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無敗伝説  作者: 童堕狼
2/7

一つ目 狗雑種軍勢ト登雲梯その二

 かくて暴風雨に包まれよんとも、無敗タンにて凡庸を生きる少年シュンはつい先だって、成人の節目を迎えたばかりであった。


 その日に、幼き日より嵌められていた従属の枷を解け、祝福の気配ただようなか、初めて己が道を選ばんと、胸奥にグッと決めた。


 つまり、公民になることだ。


 あの時の、いかに意志の固かりしこと。今の後悔ばかり募る。


「うわぁぁ——もっとわくわく、ざわざわ……してたのによぉ!いま死ぬとは!ずしんと、ちくちくちくちく!しゅんしゅんー」


 金髪をぐしゃりと掻き乱し、シュンは卓下へと身を潜めた。闇に隠れることで、せめてもの盾と頼まんと願う。


 やがて冷静を取り戻せる——少なくとも、そう信じたかった。


「いや……そう、タイムマシン!ぱっとキラキラ!やり直せるんだ!」


 儚き奇跡にすがり、卓下より這い出たその肩を、唐突に誰かが叩く。


 振りむく刹那、暗いカップの底が視界を覆った。咄嗟に瞼を閉じたシュンは、反射的に身を竦めて地へと倒れ伏した。


 そのままゴロリゴロリと、荒々しく転がりしこと幾たびか。


「熱じっ……じじじっ!うわああ!焼けちゃう!マジ焼けちゃう!」


 のたうつシュンを余所に、犯人は空きカップをくるりと回し、蛇口を捻って茶褐色の液体を注ぎ足し、そして平然と口を開いた。


「とにかく、まず落ち着きなよ。それ、少なくとも普通の人間には前代未聞。見つかったとしても扱えんぞ」


 よろよろと這い寄り、壁際の掛け布を乱雑に引き下ろして顔を拭う。視界が少し晴れたところで卓に目をむければ、扁桃(アーモンド)色の長髪を持つ青年が、橙色の瞳を細めながら、湯気を吹き上げるカップを眺めている。


 耳の後ろに二本の三つ編みを垂らしたるその青年は、制式の制服なれど、その袖を大きく捲り上げ、その姿は威厳を大いに損ねていた。 


 そしてその立ち振る舞いからは、士気の低下や緊張感の欠如が感じられ、周りに不安を与える要因となっていることは間違いない。


 ——それを疑わない者は、シュンの他になかった。


 そんな青年は一口啜り、唇を押さえてぼやく。


「あっち!」


「それなよ!ホットコーヒーだぞぉ!同じもんオレにぶっかけただろっ!」


 怒り心頭に達したシュンだったが、青年はただ肩をひとつすくめると、何事もなかったかのようにカップを卓上へ戻した。


「飛んで来よったんやからな。致し方あるまい」


「ぎゅっと押さえりゃスむだろ!飲み物の入れ物みたいに!」


 風雨(たけ)りて艦を打ち、嵐はひるむ気配を見せぬ。ジラべはなお己の非を認めず、代わりに提案を口にした。


「じゃあ、『お(たらい)』でも使えば?」


「待て!それだけ禁止だ!」


 ぷんすかと抗議するシュンをよそに、青年は衣嚢からフダを取り出してちらつかせた。


「キョーハクだあぁ!ジラベぇ?まだ受験者のくせになんで個性てき武器持ってんだよおぉ!みんなセーシキなだけ持ってる!」


 ジラベはついたじろぎ、しばし白いフダを見やってから訝しげに見返した。


「そうやっけ?道端で拾たもんやな。九十七階のバルコニーから降ってきたナイフでケガして……で、これ弁償でもらったんやけど。言うてなかった?」


 どこか上の空の与太話のように思えたが、嘘とて、言う気は毛頭なき様子——少なくとも、傍目にはそう映った。


 当然、シュンにしてみれば到底承服しかねる話である。怒りのあまり、今にも噛みつかんばかりの形相でジラべを睨み据えた。


「そんな偉い建物ないって!ウソに決まってるっつーの!」


 ジラべは寄ってくるシュンの顔を両手で押し戻し、長いあくびを洩らした。


「で?どうしたいん。件の小僧とやらを捕まえて証言でも取ってみ?」


 言うそばからまたフダをくるり。手慣れた動きが一層癇に障る。


 シュンは肩で息をしつつも声を上げる。


「ゆってねぇーし!だいたいなんで小僧って呼ばれる奴がフダ武器持ってるわんけ——!」


 どうにも納得のいかないシュンの声は甲高く、怒気をはらんでジラべを糾弾せんとする。


 さらに声を荒げた瞬間、ひょいといなされ、一度押し返される格好となった。


 ジラべは胸元のバッジを外して卓上へと放った。宙に弧を描いて回転し、卓に触れる寸前、淡い光を帯びて大鷹の紋章を浮かび上がらせる。


 それを見たシュンもまた、まるで霊犀相通ずるかのように気配を察し、ぱっと立ち上がるや、卓へと身を乗り出した。


「自分のを見てみぃ……」


 ジラべは、もはや嫌気がさしていた。


「いやー!外すのあ面倒なんだ!」


 こういう時、シュンはかえって意に介さないような振る舞いを見せるのだった。


 押し合いの末、体格に勝る相手に押し負けた現実が、ずしりと胸にのしかかり、シュンは壁の手すりに手を掛けて、床へとうずくまった。


 ジラべは首を傾げ、合間を詰めて問いかける。


「見ぃひんか」


「……見せてくれるなら見る」


「ふん」と、鼻にかかった声で語尾を上げると、ジラべは興味を失ったように身を引いた。



 ——『無敗タンの雛鷹たちよ、試験者諸君!』


 ざわめくノイズが一瞬走り抜け、やがて像が定まる。


 映し出されたのは、肘掛け椅子に威然と座す、エモン・ドラング大尉の姿であった。


 その傍らには、すずらんのような尉官が控えていた。


 体は大柄ではないが、その佇まいには張り詰めた厳しさと、どこか清々しい気配が感じられる。


 それも、ドラング大尉の広き肩幅と、自信満つる態度が、雛鷹らを安んずる所以であろう。


 エット少尉が一歩、前へと進み出る。


 乾いた音を残して、革靴が床を打った。


『此度こそ、諸君が正式なる公民とならんための第一歩にして、訓練、すなわち冒険そのものでもある』


 少尉は胸に手を当て、拳を固く握ると、それを背へと納めた。


『公民とは、己が務めを果たし、困難を穿ち、無敗タンに栄誉と勝利を捧ぐ蒼鷹、雄鷹のこと。自由と豊かを享受し、強大なる力を持つことこそ特権——ゆえに多くの者が過去を捨て、規律、自由、平和、新奇さ、そして冒険を求めてここに至りました』


 流麗なる言葉ではあったが、それが何度も繰り返されるうちに、初めて耳にしたときの昂りは、自然と薄れてしまっていた。


「ほんまに訓練も、食事も、沐浴も、そして今も……暴風雨(あらし)で休んどる時も、さすがに逃げられないわ。同じことばっかり繰り返してくだらねぇったらありゃしない。明日生きているかもわからんのになぁ」


 ジラベはため息をつきながら呟いた。


 現実、ここから先の一週間こそが試験の正念場である。これまでの訓練は、基礎体力を培うにとどまり、本番を生き抜くための、わずかな備えにすぎなかった。


 ——斯様なることを、エット少尉が、今、投影の向こうにて演説している。


「自由や愛や平等や、いかに唱えようとも、ここの集いし人々もさほど偉いもんやないやろう。ただ裕福になりたくて、埃まみれの生活から逃れんとすんだけ。毎日こんな無駄話を聞かされりゃあ誰だって飽きるわな」


「そんなことない!」


 シュンは卓を打擲(ちょうちゃく)してばしんと背筋を正した。


「おタカは偉大でコーキなのだ!ひろき空を()け、国と強いきずなで結ばれん!国をまもる、民をまもるんだ!おタカはほんとうに偉大なのだ! だからオレはここに来たんだ!」


 声は熱を帯び、目は燃えるように鋭くなる。


 そのギラついた視線を受けて、ジラべは面倒げに眼を細めた。


「そうだよ、『麺麭(ぱん)』だって、おタカが外から持ってきた偉大なるものだよ!」


 ジラべは、なおも小馬鹿にした眼を寄越す。


「ほんで?」


 よくわからんけど、馬鹿にされているとシュンは敏く感じ取り、歯ぎしりし反論しようと叱り返した。


「何をゆってんのわかんない!麺麭があればみんな食って、生きていけるんだよ!」


本気の眼で訴える少年を、ジラべは生返事で流すばかり。


「そっかー。それは素晴らしいなあ」


 その態度に胸を刺されたシュンの怒気は、なおも膨れあがらんとしていた。


「ほんとに偉大なんだよぉ!」


 ——『全体受験者!』


ジラベに食ってかかる間すらなく、気づけばシュンは身を正していた。


「はいっ!」


『これから第一試験を開始する。諸君、準備はよいか?』


 シュンは緊張で喉が鳴る。声が詰まってしまう。


「もちろんや」


 かわって答えたのは、投影の向こうに佇むドラング大尉と視線を交わすかのごとく、軽やかに掲げられた一杯。


 青年の面、いかにも能天気にして、不敵だった。

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