【1】螺旋を喰らう者
朧は、自室のベッドの上で目を覚ました。窓の隙間から差し込む朝陽が、白い壁にぼんやりと影を描いている。
「……夢じゃない、わよね」
昨晩の記憶――突然の覚醒、それに伴い脳内を駆け巡った膨大な情報が、まだ頭の奥で渦を巻いている。
《転生者:朧》《ユニークスキル:「貪食者」取得》
「転生者」という単語に、何の前触れもなく覚えのない記憶が紐づき、脳裏に流れ込んだ。まるで、大量のファイルが押し寄せてくるようだった。前世での記憶、この世界の知識、さらには“ゲーム”として楽しんでいた〈NEXT・LIFE〉に酷似した世界の知識。それら全てがひとつの流れとなって、朧の意識を押し潰さんばかりに流れ込んでくる。
「この世界ゲームの中に似てる……というか、ほぼそのままだけど……どういうことなの?」
混乱の中、ふと朧は自分の手のひらを見つめた。その感覚は確かに“現実”のものだ。しかし、脳内に広がる記憶は明らかにこの現実とは乖離している。
「冷静に整理しなきゃ……」
落ち着きを取り戻すため、深呼吸を繰り返しながら、まず目の前にある現実と記憶を比較することから始めた。
この世界はゲーム〈NEXT・LIFE〉のシステムと構造をほぼ忠実に再現しているようだった。ただし、いくつかの決定的な違いがあることにも気づいた。トップ層のレベルが低すぎる。装備の上限も、すべてが“ゲームの自分が知っていた”よりも大きく弱体化している。
「……この世界、全体的に“弱い”わね」
脳内の知識と、この世界の現状が織りなす矛盾に、朧はしばし考え込んだ。そして、すぐに結論を導き出す。
「逆に言えば……“私が目立ちすぎると危険”ってことね」
これまでのゲーム経験から、朧は察していた。目立てば、力を持つ者に目をつけられる。それが特権階級だろうと、未知の力を秘めた探索者だろうと、標的にされることは避けなければならない。
「……でも、だからって、弱いままの世界で我慢するなんてできない」
自然と笑みが漏れた。強敵と戦う快感、成長の実感。それら全てが彼女の中で止めどなく湧き上がる衝動となる。朧にとって、“この世界の限界を突破する”というゲーム以上に楽しそうに思えたのだ。
「よし……行きますか」
高校に入った時ように先んじて用意してあった自室の隅に置かれた初心者向け装備を背負い、彼女は家を出た。
外に出ると、冬の暖かな陽射しが小さな町を包み込んでいた。家々はどこか古びており、道端で作業をしている人々の顔には疲れが滲んでいる。非特権階級に属するこの町では、生活は常に厳しい。
「朧さん!」
軽快な声が響くと同時に、巡が駆け寄ってきた。彼はいつものように少し気弱そうな笑みを浮かべている。
「今日からダンジョン行くんでしょ? 僕、応援するよ!」
「……ありがとう。でも、無理しないでよね?」
朧は軽く笑いながら返す。巡はいつも彼女の後を追いかけるように行動しているが、気の弱さゆえに、無理をさせたくはなかった。
「そうだ、これ……家に余ってたから持っていって!」
巡が差し出したのは、小さなパンと水筒だった。
「……気が利くじゃん、ありがとね」
そう言って手を伸ばす朧に、巡は少し誇らしげな表情を浮かべた。その姿を見て、朧は改めて自分の身近な人々を大切にしたいと思う。だが、それ以上に、ダンジョンの中で自分がどこまで行けるのかを確かめたい欲求が強かった。
町の外れにある小さな丘の先、朧はダンジョンの入り口に立っていた。岩肌を削ったような粗末な洞窟の口。中からは冷たい空気と、かすかに獣の唸り声が漏れ聞こえてくるようなきがする。
「さあ……楽しませてちょうだい」
ダンジョンの入口にある簡素な受け付けに年齢確認のための身分証を定時して受け付けを済ました朧は口元に薄い笑みを浮かべながら、一歩を踏み出した。地上とは異なる独特の冷気に、彼女の中で戦闘狂の血が騒ぎ始める。
ダンジョンの中ではすべてが敵。だが、そのすべてが糧でもある。