【14】日常の終わりと新生
レベル25。
ついにその数字に到達した。
レベル25とは、この世界において一つの区切りであり、「新生」の条件を満たした証でもある。朧もまた、その境地に辿り着いた。だが──。
「……まだいいわ。」
薄暗い自室で、ベッドに仰向けになった朧は、ぼんやりと天井を見つめながら呟いた。
「すぐにやったんじゃ面白くないものね。」
新生は重要な転換点だ。しかし、それを「今」やる理由は朧にはなかった。目的はあくまで自分が楽しむこと…だけど朧はそこそこの協調性を持っている、種族が変わると見た目が大きく変わるのだからその説明は必要だろうと考えていた。
(それに……しばらく構ってあげてなかったわね、巡に。)
頭に浮かんだのは、幼馴染であり、弟分でもある巡の顔だった。ダンジョン探索に没頭していたこの数日間、巡のことは完全に後回しになっていた。
(ちょっと退屈してるかもしれないし……たまには、いいか。)
そう決めた朧は、ゆっくりと立ち上がった。
「──ねぇ、巡。遊園地に行かない?」
巡の家に訪れた朧の開口一番に放ったその言葉に、目の前の少年は目を瞬かせた。
「……え?」
巡は驚きと困惑の入り混じった表情を浮かべている。
「ほら、最近ずっと一緒に遊んでなかったでしょ? たまには外で遊ぶのも悪くないと思ってね。」
朧はいつものように飄々とした笑みを浮かべていたが、その目には確かな意図が宿っていた。巡と過ごす時間──それは朧にとって、一種の気分転換でもあった。
「で、でも……遊園地って……。」
「お金なら大丈夫よ、ダンジョンのおかげで余裕があるから。…それとも私と行くのはいやかしら?」
「い、いや! 行く……行きたい!」
巡は慌てた様子で首を縦に振った。その反応に、朧は満足げに微笑んだ。
「じゃあ決まりね。準備してきて。」
遊園地──束の間の楽しみ
遊園地のゲートをくぐった瞬間、巡は目を輝かせた。色とりどりのアトラクション、賑やかな音楽、そして楽しそうな人々の声。
「すごい……こんなところ、初めて来た……。」
「ふふっ、そんなに感動してくれると、連れてきた甲斐があるわね。」
朧は巡の様子を楽しそうに見つめた。普段はおとなしい巡が、こうして無邪気な表情を見せているのは新鮮だった。
「最初は何に乗る? 絶叫系? それともゆったりした観覧車?」
「えっと……じ、じゃあ、あんまり怖くないやつから……。」
「了解。じゃあ、あっちのメリーゴーランドとかどう?」
「うん!」
賑やかな雰囲気の中で、朧と巡は次々とアトラクションを楽しんでいた。ジェットコースターで巡が悲鳴を上げ、朧が笑い転げる場面もあれば、観覧車の頂上で街を見下ろしながら静かな時間を過ごす場面もあった。
しかし、ふとした瞬間、朧の視線がある一角に向いた。
「……ん?」
遊園地の端、ひっそりとしたエリアに、警備員と思われる探索者風の集団がいた。その装備は高価そうで、いかにも特権階級の出身を思わせる。しかし、その表情は冷たく、周囲を見下すような視線を向けていた。
彼らの近くを通りかかった家族連れの子供が、何かに躓いて転んだ。その瞬間、探索者の一人が冷笑を浮かべ、わざと足を伸ばして子供をさらに転ばせた。
「邪魔だ、下級が。」
その声は小さかったが、はっきりと朧の耳に届いた。
(……ああ、こういうの、あるわよね。)
この世界の階級社会の仄暗い一面。特権階級と非特権階級の間に横たわる溝は、日常の些細な場面にも現れる。
「朧さん……?」
巡が不安そうに朧を見上げた。朧はすぐに微笑みを取り戻し、首を横に振った。
「なんでもないわ。さ、次はあっちに行きましょう?」
「……うん!」
巡が笑顔を取り戻したのを確認して、朧は再び歩き出した。
(楽しい時間に水を差す気はないものね。)
だが、心の奥底で、冷たい何かがわずかに揺れた気がした。
メリーゴーランド、射的ゲーム、観覧車……。巡は終始笑顔で、朧もどこか楽しげにその様子を見守っていた。
しかし、世界は決して純粋な楽しさだけで満ちているわけではない。その裏にある不条理や冷たさは、確かに存在していた。
「楽しかったね!」
「ええ、とても。」
巡が無邪気に笑う横で、朧もまた笑みを浮かべた。しかし、その瞳には一瞬だけ、鋭い光が宿っていた。
(……もう少し…いえ、そろそろ頃合いね。私がどこまで行けるか見せてあげる)
その決意を胸に秘めたまま、朧は再び歩き出した。
夕暮れ時──観覧車の頂上
遊園地の一日が終わろうとしていた。空は茜色に染まり、沈みゆく夕陽が街を金色に照らしている。
朧と巡は、遊園地の最後の締めとして改めて観覧車に乗っていた。静かに軋むゴンドラの中、窓の外に広がる夕景を二人で眺める。
「……綺麗だね、夕陽。」
巡が窓の外を見つめながら呟いた。その声には、どこか緊張と期待が入り混じっていた。
「そうね。たまには、こんな時間も悪くないわ。」
朧は窓に頬杖をつき、夕陽に照らされた街を眺めていた。その横顔には、これまでの戦闘で見せていた冷徹な表情はなく、どこか穏やかさが漂っている。
ゴンドラは頂上に差し掛かる。周囲を一望できるその高さで、しばしの沈黙が流れた。
「……あのさ、朧さん。」
唐突に巡が声を上げた。その声音には、いつもの弱々しさとは異なる決意が込められている。
「ん? どうしたの?」
朧は興味深そうに巡を見つめた。その視線を受け、巡は一度深く息を吸い込む。
「今日、一緒に遊んでくれてありがとう。すごく楽しかった……。でも、今日はそれだけじゃなくて……言いたいことがあったんだ。」
「ふうん?」
「……俺、ずっと前から朧さんのことが好きだったんだ。」
その言葉に、ゴンドラの中が静まり返る。
巡の瞳は真剣そのものだった。自分の気持ちを真正面からぶつけるために、必死に恐怖や不安を押し殺しているのが分かる。
一方、朧はしばらく黙って巡を見つめた後、ふっと小さく笑った。
「……へぇ、そうなの?」
その言葉の裏には、少しの意外性と興味が混じっていた。
「うん……だから、俺と、付き合ってほしい。」
巡の声は震えていたが、その視線は一切逸らさなかった。
「……そう。」
朧は顎に指を添えて考えるような素振りを見せた後、巡をじっと見つめた。その目は、今までどこか飄々としていた態度とは異なり、鋭さと試すような色を帯びていた。
「ねえ、巡。」
「……な、なに?」
「もし、今の私じゃなくなったらどうする?」
「え……?」
巡は困惑したように目を瞬かせた。
「例えば、今とは全く違う姿になったとしても、同じことを言える?」
その言葉には、確かな意図が込められていた。
「……どんな姿になったって、俺の気持ちは変わらないよ。」
巡の答えは即答だった。
「本当に?」
朧は意味深な笑みを浮かべた。
「じゃあ、確かめさせてもらうわね。」
朧はそう言うと、ゴンドラの座席下から小さな容器を取り出した。中には、例のワーム系魔物が蠢いている。
「ま、ここでやるのも悪趣味だけど……ちょうどいいタイミングだし念の為持ってきておいて正解だったわね。」
「お、朧さん……それ……?」
巡が驚きの声を上げた瞬間、朧は容器を開き、ためらうことなく《パラサイトワーム》を丸呑みにした。
「……っ!」
巡は言葉を失った。だが、目の前で起きた出来事はそれだけでは終わらなかった。
数秒と経たずに、朧の体に異変が起きた。
変貌──狐の耳と尻尾を持つグラマラスな姿へ
「……っ、ふふっ……『貪食者』の効果は予想通りだったようね」
朧の声は艶を帯び、低く響く。
その体はみるみるうちに変化した。
ぶよぶよとした肉付きは引き締まり、全身がしなやかで魅惑的な曲線を描く。
腰のあたりからはふわりと大きな狐の尻尾が現れ、頭には艶やかな狐の耳が生えていた。
肌は透き通るように白く輝き、背も伸びまるで妖狐そのもののような美しさと妖艶さを放っていた。
「──さて、どうかしら?」
朧は変貌した自分の体を見下ろし、妖艶な笑みを浮かべた。
「これが、私の“新生”後の姿よ。」
二人の間にしばし沈黙が流れた。
だが、巡はその場で立ち上がると、真っ直ぐに朧を見つめた。
「……やっぱり、すごいな、朧さんは。」
「驚かないの?」
朧は少し意外そうな表情を浮かべた。
「驚いたよ。だけど……どんな姿になったって、朧さんは朧さんでしょ?」
巡は小さく笑い、そしてもう一度言った。
「だから、改めて言うよ。朧さん、俺と付き合ってほしい。」
その言葉に、朧はしばらく無言だった。
やがて、口元に僅かな笑みを浮かべた。
「……ふふっ。ほんと、君は面白いわね。」
観覧車のゴンドラは、ゆっくりと地上へと降りていく。
その中で、朧は巡の手を優しく取り、静かに答えた。
「分かったわ。付き合ってあげる。」
巡は一瞬呆然とした後、顔を赤らめて小さく頷いた。
「……ありがとう。」
夕陽を背景に、二人の影がゴンドラの中で重なった。
「わわっ」
「んふ♡可愛い♡」




