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雨と火星のリグレット

作者: 浅葱秋星

 裕美は冷たい雨の中、家路を急いだ。吐く息が白くなる。傘を持つ手もかじかんで、感覚が無くなりそうな気がするくらいだった。

 家について、黒い門扉を押して門から入るときに、郵便受けを確認すると、ハガキが一枚入っていた。それを持って、傘立てに傘を置いて玄関から入る。

「ふう」

 思わず声が出た。母は買い物に出かけているらしい。階段を上がって二階の自室に入ると、カバンを置いて持ってきたハガキを確認した。星の写真の絵ハガキ。宛名は、裕美になっている。誰からだろうと差出人を見ると、それも裕美だった。

「え」

 まじまじと見ると、確かに自分の字のようだ。どういうことなのか。


――こんなハガキ出したっけ?


 表の写真を見る。星空の下に、建物がある。見覚えのあるような建物。


「あ」


――林間学校の時のだ。でもどうして今頃?


 それは、裕美が小学四年生の時の林間学校で出したものだった。自分で出したことも忘れていたし、それが届かなかったことにも覚えがなかった。


                  ***


 裕美は夏休みに入って直ぐの林間学校をとても楽しみにしていた。場所は高原にある少年自然の家、という施設で、口径ニ十センチという大きな屈折望遠鏡や、小さいながらプラネタリウムも備えた施設だったからだ。

 特に、その年は火星が接近していて、裕美は大きな望遠鏡で火星を見ることをとても楽しみにしていた。


 駅に集合して電車に乗り、電車を乗り継いだ頃は、まだ天気も良く、駅前ではセミの鳴き声が煩いくらいだった。そこから乗り換えた電車が高原に着くころには、空は曇って今にも泣きだしそうだった。

 宿舎に着いて、みんなが各部屋に入る頃には雨が降り出していた。雨は日が暮れる頃には上がったが、その後は霧が出て、それは夜になっても晴れるどころかどんどんと濃くなっていった。

「今日は天体観測は中止です。その代わりにプラネタリウムの観賞になります」

 教師のその言葉に、裕美は絶望、という言葉の意味が分かったような気がしたくらいだった。

 霧は別棟にあるプラネタリウムへの渡り廊下の先が見えないくらいで、夜にそんな場所を通るということで、はしゃいでいる者も多かったが、裕美の心は沈んだままだった。

 何時もなら楽しめるプラネタリウムも、せっかく本物の夜空が綺麗に見られる土地にやってきていて、人工の星空を見るというのも、虚しいものだった。

 

 部屋に戻った裕美は、持ってきていた四季の星座の天文写真の本を眺めていた。

「裕美ちゃんの本? 綺麗だね」

 同室の子が話しかけてきた。菜月という、普段あまり話をしたことが無かった子で、その子も星が好きだという。

「晴れてたらこんな星が見えたのにね」

 そう言って、裕美がもしかしたら、と開けた窓の向こうは、濃い霧で何も見えなかった。


 翌日も天気は良くなかったが、雨は降らなかったので、近くの山へハイキングへ行ったり、戸外で活動できた。しかし、夜になったら晴れてくれないだろうか、という裕美の期待は裏切られて、その夜も霧は出なかったものの、空は曇ったままで星は見えなかった。

 その日は夜にキャンプファイヤーなどがあって、前日よりは裕美の気も紛れた。


 最終日、帰るときになって、空は綺麗に晴れ渡って、小鳥のさえずりが爽やかな朝だった。絵葉書を自分宛で書いて、施設にある郵便箱に裕美は投函した。自分宛にしたのはハガキが届くより先に帰り着くし、それが面白いと思ったからだった。郵便箱は大きな丸太に穴を開けたような手作りのものだったが、中を覗くとハガキがぎっしりと詰まっていた。


 同室だった菜月とは星の話から仲良くなった。裕美が持ってきた本を借りて読んでいたが、読み終わるまでには帰り着いていた。

「読み終わるまで借りてていいよ」

「いいの?」

「うん。他にも星の本は持ってるから。そうだ、火星の観望会も一緒に行かない? 晴れたらだけど」

 天気のことでは、ちょっと元気がなくなる裕美だった。

「どこでやってるの?」

「市民館でやってるの。自然の家の望遠鏡みたいには大きくないけど」

 裕美は本を貸して、火星の観望会へ行く約束をして別れた。


 菜月が本を返しにやってきたのは、夏休みも終わろうかと言う八月の末のことだった。雨の降る夕方に、傘を差した菜月はやってきて、カバンに入った本を取り出して、返すのが遅くなったことを詫びた。

「上がっていかない?」

 裕美は玄関で菜月にそう言ったが、菜月は少し困ったような顔をした。

「直ぐ戻らないといけないの」

「そう、じゃあ、こんど火星の観望会に行こうよ。新学期になってもまだやってるから」

 その言葉を聞いた菜月は、眉をひそめたあと、何かぐっとこらえるような顔をした。

「……そうだね」

 そう言って、口元に笑みを浮かべた。その顔は、嬉しいというより、泣き出しそうに見えて、裕美は驚いて何も言えなかった。

「じゃあ」

 菜月はそう言って玄関を開けて出て行った。裕美が追いかけるように外にでると、傘を差した菜月が外に出て、待っていた車に乗りこむところだった。

 裕美が菜月を見たのは、それが最後になった。


 裕美は新学期に、菜月が家庭の事情で転校したことを知った。


                  ***


 少年の家のことを調べた裕美は、その施設が先月末で閉鎖されたことを知った。施設の老朽化で改築しないといけなかったらしいが、利用者も少なくなっていて、費用に見合わないとして閉鎖が決まったらしい。

 ハガキの消印は先月末のものになっていた。裕美のハガキは、どこかに紛れていて、施設の閉鎖でかたずけでもしていて見つかったものを纏めて送り出されでもしたんだろう、と、裕美はそんな想像をした。


 あれから六年半。火星は四度目の最接近を迎えていたが、冬の接近の時にはあまり大きくは見えなかった。


――今なら、私の望遠鏡で一緒に火星が見られるんだけどな。


 菜月は今でも星が好きだろうか。どこかで、接近する火星を見ていればいいんだけど。

 冷たい雨が降る窓の外を眺めながら、裕美はそんなことを思った。

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