一つ目 狗雑種軍勢ト登雲梯その三
ふりがなをつけすぎると、黒点のように見えてめまいを感じたりしませんでしょうか。
ここでしばらく休憩を取らせていただきます。
こんな勝手気ままのジラべとは対照的に、シュンは目前に現れる数々の試煉に応えんとすれども、力及ばない苦しみに苛まれていた。
暴風雨は予想を遥かに凌ぎ、猛烈なものとなった。
巨浪は絶えずに打ち続け、飛沫は広がり甲板を覆い尽くす。
艦体は激しくほんろうされて、まるで崩壊寸前のようだ。受験生らは持ち場を守るためにありったけの力を振り絞り、ここまで支えてきた。この有様、まさに海の怒りが直に襲い来たるがごとし。
シュンは情報室で冷静さを保たんとしながら事態を分析していた。室内には騒音木霊し、数名の雛鷹はすでに長時間の連続作業に耐えてきた。
一筋の閃光が夜空を引き裂いた。強烈な光が一瞬にして部屋全体を明るく照らした。シュンは目を細めて痛みを耐えて前方を鋭く見据えていた。
より強大なるエネルギーが、天より降り来たる。
それは、ただの雷電にあらず。
「柱」と称するべきものだった。
まさに一柱の巨大な光が、海の真中に届かんとす。
すると、水天一色に染め、波涛をも震撼せしむ。
「これはいったい、何事だぇ。天気のせいって言うよりは、大きなケモノの潜むみてぇ……」
シュンは焦りを隠すことあたわなく、掌に汗を浮かべ、心臓は激しく鼓動を打ち続けて、まことに畏怖を感じた。
情報員としての務め、始まったばかりの一週にして、未だ新米にすぎない彼は懸命に学んできたが、ようやく自信の芽生えをおぼえる折に、まっすぐ千尋の谷に臨むとは思わざる。
この時、情報室の扉が開かれ、すずらんの尉官は入ってきて、しばし出入り口に立ったまま状況を見定めていた。
額に冷や汗を浮かべ、小刻みに震えたているシュンを彼の目に捉えた。
「君、戻って休憩せよ。」
少し考えた後の命令のようだったにもかかわらず、シュンは猛然と頭を振って申す。
「キュウケーするわけにはいきません!まだ多くの任務があるのです!必ずお役に立ちます!」
その声は不安を隠しきれず震え、唇は乾いている。エット少尉はしばらく観察してから、焦れったく頷いた。
「けれども、無理はするな。」
許可を得たシュンは通信機の前に戻り、迅速にレーダーと気象観測機器のデータに専念する。己が使命を全うせんと、手を休めるなく叩き込み、表示板に変化する情報をひたすらに分析す。かくに没頭すれば、少しく不安から逃れられる気がした。
「風速、もう毎秒三十メートルを超える……これでは正確なる測定は難しいです。」
他の者が報告する情報を耳にする一方、心中また複雑となった。なおも冷静に保たねばと、頑張って自分に言い聞かせる。
情報隊長はぎょっと、慎重に画面を見に一度卓に戻った。
「監視を続けて!私がタシュレイン少尉に報告しますぅ!」
外では、波の高ささらに増した。怒れる野獣の如く荒れ狂う海の上、雛鷹らは耐え忍ぶに死力を尽くしている。狂風は無慈悲に船艦を叩きつけ、豪雨は視界を完全に奪い、暗黒の帷が広がり続けた。
視界は白い雷光に飲まれ吐かれ、その轟音に驚いて手が震えた。筆は険しい線を刻んだ。焦燥に突き動かされ、シュンは制御台の情報を確認せんと急ぐ駆け寄る。
「雷電は器物の神の象徴なり、暴風雨はその息吹なり。無敗タンの平静は、国神の守護に依るなり。」
ゆるりと穏やかに、花蕊がそよ風に揺れるがごとく、部屋の空気を和ませたすずらんの語りかけであった。
エット少尉が報告を聞くと、一刻も早く情報室へと戻っていった。
「貴方たちのような雛鳥は、国神の守護のもと、力強く羽ばたく日を待つが良い。やがては天災にも怯むことなく立ち向かう力を身に得るでしょう。」
読点一つ、句点一つ。詩的な雰囲気を生み出し、猛きと安らぎを与えていた。
「大鷹は冒険そのものです。真の挑戦の前に、その片鱗を体験できるのは、とても幸運です。」
異議を唱える者は誰一人いない。あまりにも正しく美しく響きたればかり。
「全力を尽くし、事を成すことで、貴方たちは貴重な才能と経験を身に得ることとなろう。」
すずらんの香りがほのかに室内を満たしていた。
シュンは集中力を取り戻し、情報整理を再開する。
「こちら情報室。現風速は毎秒三十メートル、前方に大波あり。舵を東に十度調整。波濤を避けんがため。」
誰かが無線通信機を取り、最新の気象情報と進行方向を伝達した。
その後、見張り員より疑わしい影を発見するとの通信が届いた。
「長官!不明なる影をはっけん!海賊だァァ!」
掌には冷汗が滲み、シュンは慌てて声を上げた。
「海賊?」
エット少尉は、ただ一瞥を与えるのみ答えた。
「このような暴風雨の中に行動するは、極めて稀ですが、可能性を排除すべきではありません。」
シュンは一瞬心が緩んだが、すぐ緊張を取り戻した。
「この混乱を好機と見て、奇襲を仕掛ける可能性は、なきとは言えません。視界不良を巧みに利用し、混迷の只中、隙を突いて襲来するやもしれませぬ。」
簡潔に海賊の特徴を説き、エット少尉は恐怖に震える若者らに僅かながらも心安らかを与え、勇気を授けんとす。
「彼らは常に敵艦の弱点を狙い、迅速に動くものです。そのため、船は機動性に優れ、急な方向転換も容易に行い得るのです。我らも速やかに行動しましょう。注意深く事に当たって、皆ものよ、監視を強化し、いささかも警戒を怠るな。」
「了解!」
シュンは直ちに行動を開始した。
情報室の雛鷹たる若い者どもは、各自の作業に取り掛かっていた。海図を広げ、風向と風速を詳細に記録し続ける者もあれば、船艦の進行方向を確認する者もある。また補助の役割に専心するシュンもあれば、気圧計を用いて気圧の変化を監視し、暴風の動向を予測するためのデータを提供する者もある。
部隊が順調に動くのを見て、すずらんの尉官は無表情のまま少しだけ目を細め、もう一度落ち着きを与えるための言葉を投げかけた。
「持ち場を守れ。警戒態勢を最大限に高めよ。」
緊張感が漂う中、シュンはなおもデータに目を光らせ、緊張し続けた。
「十五分内、風向は東北へ変換予測です。」
彼は再び海図を確認した。船艦の進行方向は慎重に見極めるものだ。一刻も速く正確に位置を特定せねばならず。風速の変化に伴い、海図上の航路を修正する必要ある。
決して気を緩めることなく任務を全うのだ。
甲板では、雛鷹らが波と戦いながら作業を続けていた。艦体は激しく揺れ動き、彼らは縄や帆を調整し、船艦を安定させんとす。
現場を巡視し、作業を監視しながら、エット少尉は指示を出し続けた。
「縄を引き締め!」
その声が響き渡る中、暴風雨は徐々に勢いを弱め、海況は徐々に安定し始めたようだ。
情報隊長はほっと息をつき、再びデータを確認した後、報告を入れた。
「風速は毎秒約二十メートル軽減、波の高さもけっこう下がっています!」
ちょうど情報室に戻ったエットは立ちどころに通信機で報告した。
『エット、損傷状況を報告せよ。』
通信越しに、ドラング大尉のいつものような落ち着いた声が聞こえた。
シュンもいつものように冷静になれた。
「艦体に一部ひび割れが見受けられますが、致命的な損傷ではございません。帆は大きく破れておりますが、繋ぎ直せば問題なく使えるでしょう。数名の受験生が負傷いたしましたが、医療班が対応しております。」
『……ご苦労。』
報告が終わると、ドラング大尉はアナウンスで艦内に広く命を下す。
『帆の修理作業を優先。帆装具隊は直ちに帆の修復にかかれ。砲撃部隊は修理を手伝わせろ。情報部隊、高所での作業に補助に回せ。艦工部隊は艦体のひび割れの修復開始。』
この時、エットは再び通信機を取る。
「閣下、艦尾に浸水がございます。排水ポンプ班に指示を賜りたく存じます。」
『……ええ。艦務部隊も全力で排水を始めろ。安定を取り戻すまで、手を緩めるな。エット、作業スケジュールの管理を任せたぞ。』
『了解です!』
「了解いたします。」
返答を終えると、エットはすでにシュンの側に歩み寄った。
そして、その肩を軽く叩き、通信機の信号を消して口元より離した。
「君はそろそろ休むべき頃合いです。」
すずらんのように柔らかな声で語りかけたが、シュンはただ激しく頭を振った。
「ダメです!補助をまわらないと……ひっ、ひぃっ?」
シュンはズルッと地面に倒れ込んだ。
「うわっ!」
まるで足が誰かに縺れさせたようだ。
びっくりした声を上げるのを見やり、少尉が淡々たる声で言った。
「黙れ。」
シュンは緊く縛られた身体越しに、硬い靴底が軽く踏み揉むのを感じた。
「教官に逆らうなと告げられなかったですか。」
足の下に伏す者は、屍のごとく静まり返る。エットは靴を離し、また他の者を見やる。
さきほど休憩より戻った者は、扉を開ければこの光景を目にして、喫驚してエットの姿を見ているばかり、動きを止めた。
「扉は長く開くなと申したはずですが。」
その者はうつつに返ってきたように慌てて扉を閉めて、皆の視界より姿を消した。
エット少尉はしばし黙り、拳を唇に当てて軽く咳き込む。
「諸君、二度と言い含める必要はなかろう。各自、体調管理に注意。任務の精度を損なわないように。」
『……はい!』
扉の外に立ち尽くす者は、如何にすべきか迷った。性命と使命を天秤にかけ、よくも勇気を振り絞って、再び扉を叩かんとす。
キイーという扉の軋む音とともにエット少尉の顔が出た。
「少しですが。」
想像した叱責はなく、少尉は無表情のまま佇んで止まっていた。
「はぁい!」
その緊張を察したエット少尉は声の調子を和らげた。
「ご同僚を寝室までお送りください。」