも勝機はある。だが、問題はその特性を発動させるためにどうやって隙を作るかだ。
「ここからが勝負……来なさい。」
朧の挑発に応じるように、ストーンバグは低く唸るような音を発しながら、ゆっくりと動き出した。その動きは鈍重に見えるが、油断すれば瞬時に距離を詰めてくる可能性がある。
ストーンバグは、前脚を地面に叩きつけ、甲高い音を鳴らした。それを合図に、巨体が道を塞ぐのを止めて体勢を整えて一気に朧へと突進してくる。
「速い……!」
見た目に反して俊敏な動きに、朧はすぐさま横に跳んでこれを回避する。巨体が通り過ぎた直後、地面に残された深い溝を目にし、彼女は軽く舌打ちした。
「わかってはいたけど接触すれば即死級ね。遊んでる暇はなさそう。」
朧は敵の背後を取りながら深淵の牙を振るう。しかし、刃が甲殻に触れるたびに、硬い抵抗感が手に伝わってくる。
「やっぱり簡単には通らないか……。」
次の瞬間、ストーンバグが鋭い回転を見せ、尾部を振り回してきた。その動きに気づいた朧はすぐに後退しながら跳躍する。
「……隙をどう作るかね。」
彼女は目の前の巨体を観察しながら、動きのパターンを思い出していく。ストーンバグの突進は直線的だが、速度と破壊力がある。一方で、その百足のような体のせいか振り向く動作には時間が必要だ。
「動きを鈍らせれば、もっと攻められるはず……。」
朧は深淵の牙の特性である“出血効果”を活かすべく、再びストーンバグに接近した。敵の突進をかわし、壁に激突した隙に脚元を狙って一撃を放つ。
刃が甲殻の隙間を捉えて切り裂いた瞬間、過剰に淡い赤い液体が吹き出し始めた。その瞬間、ストーンバグが激しく暴れ始める。
「効いてるわね。」
出血効果が発動した証拠だ。ストーンバグの動きが僅かに鈍くなるのを感じ取り、朧は暴れに巻き込まれないように注意しながらさらに攻撃の手を加速させる。
「ここで決める!」
深淵の牙を逆手に構え、硬い甲殻の隙間を狙い撃つように連続で攻撃を加える。ストーンバグが反撃を試みるものの、その動きは既に鈍り始めていた。
「……倒せる!」
最後の一撃を繰り出そうとしたその瞬間、ストーンバグは大きく脚を振り上げ、朧を弾き飛ばすように攻撃してきた。
「くっ……!」
朧は地面を転がりながら立ち上がり、深呼吸をして姿勢を立て直す。
「もう十分。」
朧は冷静に敵を観察しながら、次の一手を決めた。深淵の牙を構え、ストーンバグの側面に再び接近する。そして……。
「終わりよ!」
渾身の一撃が甲殻の隙間を貫き、ストーンバグがその巨体を震わせた後、動きを止めた。
朧は軽く息を整え、目の前に横たわる魔物を見下ろす。
《レベルが1上昇》
「やっぱり装備が良いと違うわね。」
倒した魔物からは大粒の魔石がドロップした。朧はそれを拾い上げ、軽く笑みを浮かべる。
「次もこの調子で行きましょうか」